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1995年、小さな地球

 二〇一〇年の暮れ、私は武田君と滝本さんの三人で忘年会を開いた。ここ最近はあまり飲みに行けなかったのでせめて忘年会くらいはと滝本さんが幹事をしてくれた。私はとりあえず二年半ほどだがゲームの製作に従事してようやく仕事が落ち着いた。ただゲームは完成したものの、これからも定期補修など仕事が続く。一方では事務所で抱えている案件とも同時進行で来年は進みそうだった。あとはゲーム自体が成功を収めてくれれば、私の事務所もこれから大きな仕事に恵まれるかもしれない。そんな期待感を込めた忘年会でもあった。


 仕事の話から今年の暮れの特番の話題になった。それで音楽番組の話になった。武田君は最近の音楽はあまり好きじゃないとか、滝本さんは男性アイドルグループが好きだという話になった。私が滝本さんの音楽的嗜好に同意したときだった。

「へえ、赤羽さんて、そう言うの聞くんですね。意外でした」

滝本さんが言った。

「あんなの良いですか?」

次は武田君が言った。彼はとっても嫌いだという口調だった。

「昔から洋楽とか聞いていたけど、アイドルも聴くんだよ」

私は答えた。

「普通洋楽聴いていたら、アイドルは嫌いにならないですか?」

武田君が言う。

「だいぶ前だけど小学生の女の子と仲が良かったときがあって、その子はね、アイドルがすごく好きでね」

私はきっかけを簡単に話した。

「その子に影響されたんですね。」

子供が好きだという滝本さんが言った。

「まあ、そう言うことだね。懐かしいね」

そう言いながら私は空になったグラスを隅に置くと、滝本さんが店員を呼ぶ。

「それは親戚の子じゃなくて?」

店員に空いたグラスを渡しながら武田君が言う。

「近所の子だったんだ。だから良く遊ぶことがあったんだよ」

私はイナのことを話し始めた。



 一九九五年、二月。私がイナと初めて話したのはこの頃だった。私は地方都市に住んでいた。地方ではあるのだがそれなりに大きい街だと思う。私は当時高校二年生でイナは小学二年生だった。イナは私の実家の隣に住んでいた。何年も前から小さな女の子が住んでいるという記憶はあったが、私とはほとんど交流したことはなかった。

 そんなとき、私は学年末テストで家の帰りが早かった。だが家に入ろうと思っても玄関の鍵が閉まっていた。家族は誰も中にいなかったのだ。私はどうしたらいいかと考えながら家の前の道路に出た。すると一人でボール遊びをしている女の子がいた。それがイナだった。私はそんな様子をぼんやり眺めながら、母親が帰ってくるのを待っていた。

するとボールが私の方へと転がってきた。私はそれを拾ってイナに転がしてあげた。彼女は

「ありがと」

と笑って答えた。その笑顔から考えると、特に人見知りをするような子では無い様だ。しばらくするとまた私の方にボールが転がってきた。私はボールを拾って彼女に転がしてあげると、ジェスチャーでボールを要求した。私は今まで小さな子供と接したことがあまりなかった。だからどのようにコミュニケーションをとれば良いかわからなかった。初対面の人と同じように、子供と打ち解けるのはやや時間がかかると思った。それは子供でも同じだろう。人見知りする子供に対して打ち解けるように優しい顔で接しようとする大人はたくさんいる。でも私の場合は逆だったと思う。一般で考えられるような大人と子供の関係が入れ替わっていたと思う。それだけ親しみやすそうな笑顔だった。私とイナはそのまましばらくキャッチボールをした。

 私の母は隣の家と近所付き合いがあったので、イナのことをよく知っていた。そのおかげでイナはよく家に来るようになった。土曜日、日曜日の昼なら私が確実にいるとイナは覚えていてよく遊びに来たのだ。キャッチボールしたり鬼ごっこしたり、私の部屋に来たりして紙に落書きして遊んだりした。

 私は今まで子供のことを好きでも嫌いでもどっちでもなかったと思う。それがこの出来事がきっかけで自分が子供好きなのだとわかった。



 高校三年生になった。私は亜季と去年と同じクラスになった。ただこの頃はそこまで仲がいいという訳ではなかった。確かに私にとって一番話しかけてくる女の子であった。それでもよく話すという間柄でも無かった。

「はい、これありがとう」

亜季はこの間私が貸したCDを返しながら言った。

「どうだった?」

私は彼女に聞いた。

「うん。まあまあかな」

その答え方は全然まあまあとは言えなかった。この頃、私の好きなロックバンドはキャリア最高の売り上げとなるアルバムを発表していた。それを亜季に貸したのだが、反応はいまひとつであった。私のクラスでは洋楽を聴く男子は四,五人ほどだった。そして私と同じ趣向を持つ友人はいなかった。何とか私と好きな音楽を聴いている人を増やしたかったのだ。そんなとき亜季が何かCD貸してと言ってきたのでそうしたが、それは空振りに終わった。

「この間小さな女の子と遊んでいたでしょ」

亜季はどうやら私とイナのことを見かけたようだった。

「ああ、見ていたの?」

「いいお兄ちゃんって感じだったよ」

「そうかい」

「赤羽君の家はあの辺なの?」

「そうだよ」

「じゃあ、今度行くね」

「うん、いいよ」

亜季の言っていることはどうせ冗談だろうと思って私は承諾した。

 このとき私は亜季と席が近かった。私の後ろに彼女が座っていたのだ。だから私によく話を聞いてきたのだった。普段は家で何をしているかと大学の志望校はどこかとかそんな話をしていたと思う。私も最初は適当に会話していた。でも彼女は私の話を笑って聞いてくれるので悪い気はしなかった。今思えば一番楽しいときだったのかもしれない。なぜなら彼女のことを一番覚えているのはこの頃だと思うのだ。



 ある日定期テストで早く帰宅したときだった。自転車を車庫の隅に入れていると後ろから声がした。

「お兄ちゃん」

振り返るまでもなく、イナとわかった。

「もう帰ってきたの? 」

イナは私に走りよってニコニコと笑う。私は彼女の頭をなでた。

「ふん、セクハラ」

笑いながらイナは言う。

「なんだと」

私はそう言って彼女の頬をもちろん痛くないようにつねる。それでイナはまた笑う。

 よくイナは私の部屋に来た。そして小学校の宿題をやることが多かった。私も彼女と一緒に受験勉強をしていた。あまり私は大学にこだわっていなかったので、彼女は邪魔という存在ではなかった。むしろ楽しみにしていた。ふとイナは私の部屋の棚を見た。棚に並んでいるCDを見ている。

「これなに?」

イナは私の洋楽のCDを指差して言う。当然彼女には説明してもわからないだろう。

「音楽のCD」

私は一番無難な答えを選んだ。

「じゃなくて、誰のCD」

「お兄ちゃんの」

「だから!」

イナは不機嫌になったのでちゃんとアーティスト名を言ってあげた。やはり彼女はつまらなさそうな顔をした。

「もっと他の無いの?」

私はイナが聴くような音楽を持ってなかった。

「イナは何聴きたい?」

私はそう質問すると、イナは男性アイドルグループの名前をあげた。彼女はテレビに良く出ているアイドルが大好きだったのだ。てっきり子供向けのテレビ番組の曲が好きだろうと考えていたのだ。


 この当時、邦楽にも洋楽にもヒット曲がたくさんあった。一年中聴く曲に困ることは無くて私の音楽はいつも「今」を見ていた。当時私はカセットテープで音楽をよく聴いていた。CDは高価で頻繁に買えなかったのだ。そこでレンタルショップでCDを借りてカセットテープにダビングして聞いていた。テープはCDのように簡単に曲は飛ばせない。その作業が面倒くさいので私はテープを最初から最後まで聴いていた。繰り返し聞き込んでいって漠然とした音楽を具体的な自分のものにしていった。テープは次第に伸びていった。それは自分が音楽とともに生きていった証だった。

 私はレンタルショップでイナの好きなアイドルのCDを借りて、テープへとダビングした。それを部屋で彼女と聞いていると、たくさん私にアイドルのことを教えてくれた。以前まで私はアイドルが大嫌いだった。クラスでは私と同じような音楽を聴く人がいない。一方でクラスでは邦楽が大人気だった。そのうちのひとつにアイドルが含まれていた。一度それでロックバンドを馬鹿にされたことがある。アイドルの方が上だと。たったそれだけのことで私は邦楽を特にアイドルを憎むようになっていた。イナのおかげで私はアイドルを知るようになった。そしてなぜ人気があるのかを理解していった。


 私が大迫さんの事務所の採用面接に行ったとき、小さな地球を作った。私にとって一番自信のある嘘だったからだ。しかし大迫さんはそれをあまり気に入ってくれなかった。その理由はそれだけじゃ見てくれる人を惹きつけないということだった。時間をかけてみてくれるような嘘をつきなさいということだった。

 つまらないものは簡単に判断されるのだ。数秒で関心を失う。それは今まで私が嫌っていた邦楽に似たようなものがある。そして面白みを見出していくには時間がかかる。テープを伸びきるまでに曲を聴いたり、嘘を細部までそして最後まで見るように。そうして鑑賞している人が自分なりの理解を持つまで。言い換えれば私の嘘もミュージシャンの曲も観ている人、聴いている人の理解が加わるまで未完成と言えるのではないだろうか。

 イナに嘘をつくのはもう少し先のことだ。しかしこの小さな部屋で彼女と過ごした時間は後の私にとって大きな経験となったと思う。



 店員が新しい飲み物を持ってきた。私はそこで話を一旦やめた。滝本さんがビールのジョッキを私に渡しながら言う。

「そういうことがあったんですね。カセットテープは懐かしいですね」

「滝本さんも使っていたの?」

武田君が言う。

「小学校では現役でしたよ。今月の歌とかクラスで朝に歌うやつ。そのときにクラスにカセットテープが配られて使っていましたよ」

布巾でテーブルを自分の周りを拭きながら滝本さんが話した。

「あったね。似たようなのが僕の小学校にも」

武田君がビールを片手に言った。

「今は携帯オーディオプレイヤーだからね。好きな音楽も嫌いな音楽もこれに入れれば全部一緒。昔は少ない小遣いで本当に聴きたい音楽のCDを買っていたよ。それで元を取るために何回も繰り返し聞いていたね」

私は昔を思い出しながら話した。

「もうあまりCDは使わないなあ」

武田君は腕を組んで上を見上げながら言った。

「デジタル化が進展して今まで大切に聴いていた音楽もそうじゃなくなった気がするね」

私はそう言った。

 そこで少し間が空いた。そして滝本さんが私に聞いてきた。

「嘘つきって練習とかすればなれるんですか?」

「いや、そう言う話は聞いたことないね。僕の場合はたまたま気づいたんだ。確かに自分の能力に気づいたあとは練習しだいで上手にはなるけど、ゼロの状態から練習してはなれないと思うよ」

「赤羽さんはその子に嘘をついたのが初めてなんですよね?」

武田君がだいぶ前に話したことを確認するように聞く。

「そうだよ。本当にたまたまだったけど」

「それで嘘つきになろうと思ったんですか?」

今度は滝本さんが聞く。

「そういえばそうかな。なんか漠然と嘘つきになりたいと思ったけど」

私は話を続けた。


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