1998年、小さな地球(2)
私は夏休みの終わりごろ、大迫さんの事務所へ行った。自分に起こった変化に関していろいろと聞きたいことがあったのだ。もともとテレビで嘘つきを見ていたのだが、まさか実際に自分の手で作り出すとは思わなかった。私はイナの言われるとおりに他のものでも動くか試した。人形やぬいぐるみは短時間なら動かせるし、またミニカーのようなおもちゃでも走らせることが出来た。イナは無邪気に喜ぶのだが、私は物に触れるのが怖くなった。そこで日常の生活に支障は無いのか不安だった。しかし、こんなことを相談できる人がいない。私は両親にこの出来事を話すと、嘘つきの事務所に聞いてみたらどうだと言われた。そこで私は調べて大迫さんの事務所にたどり着いたのだ。
事務所に電話を入れて、この旨を話すと折り返し連絡しますと言われた。こういう相談に事務所は対応してくれるか不安だったが、承諾の電話がその日のうちに来た。事務所はオフィスビルの中にあって私はこんなところに入るのは初めてだった。受付に行って呼び鈴を鳴らすと女性の受付がやってきて応接ブースに案内された。その際に職場の様子を眺めることが出来た。ごく普通の会社のような場所だった。
応接ブースでしばらく待つと、大迫さんがやって来た。大迫さんは白髪交じりの五十代くらいの男性だった。私の父親と同じくらいの年齢だろう。優しそうな人だった。
「大変お待たせしました。私、大迫と申します。本日はよろしくお願いいたします」
大迫さんは非常に丁寧な挨拶をしてくれた。
「こんにちは。よろしくお願いいたします」
私もソファーから立ち上がって挨拶をした。大迫さんは早速相談の内容を聞いた。
「今回は赤羽さんが嘘つきではないかと伺いました。繰り返し聞くことになるのですが、嘘の詳しいことを教えて頂けますか」
「最初は小さなシロクマのぬいぐるみを触っていて、そのとき昔見たテレビを思い出したのです。それは人形劇のようなもので、それが動くのを思い出したのです。すると手の中で人形が動き出したのです。二本の足で動き出して私は驚いてしまって。ためしに車のおもちゃを走らせてみようと思えば出来ました。僕は手にするものを動くように念じると動かせるみたいなのです」
私の話に大迫さんは優しそうな顔で頷きながら聞いてくれた。まだ何も解決はしていなかったが、その彼の表情と仕草によって心は次第に落ち着いていった。
「なるほど。だいたいの話はわかりました。ただ、まだ赤羽さんが物を動かせる嘘つきとは決まったわけではないと思います」
「僕は嘘つきではないということですか?」
「いや、おそらく嘘つきだと思いますよ。そうですね、何か簡単に嘘をつけるものがあればいいですね」
大迫さんが周りを見て何かを探し始めた。おそらく何か動かすものを探しているのだろう。
「あ、今日は車のおもちゃを持ってきているのです」
「ちょうどよかった。では早速ですが見せて頂けませんか?」
私は大迫さんに言われたとおり手の中で車を動かすように念じた。そして車をテーブルに乗せると、それは走り出した。大迫さんはその様子を冷静に見ている。
「それでは、次はこのおもちゃの色を変えてみてください。これは赤いスポーツカーですよね。これを、そうですね、青いスポーツカーにしてみてください。やり方は一緒です。イメージするだけです。おそらく簡単に出来ると思いますよ」
私は大迫さんの言うとおりにしてみた。頭の中で青いスポーツカーを思い浮かべる。手を話すとおもちゃの青いスポーツカーではなかった。手のひらサイズの本物そっくりの青いスポーツカーだった。
「今、赤羽さんは想像するときにおそらくどこかで見た本物のスポーツカーを思い浮かべたはずです。おもちゃのような安っぽい光沢ではないですよね。まるで本物ですよね。でも触ってみてください」
私は手に取るとそれは車体のような手触りではなかった。プラスチックの手触りだった。さっきまで私の手の中にあったおもちゃのままの感触だった。
「おそらく、私の見解では現時点においては本物そっくりの見た目を作ることが出来る嘘のようです。次はこの黒のボールペンを赤に変えてみてください」
大迫さんはテーブルの上に置いてあるペン立てから黒と赤のボールペンを二本取り出した。ボールペンはそれぞれ色違いのデザインだった。
「この赤のボールペンを参考にして見てください」
私は言われるとおりにテーブルの上の赤のボールペンを見ながら、黒のボールペンを手にとって念じた。それは数分で出来た。私はテーブルの上にあるボールペンを取って違いを比べた。単に色違いのボールペンなので手の感触も見た目もそっくりだった。
「このメモ用紙に先ほどのペンで何か書いてみてください」
そう言って大迫さんは懐からメモ帳を取り出してページを一枚破って私にくれた。私はその紙に適当に線を書いてみた。インクは黒だった。
「要するに赤羽さんは見た目をそっくり真似ることの出来る嘘をつくのがうまいのだと思います。一方で嘘をつく対象の本来の能力を超える嘘はつけないでしょうね。車は動き出しましたが、それはまだ簡単なものです。カーブを曲がるとかそういう嘘は難しいかもしれませんね」
大迫さんはそう説明してくれた。
「練習すれば出来るようになりますか?」
「ある程度は出来るようになるかもしれないですね。ただ限界はありますよ。まあ、自分の能力を知るために、これからいろんなものに嘘をつくのもいいと思います。それで日常生活でどうすごせばいいかわかると思います。まあ、私からすればおそらく日常生活に特に支障は無いでしょうね」
「本当ですか?例えば最初に言ったシロクマのぬいぐるみに触れて本物そっくりの嘘が出来上がって、それが人に噛み付くとかそう言う危険性はないでしょうか?」
私は聞いた。
「いいえ。それはありません。確かにシロクマの可愛らしいぬいぐるみを、本物そっくりの嘘に作り上げることは出来ると思います。練習すれば吠えるとか噛み付くとかそういう行動を取れることも出来るでしょう。ただ人に噛み付いたとしても問題はありません。見た目本物なのに違和感がするでしょうが、噛まれても痛くはありません。なぜなら、もともとぬいぐるみだからです。手触りはぬいぐるみそのものです。嘘は完全に本物になりきれないのです。ですからその辺は安心してください」
大迫さんはそう説明してくれた。私はとりあえず安心できた。
「こんな相談は多いのですか?」
「いや、嘘つき自体、数が少ないのであまり無いですけど、数年前に来られましたね。赤羽さんと同じような嘘つきの方でした。陶芸の体験ツアーかなんかで壷を作ったら突然芸術品が出来てしまったとか、そう言うものでしたね。器用な方でしたよ。その人はのちに嘘つきとして活動するようになりましたね」
私は大迫さんの話に頷くだけだった。
「もしも自分の嘘に興味があるなら、いろいろと試してみるのもいいですよ」
大迫さんはそう話してくれた。今日はここに来て良かったと思った。帰りに私は大迫さんから缶コーヒー半ダースを頂いた。
帰りに私は買い物をすることにした。自分の嘘を確かめるためだった。駅前のスーパーでとりあえず雑貨コーナーをまわる。目に付いた商品でどんな嘘をつけるか考えながら歩いた。私は墨汁とトラのキーホルダーを買った。トラは万が一のことを考えて小さいものにしたかった。
家に帰ると早速嘘をつくことにした。トラの人形を両手で包むようにして、この間、亜季と行った時の動物園を思い出してトラのイメージを頭の中で浮かべる。
手の中でもぞもぞと動き出した。本物そっくりのトラだった。カーペットの上に放すと、その辺をうろうろし始めた。こんなに小さな哺乳類をもちろん初めて見た。ここまで小さいとやはり猫の仲間なのだろうと思った。私は指をトラに出した。前足でそれが何か警戒した様子で触り始めた。それは私がイメージしたとおりの動きだった。次第に私の指を引っ掻いたり噛み付いたりした。もちろん痛くなんてない。噛み付いているより、少し強く指先を挟まれている感じだった。作り物の素材には変わりなかった。私はこれならイナに見せても大丈夫だと思った。
次は墨汁を手に取った。さっきのボールペンのことを別の素材で試そうと思ったのだ。また私はイメージで墨汁を書道の先生が添削する際に使う朱色のものにしようとした。そして蓋を開けて中身を確認する。そこで不要な紙の上にそれを垂らした。流れ落ちる液体は朱色だったが、紙に落ちた途端、もとの黒色に変わった。私は容器の中に指を入れてみる。確かに朱色の液体が入っている。でも指につく液体は黒色だった。私は車のおもちゃのことを思い出した。赤色を青色に変えたことを思い出した。墨汁で黒く汚れた紙を手に取った。そしてイメージしてみると墨汁は朱色に変わった。コップに水を入れて朱色の汚れに垂らしてみる。それは黒くにじんだ。
黒色の墨汁を朱色として使うのは、一度黒として紙に書いてから嘘つけばいいようだった。それだと実用的な使い方が出来ると思った。やはりそこにある物に嘘をつくことで見た目をごまかせるのだろうと私は解釈した。
水を汲んできたコップをつかむ。そしてイメージを浮かべる。すると黄色の液体を水に一滴落としたように、コップの中に煙みたいなものが現れた。その煙は次第にコップの中で広がって黄色く染まった。オレンジジュースが出来上がった。匂いを嗅いでみたが何も香りがしなかった。私はそれを指につけてなめてみた。酸味のような風味はしない。思い切って飲んでみた。やはり水だった。流し台でそれを流すと普通の水になって排水溝に流れていった。
イナは私が帰ると、話したいことをたくさん用意して待っていた。そして私は今日イナに見せたいものが出来た。それを次彼女に会うまでもっと増やそうと思った。年末に帰ろうと思ったが、十月あたりに一回理由をつけて実家に帰ろうと思った。
私はこの先楽しみになった。嘘をつくのを一旦中断して、さっき本屋に立ち寄って買った洋楽専門雑誌を読み始めた。ベッドに横になりながらページをめくる。流し読みを進めるうちにカラーのページから白黒のページに変わった。そして光沢のページから普通の紙質まで行った頃、つまり雑誌の最後の辺りまで進んだときだった。そこには洋楽ミュージシャンのニュースが掲載されている。そこに私の好きなロックバンドの写真が載っているので読んでみると、それは彼らの解散のニュースだった。




