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2011年、小さな地球と卓上の世界(9)

 約束の時間は夕方五時ごろに設定された。私は午前中からずっと落ち着かなかった。今日は嘘をつく仕事が無くてよかったと思う。今の私は集中しようと思っても出来なかった。滝本さんはあの電話の件を武田君に話したのだろうか、それとも私が変にそう考えるからだろうか、今日は二人とも午前中から全く話そうとしなかった。

 いつもなら雑談が飛び交っている緩い雰囲気の事務所なのに、今日は空気がこわばっていた気がする。その原因は全て私にあるのだ。

 午後も特別に予定があるわけではなかった。普通はこういうことは無かった。意図的に武田君と滝本さんが予定を入れていなさそうな気がした。

 少し早いが二時半ごろに事務所を出ようとした。私は二人に「今日は直帰だから」と言って事務所の玄関へ向かった。珍しく受付のカウンターで武田君と滝本さんが私を見送ってくれた。まるで私が来客のようだった。別に今日は私が頑張る必要は無いのだが、すこし心が落ち着いた。



 スタジオに着いたときはまだ四時にもなっていなかった。時間はまだだいぶある。中に入ると、あの表の世界のミニチュアを見ると、珍しく人が集まっている。

 国見さんが私に気づいて、ミニチュアの方を指差した。その指先には草原の一部を柵で取り囲んでいるのが見えた。

「今日のデートスポットはあそこ」

国見さんはそう言った。

「これは何ですか?」

「これはね、他のプレイヤーから近づけないように作ったフェンスなんだ。教授の数式で特別な命令を施してある。ついでに外からも見えないようにしてあるからゆっくり出来ると思うよ」

「すいません」

私はそう言うと、そばにいた青木君に気がついた。

「ありがとう、青木君」

青木君も笑ってお辞儀をした。

「今まで人形に嘘をつくのは抵抗があったんだ。ユートピア98のことがあったから、また暴走しないかとか、そういう事を考えてしまって俺も、石川もなかなか人形制作の指示を出せなかった」

国見さんはそう話した。人形制作の指示があれだけ遅れた理由がわかった。

「今日まで人の形をした嘘にはずっと俺も、石川も、怯えていた所があったんだな。十三年前からずっと、そういう嘘の絡む仕事は避けてきた。今回も、もしかしたらそうなったかもしれないな。危うくまた逃げるところだったよ」

「黒崎さんも似たようなことをおっしゃっていましたよ」

「会ったのかい? 黒崎に? 元気にしていたか? あいつ」

「ええ。私にユートピア98のことを全て話してくれました」

「そうか」

国見さんは小さくそう言った。

 これまでの間、ユートピア98のことで様々なトラウマが彼らにあったのだろう。自分たちが招いた嘘であのゲームは配信停止となった。その記憶がずっとこの十三年の間、存在し続けてきた。それはこのヴンダーアイランドに、あの時と同じ失敗はしないという意気込みで、国見さんと石川さんは取り組んでいたのだろう。私の兵士の嘘が不可解な行動してあそこまで過敏な対応を取るのもわかる気がする。


 石川さんがやってきた。いつもは忙しくて、あちらこちらを早歩きで行き来しているのに、今日は様子が非常に落ち着いていた。

「最初は何も目立つ感じでは無かったのに、まさか君がここまで行動するとはね」

石川さんはそう言った。

「すいません、わがまま言って」

私は言った。

「いいや。むしろ感謝しているところもあるよ。こんなことを言うのは変だけどね。あのときの嘘の暴走とは全然関係ないけど、今回赤羽君は新しい嘘の可能性を示すわけだからね。君が流し込んだイメージが数式といった嘘の上塗りを無視して動くなんてね。ひょっとすると私たちが作り上げたあの数式なしで、学習する嘘をつけるかもしれないね」

石川さんが言った。

「黒崎は元気にしているようだ。赤羽君が話を聞いてきてくれたようだ」

国見さんが石川さんに言う。

「そうか。あの頃のことに向き合ったんだな」

石川さんは独り言のようにつぶやいた。


 約束の時間になった。

「赤羽君、もう彼女がログインしている。今、神谷君があの兵士と一緒に彼女と会っているよ。兵士の人形は自分の目的を達成すると、通常の嘘に戻ると考えられる。そのあとは神谷君に任せておけ」

石川さんはパソコンの画面でフィールド内の状況を確認して言った。

 私はログインの準備をした。その様子をみんな微笑みを浮かべて見ている。

「なんかロマンチックですね」

阿部さんが言う。

「阿部ちゃん、シナリオの設定を変えて、モンスターが祝福しに来るとかすれば」

「やめてくださいよ」

私がそう言うと周りから少し笑いが起こった。



 ログインすると、すぐに神谷君に気づいた。それは彼も同じだった。神谷君は私に「あちらです」というように口だけを動かしながら、前方を指差した。

 少しはなれたところで、私の作った兵士と綾香がいた。兵士は彼女に何かを話しているようだった。そんなことよりも私は綾香を見ていた。ここからだと兵士の人形と比べた身長くらいしかわからない。小柄な女性のままだった。

 兵士は話し続けていて、それに綾香はずっと頷いている様子がわかった。彼女の視線は人形の顔に向いていた。それからしばらくすると、綾香は丁寧に兵士に向かってお辞儀をした。兵士はその彼女の様子を見届けると、そこから離れるように歩き出した。それを確認した神谷君は兵士に向かって走り出した。綾香はその場であたりを見渡し、私の方を向いた。彼女の動きが止まった。私に気がついたようだ。

 私は綾香の所へ向かって歩き出した。彼女もそうした。お互いの表情が確認できる距離になると綾香から話し始めた。

「ひさしぶり」

彼女は微笑みながらそう言った。

「変わってないな」

私もとりあえずあたり障り無いことを言った。

 私たちは特に目的地なんて無いのに、二人で草原を歩き始めた。夕日が照らす、私たちの影を見るのも久しぶりだった。あの頃の帰り道以来だった。でも特に会話することはしなかった。

 そのとき、翼竜が私たちの真上を飛んだ。ここには飛ぶはずの無いモンスターだった。おそらく青木君の嘘の上塗りの設定を変えたのだろう。私たちは立ち止まってそれを見上げた。やがて翼竜は地面に降りて休み始めた。

「あれも、嘘なの?」

「そう。あれも僕が作った嘘なんだ」

そこでせっかく始まった会話もすぐに途切れた。


 私が何か話しかければいいのに、それが出来なかった。それは昔からそうだった。いつでも電話は綾香からだったし、どこかへ誘うのも綾香だった。私には彼女を引っ張って行く勇気が無かった。それを象徴したように綾香からようやく話し始めた。

「人形に告白されたの」

彼女は私の顔では無く、翼竜を見ながらそう言った。

「それも僕が作った嘘なんだ」

「知ってるよ。あの曲は私にぴったりの曲だって言われたから」

綾香は私のことをしっかり覚えていた。私は十一年前の彼女が記憶にある。綾香にも昔の私の記憶がある。しかし、その後から今までの記憶は丸々抜けているのだ。今の私たちは昔話しか出来ないのだ。

「あの嘘は僕そのものなんだ。そして僕の気持ちそのものなんだよ」

私は今まで言えなかったことを話した。それは当時言うべきだったのに、今となっては昔話だった。そして私はこれで最後の昔話にしようと思った。

 綾香はそれを聞いた後、私の顔を見たが、また視線を翼竜の方に戻した。そして小さい声で呟くように話した。

「そう… …」

私は綾香の顔を見た。微笑んでいた。私にはそれは喜んでいるのかどうかわからなかった。それでも私はこれで良かったんだと思った。綾香の微笑みは私の記憶の中で十一年前の続きとなった。それはまるで昨日の続きのような身近なものに感じたし、今まで見たこと無い綾香の表情でもあった。


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