2000年、小さな地球
五月ごろ私はMDコンポを購入した。曲は手軽に早送りが出来るし、そして何より小さくなった。私の音楽は小さくなっていった。あのロックバンドが解散しても聴きたい音楽はたくさんあった。ロックのアプローチは多種多様なものへとなっていった。
そんな中で私はあるミュージシャンのアルバムを買った。洋楽のロックではあるのだが、サウンドは電子音でそして不協和音だった。にもかかわらず計算し尽くされた様な整合性のある不思議な曲だった。
綾香に新しい彼氏が出来ていた。依然として彼女は突然、私に連絡を寄越すときがあった。私はそれが嬉しかった。でも彼女と会うとうまく話すことが出来ない。楽しいということはなかった。綾香は自分の彼氏の話をよくした。私は綾香の男友達なのだと自覚した。それも時折来る彼女の呼び出しに喜んで私は出かけて行って、そしてどうしようもない虚無感を感じた。それをずっと繰り返していた。
コンポから流れる計算された不協和音は実に不思議だった。そこにはロックのような激しさもないし、テクノみたいなリズムもない。聴きこんでいくたびに退廃的なものだと思った。どこか私の心境に似合っているようにも感じた。アルバムに同封されているブックレットには歌詞が書いてはいない。ただ幾何学的な何を意味しているかわからないアートが展開されていた。ページをめくりそれを眺めながら私は曲を聴いていた。そして私が持っていたブックレットの中のアートが動きだした。私はうっかり曲を聴いてイメージしてしまったのだ。
私はふと嘘つきの事を考えた。自分の就職のことだ。当時就職氷河期の真っ只中で、就職活動は難しいものだったらしい。「らしい」というのは私がそこまで一生懸命やっていなかったからだ。多少は何社か受けたが、内定なんてもらえなかった。面接で言う志望理由なんか私には無かった。おそらく大半の学生はなかったのだろうが、私は本当に何にも考えていなかった。普通だったら何か志望理由とか自己PRとか考えるのだろうが、そんなことを考えるのは非常に面倒くさかった。
たまたまあった大学の友人に「お前はいいよな、嘘つきになればいいんだもの」と言われた。普通だったらそういうことを考えるだろう。一般の企業を受けるというと、みんな何でそんなところに行くのかと聞いた。それはそうだろう。私は嘘つきになるのは何か抵抗があったのだ。確かに自分の好きなように嘘をついて人に見せるのと、商売でするのは違うと思ったのだ。私はそれをする覚悟はあるのだろうか疑問だった。
しかし一方で嘘つきの世界を知るのもいいかもしれないと思った。私は確かに興味があった。自分以外の嘘つきを知らなかったというのもある。ひょっとするとそういう話も聞けるかもしれない。私は求人を探した。嘘つきの採用は三つの事務所でしかやっていなかった。
私はそのうちの二つは簡単に落とされた。しかし残ったひとつは運よく選考が進んだ。それは大迫さんの事務所だった。一応他の企業で面接を積んでいたから受け答えは上手になっていたのもあったと思う。面接は三回あった。最初は若い職員の人で、二回目は中年の男性だった。そして最後は大迫さん本人だったのだ。場所もあのときの応接ブースだった。面接というよりは単に会話しているようだった。
「どうでしたか、あれ以来」
大迫さんは私のことを覚えていた。
「様々な嘘を発見しました。飲み物を別のものに変えたりとか、果物を別のものに変えたりとかです」
「一度、自分の嘘を他人に見せたことありますか?」
「はい。一度学園祭で地球儀を本物の地球にするよう嘘をついたことがあります」
「ええと、今日はそれを見せに来たのですか?」
「はい」
「では早速見せてください。時間はいくらかかってもかまいません」
私は大迫さんに言われて、バッグに入れてきた地球儀を取り出した。あの学園祭で使った大きい地球儀だった。そしてそれに嘘をつき始めた。嘘が出来上がるまで一時間くらいだったと思う。大迫さんはずっとその様子を見ていた。
「なるほど。相当練習されたのでしょうね。非常によく出来ていらっしゃる。雲の動きも、台風もまるで宇宙船から眺めているようですね」
大迫さんはそう話した。褒めているようだが、そうでもなかった。
「ただ、商売になるかは別です。見てくれる人は気に入ってくれるかもしれませんが、クライアントはそうとは限りません。お金をかけるわけですから。それに見てくれている人が作っている人の苦労をわかっている保障もありません。結構厳しい世界ですよ。それで駄目になってしまう嘘つきの方もいます。ひょっとしたら赤羽さんは自分の嘘で悩むかもしれません」
私は綾香についた嘘を引きずっていた。確かにそれはそうだが、自分で作った嘘で苦しむとはどういうことだろうか。そのときはあまり考えが浮かばなかった。そのあとも赤羽さんは質問をしてきた。しかし今となってはこの面接のことを断片的にしか覚えていない。ただ面接の手ごたえは特別も悪くなかったし、良くもなかったと思う。
一週間後に内定通知が来た。七月下旬のころだった。
*
大学に行くのは次第になくなった。もう単位は取っていたし、特にすることがなかった。綾香も似たようなもので会うのは段々少なくなってきた。ときどき電話がかかってきて、久しぶりだと喜び、会話はうまく行かなくて落ち込んで帰った。次第に卒業式が近づいていって、彼女と会えなくなるのはもう近いと思った。そう、私は綾香にもう会えなくなると思った。私は綾香との続きを作ろうとなんて全く考えていなかったのだ。
卒業式の日は綾香とあまり話すことが出来なかった。最後はお互い握手したのだが、何を話したかは覚えていない。覚えていないのだからどうでもいいことを話してしまったのだろう。
*
「ここでこのお話はおしまい」
私はそう言った。
「え、そこで終りなんですか?」
武田君は言った。
「じゃあ、その綾香さんとは結局会ってないんですか?」
滝本さんが言った。
「うん」
私はそう答えた。
「いや、それはあのとき告白すべきですよ」
武田君が言う。
「ああ、イライラする」
滝本さんが言った。
「そうだね。馬鹿だし臆病だと思うよ」
私は苦笑いで言った。
「いや、彼女は赤羽さんを好きだったと思いますよ」
武田君が私に指差して指摘するように言った。
「どうかな、でもこの話は僕が希望的観測で話しているんだ。ひょっとしたら彼女の言動のすべてを僕が勝手に都合のいいものとして解釈しているかも知れない。彼女が単に僕のことを友達と思っている可能性も十分あると思うよ」
私はそう分析した。
「どうなの? 滝本さんはその辺、女性として」
武田君は滝本さんに聞いてみる。
「でもその人は彼氏がいたんですよね? それで赤羽さんが嫌いだったら遊ばないんじゃないですか?」
「どういうこと?」
私は滝本さんの言うことに質問した。
「私だったら彼氏がいて他の異性とは遊ばないですよ。よっぽど好きじゃないとしないんじゃないですか?」
「そうかな。滝本さんはそうなだけじゃないか」
私は言った。
「いや、私はそう言うこと簡単に出来ないです。もしも彼氏がほかの女の子と一緒に遊んでいたら嫌ですよ」
「あ、滝本さんね、もしも彼氏が集団で遊びに行くとき、その中に女の子がいても駄目なんですって」
武田君が滝本さんの考えを補足して私に教えてくれた。
「ええ、それは無理があるでしょう?」
「そうだよ、もう島に住めよ、お前」
私と武田君で彼女の言うことに突っ込んだ。
「二人してなんですか」
滝本さんは言った。
「イナちゃんともそれきりなんですか?」
滝本さんは話題を変えた。
「うん。結局、大学二年の頃、年末に会ったのが最後だったんだ。僕が帰られなかったときもあったし、帰ったとしても彼女はいなかったりでね」
滝本さんも武田君も黙って聞いている。
「もうあの子は21歳だから、どうしているだろうなあ。美人になっているかなあ」
私はさっきとまた同じことを言った。
「嘘つきのきっかけはイナちゃんなんですね」
滝本さんが言う。
「そうだね。だいぶ影響されているね」
「ひょっとしたら、今回のゲームをその子がやるかもしれませんねえ」
滝本さんがそういってくれた。そうだったらいいなと思った。
「大迫さんの事務所では最初何をやっていたんですか?」
武田君が聞いた。
「営業していたよ。先輩の職員と。半年間はそればかりだったね。最初は大迫さんの仕事の補助をよくしていて、一年経ってから本格的な仕事をしていたね。それで五年経って僕にも固定客がついたから独立したわけだ」
私は簡単だったが、今までの嘘つきとしての経歴を話した。
店員がラストオーダーを聞きに来た。私は適当に飲み物を頼んだ。
「あ、そう、ゲームが出来るように君たち二人のソフトを手配したよ。宿屋に泊まりたいならそれも手配できるよ」
私はそう提案した。二人は私に礼を言った。
「成功するといいですね」
滝本さんは言った。
「もう予約がすごいとか言ってますよね」
武田君が言った。
「問題は人が多いことだな。どこも長蛇の列だよ。ダンジョンなんかすごいかもしれない」
私は心配していることを言った。
「私は大丈夫ですよ。あまり戦闘というのは興味ないですから。旅行気分で行きますね」
「こら」
武田君は滝本さんの言うことに少し注意をした。
「いや、別にいいよ。気にしないで。滝本さん。」
滝本さんが謝る前に私はそう言った。滝本さんの言うことは的確な気がした。私もそう言う楽しみ方はありと考えていた。しかし他人に言われると、そこに大きな弱点があるような気がした。
ゲームの配信開始は間近に迫っていた。私はもうすることは少ない。あとは会社の運営に委ねるだけだ。多少の不安はある。しかしもう待つしかないのだ。




