2008年、小さな地球(3)
私は本日七月一日付でクラフトアベルク・ネクストのゲーム開発チームに任命された。すなわち今日が仕事の初日になる。ただ神谷さんが言うには今日はメンバーの顔合わせだから特に仕事は無いとのことだった。しかし私は緊張してしっかりと背広を着込んで出かけた。
私は予定の午後二時にクラフトアベルク・ネクストに着くように言われていたが、二十分ほど早く着いてしまった。クラフトアベルク・ネクストは三十六階建てのオフィスビルの十五階にある。エレベーターまでそこまで上がり、廊下の突き当たりに受付がある。会社の受付に行くと誰もおらず、電話だけが置いてあった。私は神谷さんとは何回か打ち合わせでクラフトアベルク・ネクストに来ていたのでもう勝手はわかっている。私はいつものように受話器を取り、総務課へと電話をかけ神谷さんを呼び出すことにした。すると総務の女性から神谷さんは今会議中らしく、そのまま受付で待つように言われた。しかしあまり時間は長くかからなかったと思う。約束の十分前に神谷さんが受付まで来てくれた。
「すいません、お待たせしました。それでは早速ですが参りましょう。今日は下なのです」
いつもは十五階の社内で打ち合わせだったのだが、今日は違った。十四階にもオフィスがあることは知っていた。十五階は営業とか企画とか集約されているみたいだったが、ゲームの制作部もあった。だが、十四階にもゲーム制作部が存在した。二つのオフィスに同じ制作部があるのは少し私には疑問だった。神谷さんは私を十四階まで案内してくれた。この十四階も上の階層とは同じつくりだった。やはりエレベーターで降りて廊下の突き当たりに行くとオフィスの入り口のドアがあった。表札は金属のプレートで「クラフトアベルク・ネクスト制作部」と書いてあった。神谷さんは私に社員証のようなものを渡してくれた。それはプラスチックのしっかりしたカードで私の名前が書いてある。普段はこれを首にかけるのだろう。神谷さんはドアの横にあるボタンにセキュリティコードのような番号を打ち込んでドアロックを解除した。
「あとで赤羽さんのパスコードを教えますから」
神谷さんはそういって右手でどうぞというジェスチャーをして私の入室を促した。そう言えば神谷さんが私のことをいつの間にか「赤羽様」から「赤羽さん」に変わっていた。もう取引先とは言えないのかもしれない。今日からはゲーム制作の同僚なのだ。中に入ると間違いなく大部屋のオフィスではあるのだが、余分なデスクが無く広々としていた。変わりに部屋の中央に大きなミニチュアのようなものが設置してある。特撮ヒーローの撮影で使うようなセットらしいものだった。
「あれが今回のゲームの舞台なんですよ。もっと近くで見ましょうか」
神谷さんはそう言ってくれた。セットはまず腰の高さくらいの土台の上に設置されていて、見た目は島のミニチュアのようだった。その土台の下からは数本のケーブルが出ていてそれは二台のパソコンと何かわからない黒い機械につながっているようだった。パソコンの片方に一人の男性が座っていて何かをキーボードで打ち込んでいる。島の中央には火山のような山がそびえ立っていて、ふもとは森が広がっている。そしてところどころ森林、草原が分布している。島のミニチュアは大きく円形で、回り込んで反対側に行くと砂漠地帯が確認できた。そして島の周りにはきちんと本物の水が張られている。海を表現しているのだろう。大きさはだいたい直径十メートルくらい、火山の高さは一メートル弱だろうか。とても大きな無人島のミニチュアのようだった。そのとき入り口でドアの開く音がした。振り向くと色黒で短髪の男性がこちらに向かってやってきた。
「あっ、赤羽さんですね。どうも、チームリーダーの国見と申します」
この人があのお化け屋敷とかアトラクションの嘘を付いている人だということを思い出したが、それと同時にこのミニチュアも彼の作り上げた嘘なのだろうと見当がついた。
「はじめまして、お世話になります。赤羽と申します」
私は名刺を国見さんに差し出した。
「ご丁寧にどうも。神谷君、あとは俺がやるから君は仕事へ戻っていいよ」
国見さんは神谷さんに言った。話し方からすると、どうやら神谷さんとはだいぶ親しいらしい。
「はい、では失礼します。それでは赤羽さん、あとは国見さんから具体的な仕事の内容が聞けると思いますので」
神谷さんはそう言うと部屋から退出した。
「では、早速このチームのメンバーを紹介しましょう。僕がチームリーダーの国見武彦です。あちらの大きくてえらそうなミニチュアが僕のついた大嘘です」
冗談めいた言い方で私は少し笑って答えた。
「ええ、国見様の名前は聞いております。各種アトラクションを担当なされているようで」
「国見さんで良いですよ」
今日から同僚なのだ。私のしゃべり方は堅苦しすぎたようだ。
「すいません。しかしこれはすごいですね。これがゲームの舞台になるのですか?」
「そう。ウムラウトで転送されたユーザーはあのミニチュアの中に入り込んでしまうわけです。ねえ、怖いところでしょう」
冗談交じりで国見さんは答えた。どうやら楽しい人のようだ。
「あのミニチュアの中にプレイヤー、NPC、モンスター、アイテム全部運び込まれるわけです。今回の世界の舞台です」
いろいろまだ疑問もあることだがとりあえずそれは後で聞くことにした。
「なるほど。しかしすごいですねえ。これが小さな地球ですね」
国見さんは私の言っていることが少しわからないような顔をした。
「すいません、私はたまに地球儀に嘘をついて地球を作り上げるのです。つまり小さな地球を作ることがあるのです。国見さんのこれとは大きさも形も違うわけですが」
そう私が答えると、国見さんは笑い出して答えた。
「ああ、なるほど。おもろい発想だね。大昔、地球はこういう風に平らなものだと考えられたらしいからね。そうだな。そういう呼び名もあるな。小さな地球という割に丸くないけどな」
「ということは何か別の呼び名があるということですか?」
私は国見さんに聞いた。
「いや、別に全然無いよ。そういえばゲーム名もまだ決まってないからなあ」
国見さんはそう答えてしばらく自分のミニチュアを眺めた後、話題を変えるように声のトーンを上げて喋りだした。
「よし、それじゃ他のメンバーを紹介するよ」
さっきの小さな地球の話題で私と国見さんの距離がやや近くなったせいか、すでに敬語で話しかけるのをやめて私に話しかけていた。
「おい、教授。ちょっとこっち紹介するから来て」
国見さんはパソコンで作業をしている男性に手招きして呼んだ。教授と呼ばれた男性は国見さんよりも私よりもだいぶ若い青年に見えた。
「こちら青木君。数式で嘘を付くから俺は教授と呼んでいるけどな。彼は現在彼女募集中だから、赤羽君いい人いたら紹介してあげて」
「いや、別に良いですよ。初めまして、青木と申します。今回は嘘の上塗りをやっています」
青木さんは元気良く挨拶してくれた。色白ではあるが、清潔感あふれる青年で女性には結構好かれる様な雰囲気をしている。しかし、それよりも彼の言う嘘の上塗りがどういうことが気になった。私が疑問の表情をしていることを感じ取ってか国見さんが説明してくれた。
「赤羽君は人形に嘘をついてモンスターを作るわけだな。でも見た目を表現できるわけであって、モンスターが火を吹く、襲い掛かってくる、魔法を使うとかそういう複雑な動きまでは嘘がつけない。そこで青木君の出番だ。彼が数式、つまりプログラムで嘘をつくことで赤羽君のついた嘘にさらに新たな嘘を重ねるだ。火を吹け、暴れろってな具合にな」
「なるほど、青木さんがコントローラー、僕がロボットを作るわけですね」
「ああ、そうだ。そういう理解で十分だと思う。どう? 何とかモンスター作れそうだろ?」
私はようやくカラクリが理解できたので安心したようにうなずいた。次に国見さんはさらにパソコンの方へ案内してくれた。パソコンを覗くとディスプレイの真っ黒な画面に数式のようなものがたくさん並んでいた。大学入試の数学でやったコンピューター計算の数式のようにも思えたが、やはりよく見ると全く違うものだった。おそらく国見さんのミニチュアもそれ自体だけだと作り物の草木だが、青木君の嘘の上塗りで本物同然の質感を加えているのだろう。数式を使ってここまでの嘘を付くわけだから国見さんが彼を教授と呼ぶ理由もよくわかった。
「教授、あと君のお仕事は?」
「あ、はい。あとはモンスターのステータスとか、NPCの行動管理とかそういうのをやっています」
国見さんは声が大きく、青木さんは声が小さく控えめなのでギャップが大きい。
「さて、次は画伯を紹介しよう。青木君、画伯は今どこにいるのかな?」
「はい、海岸のそばの草原で今作業の方を」
私にはミニチュアの周りが全て海岸となっているので、海岸のそばの草原と言われても見当がつかなかったが、国見さんには伝わる言い方だったらしい。国見さんはミニチュアに向かって歩いていき、そしてそれに顔をかなり近づけて目を細めて睨んでいる。
「赤羽君、ここ見てごらん」
私は国見さんの指さす方を見てみたものの何があるかわからなかった。
「もっと近くで」
そう言われたので私はミニチュアにだいぶ顔を近づけてみた。ネクタイが下に垂れたのでミニチュアの周りに張っている水に浸かりそうになった。すると草原に何か動くものが見えた。最初は虫かと思った。しかしそれは違った。どうやら人のようだった。1センチ程度の大きさだろうか。
「今、プレイヤーが仮想空間にログインしているということでしょうか?」
「ビンゴ」
私の顔に指差して国見さんは答えた。そしてその指はそのまま二台あるパソコンのそばにある黒い機械を指した。
「あれがウムラウト。まだ試作品だけどね」
私は驚いてその機械を見た。確かに従来の家庭用ゲーム機と同じくらいの大きさなのだと思う。黒塗りで四角というシンプルなデザインで、特に凝った感じはしなかった。通常のゲーム機とは違いコントローラーは無く、代わりに四つのカード差込口があった。その四つのうちひとつに赤いプラスチックカードが差し込まれていて緑のランプが点灯している。
他の空いたカード差込口には赤いランプが点灯している。
「あのカードがゲームソフトになるんだ。プレイヤーのセーブデータもあれに記録されてる。はい、そしてこれが君のカード」
そう言って国見さんは赤いプラスチックのカードを渡してくれた。カード自体も試作品のせいか会社名しか印字されておらず、裏面は磁気ストライプのようなものも無い。ただ細かい字で使用上の注意くらいしか書いてなかった。
「そしてこれが転送装置。これを腕につけてね。アニメのキャラみたいだろ?」
国見さんが私にくれたのは黒いブレスレットだった。言われるとおり腕にはめるとブレスレットにも赤いランプが点灯した。
「さて、早速転送されてみるかい」
国見さんはそう言ってブレスレットを腕につけて、ゲーム機本体にカードを挿入した。まだカード差込口のランプは赤のままだった。
「このカード差込口のそばのスイッチをオンにすると転送されるよ」
そしてスイッチを入れた途端、国見さんは一瞬で消えてしまった。私は半笑いのまま驚いていた。すると青木さんが近づいてきてまたさっきと同じ説明をしてくれた。
「大丈夫ですよ。別に痛くないので。目の前の景色が一瞬で違ったものになるだけです」
青木さんの話し方はやさしいトーンなので私はそれを聞いて幾分か冷静になった。そのおかげで覚悟ではなく、やってみようかという軽い気持ちでカードを差込み、スイッチを入れた。彼の言うとおり一瞬で目の前の風景が変わった。目の前は草原だった。
「おーい、こっちだよ」
国見さんの声が後ろから聞こえた。私が振り返ると、そこには国見さんときれいな女性が立っていた。






