2008年、小さな地球(4)
あたりを見回してみるとミニチュアで一番目立つ火山のような山が見えている。そしてここには先ほどまで話をしていた国見さんもいる。間違いなくここは仮想空間なのだろう。私が転送された場所は草原とは言っても妙に人間の手が入ったような規則正しさがあった。草の背丈も全てが同じ高さで、しかもライトグリーンの鮮やかな輝きを太陽の光に反射して放っている。もちろんその太陽といっても確かに空を見上げるとぎらぎらと輝いているのだが、おそらく国見さんか、青木さんかの良くできた嘘なのだろう。草木の見た目も臭いも、そして気温も湿度もそっくりついた嘘であった。私がだいたい状況を把握するのを見計らったように国見さんが話し出した。
「どうだ、すごいだろう?今は寂しい無人島みたいだろうけど、これからゲームの世界に開発していくんだよ」
私は国見さんの言うことに納得しながら、空を見上げた。方向的にそこはミニチュアの外の青木さんがいる位置だと思う。
「あの空の向こうには青木さんがいるってことですか」
「たぶん、ここをじっと外から見ているだろうな」
国見さんがそう答えたので、私はその様子を想像した。しかし昔見たアニメの主人公が死んでしまった仲間を偲んで、空を見上げるというシーンが思い出されてしまい私は吹きだしてしまった。死んだ仲間のイメージが空に浮かぶというシーンである。そのイメージが青木さんだとすると少しおかしかった。
「何か変なこと考えているな」
国見さんが私の笑っている様子を見てそういったので私は説明した。
「いや、なんかこれだと、青木さんが死んじゃったみたいだなって」
ほんの少ししか説明できなかったが、国見さんもそばにいた女性も意味を理解したらしく笑った。
「教授死す!僕らは君の事を忘れない!」
国見さんがアニメの終わりに流れるナレーションのようなしゃべり方をした。それにつられて私たち三人はまた笑った。
「さて、こちら画伯。松浪さん。今年で三十四歳」
「二十八よ」
そう言って松浪さんという女性は国見さんの腕辺りを平手ではたいた。画伯ということはおそらく絵を描いて嘘を付く人なのだろう。その証拠にそばには画材道具が置かれていた。書きかけの絵があってそれには丸太小屋が描かれている。その絵の向こうにはきちんと絵と同じ丸太小屋が建っていた。この様子から彼女は絵を描いて、それが実際に存在しているような嘘をつくのだろう。
「もう、わかっているな。彼女が描いた絵が嘘になるんだ。彼女にはあの丸太小屋のように建物を描いてもらう。街の制作は彼女の担当なんだ」
「松浪です。よろしくお願いします」
松浪さんは丁寧にお辞儀してくれた。少し化粧が濃くて服装も派手めでどちらかといえばギャルっぽい人なのだろう。しかしその見た目とは違う丁寧さにギャップを感じたが、悪い人ではなさそうだ。
「もう少しで仕上がるわ」
松浪さんは国見さんへそういうと絵を描き始めた。彼女が絵を描き終えるまで私は国見さんに気になることを聞いた。
「あれは何の絵を描いているんですか?」
「あの丸太小屋は俺たちの事務所になるんだ。現実の世界で作業することもあるだろうし、ここの仮想現実でも作業するからな。行ったり来たりになってしまうだろ?」
国見さんはそう言った。
「でもあの丸太小屋は絵で嘘ついたとしても見た目だけじゃないんですか?手で触ろうとしてもすり抜けてしまうんじゃないでしょうか?」
私の人形につく嘘と同じ原理だろうと思ったのだ。
「だから、それは教授が嘘の上塗りをしてくれるんだ」
私はそれでなるほどと思った。青木さんのおかげで実体の無い嘘も本物に近づくのだ。彼は本当にすごい嘘つきなのだと思った。
しばらくすると松浪さんは絵を描き終え私たちに声をかけた。
「いいわよ、入っても」
言われたとおりにその丸太小屋に入ると、真ん中にテーブルとその周りにソファーが置いてある。奥には小さいがキッチンがあり、簡単な食事やお茶とか作れそうだった。だいたいこの小屋には十人ほどが入れそうな造りだった。
「少し電話してくるから、二人はそこで待っていて」
国見さんは部屋の中においてある今ではなかなか見られないアナログダイヤル式の電話を手に取った。その様子に私は松浪さんに話しかけた。
「ここって電話引いてあるのですか?」
「ええ、そう。ミニチュアの下に土台があったでしょう?あれには様々な回路とか張り巡らしてあって、電話線もひいてあるの。多分彼は今青木君に電話しているわね」
「あの土台にはそんなものがあるのですね」
「あと水道、ガス、電気もひいてあるわ。その気になればこの嘘の世界で私たちは生きていけるわね」
私は昔理科で習った地球の構造を思い出した。その知識は正しいか全く自信が無かったが地球の内部には核があり、そしてマントルが対流していることを思い出した。そんな様子がミニチュアの土台の仕組みと少し被って見えたのだ。まだ国見さんは電話でなにやら話している。そのとき私はふと松浪さんのスケッチブックが気になった。
「その、スケッチ拝見してもよろしいですか?」
私は彼女に聞いてみた。
「ええ、どうぞ」
私は彼女からスケッチブックを受け取ると、それをパラパラめくってみた。一番表のページはこの丸太小屋が描かれているが、次のページはこの小屋の内部が詳細に描かれている。私はソファー、戸棚、窓、電話など細部のデザインまでスケッチブックと照らし合わせながら部屋の周りを見回した。
「全部私のデザインよ。今回の仕事に際して最初で最後の私のデザインなの」
松浪さんは私に何かわからないようなことを言った。
「今回街並みの嘘を描くことになるのだけど、街並みのデザインはゲーム会社のデザイナーさんがやるの。私はそのデザインを丸写しするだけだわ」
「それだと私もそうですよ。デザイナーさんのモンスターを私は作るだけですから。それに私にはデザインは出来ないですし」
私は松浪さんの様子が少し寂しそうだったので、フォローするように答えた。松浪さんは今回のゲームに関して、もっと自分のデザインを活かす場面が欲しいのだろうと思った。
国見さんの電話が終わった。
「阿部ちゃんが今着いたって。青木君と神谷君も今から来るって言っていたよ」
「石川さんは?」
松浪さんが国見さんに聞いた。
「ああ、どうだろ? 彼は来ないかも知れないな」
「石川さんはネクストの人で今回このゲームの総合ディレクターなのよ。一番偉い人」
松浪さんはクラフトアベルク・ネクストをそう略して呼んで私に説明してくれた。
「まあ、ネクストとのパイプ役は神谷君がやってくれるから別にいいけどな」
国見さんがそう言いながら窓を眺めている。
しばらくしてドアが開いてやってきたのはメガネをかけたショートカットの女の子だった。雰囲気からして文学少女、悪く言えばアニメオタクのような女の子にも見える。
「赤羽君、彼女が最後のメンバー阿部ちゃん。物語で嘘を付く人だ」
「はじめまして、阿部です」
彼女は小さい声で私に挨拶した。それに私も頭を軽く下げた。
「彼女はこのゲームのシナリオライター。彼女のシナリオを元に村人やモンスターの会話をするんだ」
国見さんがそう説明してくれた。
「要するに彼女も嘘の上塗りをするんですね」
「そう。とりあえずゲーム本編のシナリオを考えてもらって、それが終わればギルドイベントとかもシナリオを書いてもらおうと考えているけどな」
「青木さんはシステム面で阿部さんはシナリオ面なんですね」
私はもう一度確認するように聞いた。
「そう。阿部ちゃんは青木君とは違ってキャラクター、モンスターの感情をコントロールをすることが出来るのよ。嘘の感情を作ることが出来るの」
次は松浪さんが答えてくれた。私はなるほどと思った。笑う、怒る、悲しむ、泣く、そういう感情を表す命令は嘘つきでもなかなか難しいのだ。ここに招集されたメンバーは優秀な嘘つきが集められたのだろう。私にこの四人についていけるかやや心配になった。
四人でしばらく会話していると、青木さんと神谷さんがやってきた。人数が増えたので私は一人でソファーを独占している松浪さんの隣に座ることにした。これで制作チームは全員そろったことになる。神谷さんが仕切って話し始めた。
「これで全員集まりましたね。これから私が皆さんのお世話をさせていただく神谷です。よろしくお願いいたします」
私たち制作チームの五人は彼に拍手を贈る。
「ありがとうございます。それでこれからネクストと皆さん制作チームのパイプ役をさせて頂きます。困ったことがあれば私に何でも言いつけてください」
そういうと彼は私たちに分厚い資料を配った。それにはゲーム制作の計画が書いてあった。「これから皆さんの各スケジュールをご説明させていただきます。まず街の制作ですがある程度のデザインは決まりましたので、松浪さんには明日からでも制作をお願いいたします」
すると資料の街の建設計画のページをめくりながら松浪さんは質問した。
「ええ、だいたいわかったわ。でも街の建設計画図にはところどころ空欄があるけど」
その質問に応じて、街の建設計画のページも私も見てみた。例えば『トスターの街』の建設計画図があるが、それを見ると中央に噴水と書いてあって周りには民家とか書いてあった。つまり噴水広場を中心にした円形の街なのだ。いかにもヨーロッパの古い街並みという感じに見えた。しかしその計画図を見ると円形の街の所々が空白になっているのである。街という割には空き地が多くやや中途半端な印象を受けた。
「とりあえず、今は計画がはっきりしているところだけ作ってください。まだ全てのデザインが出来上がってないのです」
神谷さんは少し歯切れ悪そうに答えたが、松浪さんはしばらく考え込んだようだが結局は了解した。
「次に赤羽さんです。明日以降からモンスターの人形が送られてくるので、どんどん嘘を付いてください。出来上がればあとは青木さん、阿部さんお願いします」
「モンスターの人形って小さいのですよね?なんでもマッチ箱くらいとか」
私はあのときの打ち合わせのことを再確認した。
「もっと小さいのもありますよ。その小さな人形に嘘をついてモンスターを作っていただきます。それをミニチュアにばら撒くと、この世界にモンスターが登場します」
「ということは、この小屋の前にモンスターの人形を置けば、目の前に… …」
「そう、ドスンとモンスターが降臨するわけです」
私は小さい人形でもモンスター制作が出来る理由がわかった。しかし別の問題にまた気付いた。
「ちょっと待ってください。ミニチュアにモンスターの人形を置くことでその地点にモンスターを登場させることは理解できました。でもハエがもしこのミニチュアに止まったら、その場所に巨大なハエが出てくるというわけですよね」
私は神谷さんに質問した。それを聞いて松浪さんと阿部さんの女性陣は気味悪いという顔をしている。
「ここは嘘の世界だ。だから存在を許されるのは嘘だけだ。本物のハエはたとえミニチュア止まったとしても、ここには現れないよ。嘘の世界に本物は存在できないのさ」
国見さんがそう教えてくれた。私はその説明にもっともだと思いながらも、どこかなんとも言えない疑問を感じた。しかし考えてもその疑問が何なのかはっきりしなかったのでとりあえず納得したという理解を示した。
「あとですね、ゲーム内の通貨はですね、皆さんではなくてネクスト側で制作いたします。したがって皆さんのやることはありません」
神谷さんがそう言うと青木さんはよかったと声を漏らした。彼にはやることがあまりにも多すぎるらしい。
「あ、神谷君さ、武器とか防具はどうなったの?」
国見さんが聞き出す。
「あ、武器と防具はもう少し待ってください。今ネクストで話し合い中なんです」
「早くしてな。武器と防具は松浪さんか、赤羽君の担当になると思うから」
その後も資料をめくりながら神谷さんの説明が続いた。まだ戦闘などそういうイベントがいくつかの点で確定しておらず、それに国見さんと松浪さんがときどき質問したりしていた。一方で私と青木さんと阿部さんは黙って聞くばかりだった。