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1998年、小さな地球(3)

 夏休みが終わった。大学も始まり、私も自分の嘘について不安が解消されたものだから平和な日常を過ごしていた。平和な日常といったが、変わったこともあった。それは私の日常に嘘が増えたことだった。身近にあるもので嘘が出来ないか考えて試した。それは私にとって楽しいものだったし、早くイナに見せたいと思うようになった。

 そしてもうひとつは亜季のことだった。私たちの関係は前と変わらないように思えたが、次第にそれは普通なものになっていた。それは以前と比べるとあまり楽しくなくなった気もする。会話の内容はいつも取りとめもないものだった。今までならそれに何らかの感動があった。しかしここ最近は取りとめもない会話からそのとおりの何もない感動だった。私と亜季はただ会話しているだけのように感じた。

 いつも分かれる際に私たちは、次はいつどこで会うか約束していた。それは私が携帯を持っていなかったからだ。連絡を取るのが面倒だったのでそうやっていた。毎日会うわけではないので、次の約束の日と場所を忘れないようにしないといけない。それは同時に私がいつでも亜季のことを考えるような習慣がついていたのだと思う。亜季もそうだったのではないだろうか。私はこの次の約束が亜季と繋がっている証のような気がしていた。

 私が携帯電話を持つようになると、その事情は変わってきた。いつでも連絡を取れる分、今までよりも亜季との距離が縮まるように思えた。でもそれは逆だったのだと思う。私たちは次第に約束を取らなくなった。そして数日会わなくなっても問題は無かった。それはどちらかがまた連絡を寄越すだろうと考えているからだ。今までは次の約束を忘れないように過ごしていた。いつでも亜季への意識があった。もちろん今でも亜季のことを考えている。しかし今まで私の頭にある彼女への意識は何か別のものになるような気がした。繋がっていると言うより、どこかいつでもとりに行ける場所に置いてあるみたいだった。



 私はその日、初めて綾香と喫茶店に行った。今まで二人で一緒の帰り道だった。確かに一緒に飲みに行ったり、遊んだりしたことはあったのだが、それは共通の友人を通してだった。みんなと一緒に遊びに行ったその中のひとりだった。

「彼女と別れたの?」

と私の話を聞いて綾香は言った。

「まあね」

私は潔くそう答えた。

「なんで?」

「まあ、お互いに感情はなかったのだろうね」

私はそうだった。亜季は正直の所どう思っていたか知らないがそう言った。

「そうなの。じゃあ、次の恋を探し中?」

「とりあえず、ひと休みかな」

私は答えた。

「最近は休みの日はどうしているの?」

「もう音楽を聴いているくらいかな?あとは学校、バイトくらいだね」

嘘の事は答えなかった。

「ああ、あのバンド好きだったもんね」

「もう解散しちゃったけどね」

「え?解散しちゃったの?」

「いや、正確には年内までの活動だから、まだ解散してないけどね。今度来日公演があるんだ」

「行くの?」

「うん。そう思っている」

「ひとりで?」

「まあ、他に行く人がいないだろうからね」

「私が一緒についていってもいいよ」

「あれ?自分、彼氏は?」

「まだいないの」


 私はこの頃から綾香とどこかへ出かけるようになった。別にデートとかそう言うものじゃなかったと思う。私は亜季と別れてまた何も起こらない日が続くと思っていた。でもそういうことはなかった。暇があれば携帯電話に綾香から連絡があって、行き当たりばったりの予定が出来るのだった。大学では一緒に講義に出ることもあったり、たまに彼女のレポートを手伝ったりもした。今まで以上に綾香と接する機会が多くなった。

 次第に彼女からの電話が来ないか待つようになった。今までは亜季と次の約束までを忘れないようにその日を待っていた。それがいつでも連絡を取れるようになったから、そんなつながりは無くなってしまった。しかし綾香の連絡はいつ来るかわからないものだった。私は次、彼女と会うのはいつになるだろうか、そういうことを考えるようになった。明確な日なんてわからない。それが来るのを待つようになった。いつしか私の頭の中で綾香への意識が存在するようになった。


 綾香は私と一緒に解散ライブへ行ってもいいと言ったが。私はひとりで行くことにした。彼女を誘うには抵抗があったのだ。それは単に恥ずかしいからだった。今回のことでもそうだったが私は自分から綾香を誘うようなことはしなかった。そういうことは出来ない人間だったのだ。亜季に対してはそれが出来た。それは亜季が私の彼女だったからだ。でも綾香には出来なかった。彼女は嫌な顔しないかとか考えたのだ。「あのこと本気にしていたの」と言われるのが怖かったのだ。

 ライブ会場は満員だった。たしか一万五千人とか二万人の観客と聞いていたが、自分と同じ音楽を好きな人がこんなにいるとは思わなかった。今思えば、高校の頃は非常に隔絶された世界だったかもしれない。自分と同じ年代の人と関わる。そしてそこで展開されるのは同世代の聴く音楽だった。私はそんな事態に閉塞感を感じていた。しかし大学やバイト先ではいろんな年齢の人がいた。そしてみんないろんな音楽を聴いていたのだ。私の世間の認識はあまりに狭かった。

 CDに収録されている音源とは違うアレンジで曲が演奏された。それはまた私が今まで感じていたものとは、また違った感動だった。ライブの終盤に私の好きな曲が流れた。それは以前、綾香に聴かせたら「地味な曲だね」と不評だったものだった。でも私にとって彼女にぴったり似合っている曲だと思った。なんでそんな風に考えるのだろうと思った。それは私が彼女のことを好きになっていることに気づいたからだ。気づいたとは言ったが、だいぶ前から好きだったのだろう。知らない間に好きになっていた。


 12月になった。このときも綾香からの誘いだった。少し早いけど忘年会をしないかと言われた。私と綾香の二人だけの忘年会だった。綾香が言うのは単純に憂さ晴らしがしたいというだけだった。

「実家に帰って同窓会とかするの?」

綾香が聞く。

「うん。多分そうなるんじゃないかな」

「まあ、それくらいしかないか。田舎だしね」

綾香はからかうように言った。

「馬鹿にするなよ。ちゃんとした街だよ」

「でもどうせ特別遊びに行くことないのでしょう?」

「まあね。でも小学生の女の子が家に来るんだ」

「親戚?」

「いや、近所の子なんだけどね。昔からお兄ちゃんって言って来てね。可愛い子だよ」

「何年生なの?」

「五年生」

「まあ、ロリコンね。最低」

綾香はまたからかうように言った。

「そんなんじゃないよ」

もちろん私は否定する。

「その子と何して遊ぶの?」

「基本おしゃべりだよね。よく喋る子なんだ。学校であったこととかアイドルのこととかね」

「まあそうよね。それくらいの子はそういうものだよね」

彼女は微笑んで言った。

「宿題とか見るよ」

「教えられるの?」

彼女が私を小馬鹿にするように聞く。

「僕だって教えられるよ。小学生くらいなら大丈夫だよ。一度面白いことがあって『原野』を使って短文を作りなさいって問題があったんだ」

「それで?」

「でもその子は『原野さんは頭が良い』って書いていたんだ」

「ある意味賢いじゃん、その子」

綾香は笑って言った。

「面白い子だよ」

「子供好きなんだね」

「そうかな、そうだね。たまにこういう妹がいたらなあと思うよ」

私がつぶやくと彼女は言った。

「普通はそこで子供はこういう子が欲しいとは思わないの?妹って思わないの?」

「さあ、どうだろ?結婚とかはさすがにまだ考えられないからなあ。」

「私だったら、そう思うよ。」

綾香はそう言った。人それぞれ考えは違うのかもしれない。

「じゃあ、自分なら結婚したら男の子、女の子どっちがいい?」

「男の子だなあ。私は」

私の質問に綾香はそう言った。そして自分のことを答えた。

「僕だったら女の子かな」

「多分、その子が理想の娘だよ。きっと」

「そうかもしれないね」

「そのうちその子に好きな男の子が出来たって言ったらどうする?」

「ど、どこの馬の骨の男だって言うね」

私は冗談っぽく声色を変えて言った。彼女にそれを聞くと笑った。

「私はね、何かいつも同じ人と生活して、一緒に買い物とか行って、そういうの素敵だと思うの」

 綾香は自分の理想の結婚のかたちを語り始めた。それは少し冗長であった。私は目の前の料理を食べながら食材で嘘をつけるかどうか、まだ試したことはないなと思った。例えばオレンジをリンゴに変えられるかどうか考えた。オレンジとリンゴは少し形が違う。うまく嘘つけるのかどうかは微妙だった。でもぶどうをマスカットにするのは簡単そうだと思った。形も大きさもほぼ同じだ。色を変えるだけなら出来そうだと思った。食パンをトーストに出来るかどうか、マーガリンやジャムをつけたものに変えられるかどうか、そんなことを考えていた。

「… …だからね、そのときは嫁に貰ってくれ」

私はそれを聞いてドキッとした。全然話を聞いてなかったがそこだけ聞き取れた。綾香の口調と喋り方で当然冗談とはわかっている。でもそれは冗談でも嬉しかった。

「うん、そして緑の囲まれた森に二人で赤い屋根の家に暮らそう」

私も冗談でドラマの俳優の言うような口調でそう答えた。綾香はクスッと笑った。

「ねえ、何で彼女が出来ないの? あんた、いいキャラしてるじゃん」

「うんそうだね」

私はとりあえずそう答えた。

「今、好きな人とかいないの?」

「いや、別にいないよ」

私は反射的に答えた。でもそうじゃなかった。私はとっくに好きな人が出来ていた。綾香のことが好きだった。今思えばこれは嘘だったのだ。ずっとここ数ヶ月、私は綾香の電話が楽しみだった。突然できる繋がりを楽しみにしていたのだ。私はこのとき正直に言ってしまえばよかったと思う。

 


 一九九八年、私は二つの嘘をついた。ひとつはイナに。もうひとつは綾香に。そしてその二つの嘘は全く違っていた。そして今でも私はその事を思い出すのだ。


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