2009年、小さな地球(7)
私はネクストに久しぶりに立ち寄った。ギルド関連のモンスターに関して打ち合わせをするためだ。私はちょうど午後に自分の得意先をまわっていて、夕方近くに来たものだからついでに立ち寄ったのだ。オフィスの隅に設けられている仕切りのついたブースで打ち合わせをする。そんなに時間はかからなかった。打ち合わせを終えて帰ろうとしたときオフィスの様子が変わっているのに気がついた。座席の配置を変えたようだ。業務提携が発表されて新規の部署が出来たみたいだからそのせいなのだろう。
オフィスを眺めてみると石川さんの座席の位置だけは変わっていないようだった。石川さんはいつもの場所に座っている。その隣では神谷君が石川さんの話を聞いている。それは石川さんが指示を出しているというよりは、しかっているような感じだった。石川さんの表情は険しく、神谷君は申し訳ございませんというような表情だった。少し私はその位置から離れているのだが、石川さんの声は時折聞こえてくる。熱が入っている様子だった。
神谷君は自分の席に戻り、鞄に書類やら何やら入れている。その表情は石川さんに怒りをあらわにしているように見えた。退社するのだろうか。私は自分の用事が終わったのでさっさとオフィスを出ても良かったのだが、少しもたもたして退出した。エレベーターで私の見計らったとおりのタイミングで彼はやって来た。
「大変だったね」
「あ、ご覧になっていましたか」
神谷君は苦笑いをした。
「どうだい? 飲みに行かないかい? おごるよ」
「え。いいんですか?」
私たちは近くの居酒屋へと向かった。
*
私たちは早速乾杯した。私はビールを一口飲んで言った。
「悪いね。せっかく早く帰れるのに」
「いいえ、誘っていただいてうれしいですよ。でも僕がいつも帰りが遅いのよくわかりましたね」
「業務連絡のメール。よく会社から遅い時間に発信しているだろ」
「ああ、そういえばそうですね」
私のところにやって来るメールはよく午後11時以降のメールがたびたびやって来ることがあったのだ。
「今日は何を言われていたの?」
「まあ、いろいろです。お前はもう今日は帰れといわれました」
彼は私たちに業務上言えないことがあったのか、ぼやかした表現を使った。
「なるほど、だから怒っていたわけだ」
「ああ、もう顔に出ていましたか」
「前に松浪さんが君は石川さんを嫌っているって言っていたもんだからね」
「いや、今日はもう本当ね… …」
そう言って彼は石川さんの愚痴を喋りだした。この間青木君に私が言っていることと矛盾しているかもしれないが、無視した。たまには彼のガス抜きも必要だと思ったからだ。きっと私たちにも言いたいことは彼にはあるのだろうけど言えない立場にあるわけだ。私は彼の愚痴に付き合って頷いていた。
考えてみれば私が大迫さんの事務所で働いていたとき、小さな事務所だったので愚痴が言えなかった。特に不満なことが無かったというのもあるのだが、事務所の人数が少ないというのもひとつの要因だったのかもしれない。人数が少ないのでその人の良いところも悪いところもよく見えたりするのかもしれない。ひとりひとりがよくわかるので、愚痴も簡単に言えないというより、家族のような一体感を感じた。大きな組織で働くと全員を良く知るのは難しいと思った。ひとりひとりが漠然とした人物に変わり、嫌うのも簡単なのじゃないだろうかと思った。
「青木君とはどう?」
「ああ、彼は謝ってくれましたよ。まあ、僕が悪いのですけど」
最近私はスタジオに言ってなかったので彼らの様子は把握してなかったがとりあえず関係は落ち着いたようだ。
「滝本さんはお元気でしょうか?」
神谷君は言った。
「元気だよ。ますます美人になっていくよ」
私は答えた。でもすぐに思い出した。
「あ、でも彼女はダメだ。総務の女の子にしときな」
私は本心ではないけどそう言った。彼はそう聞いて笑ってはいるがなんか動揺したようにも見える。
「松浪さんが言ってたよ。藤本さんのことが好きだって」
「いや、そんなんじゃないですよ」
私にはその藤本さんのことを神谷君が好きということに関して確証なんて無い。もちろん、松浪さんの見当違いだったって事もある。ただ私は単にからかって言った。
「嘘つくなよ」
私はそう言った。
「嘘つきは赤羽さんでしょう」
神谷君は言った。
「いや、これは松浪さんにも言ったのだけど。例えば君が遅刻するとするだろう。寝坊かなんかで。でも石川さんが怖いから君は言い訳で病気でしたとか、事故にあって電車が遅れましたとか言ったとする」
神谷君は頷く。
「それって僕は嘘だと思うんだよ」
神谷君にもう少しわかるように私は説明した。
「僕は人形でモンスターを作る。見た目はモンスターに見える。でも本当は人形なんだ。君は寝坊で遅刻した。でも石川さんには事故で電車が遅れたと言う。実体や事実と食い違うじゃないか。僕はそう言うのを嘘だと思うんだよ」
「ああ、なるほど」
神谷君は理解したようだ。
「だから明日にでも君は嘘つきとして転職できる。なんだったらうちに転職してもいい」
私の冗談に神谷君は笑った。
「なるほど、そういう考え方ありますよね。でも僕は少し違った考え方をしているんですよ。皆さんの嘘を見ていたりしていて思うのですけどね… …」
そのとき携帯電話の音が鳴った。神谷君の携帯だった。
「あ、すいません」
彼は携帯を開いて店の表へと向かった。
そのとき店内では洋楽の曲がかかった。私が好きだった解散したロックバンドの曲だった。国内では比較的なマイナーなバンドなのにこんなところで聞けるのは珍しいと思った。店長の趣味だろうか。このバンドはメンバーの音楽的方向性の違いといって解散した。音楽的方向性の違いとは具体的にどういうことだろう。すでにその頃バンドの人気は停滞していたし、新作のアルバムも商業的失敗という結果だった。つまり売れなくなったから解散したんじゃないだろうか。音楽的方向性の違いといえば格好がつくから、多くのバンドはそう言うことを言い訳にしているんじゃないかと考えた。
それは私たちで言う一身上の都合により退職という文言と似ていると思った。そこには人間関係を理由に退職したり、やりたいことが見つかったというのもあるだろう。私もそうだった。でも明確に何かやりたいということでもなかった。このままじゃダメだということも考えた。それはとても漠然としていた。退職理由はきっと説明することは難しいと思う。私も今でも何故独立しようとした、何故事務所をやめたと聞かれても明確な答えは出ないかもしれない。
「はい、失礼します」
神谷君は携帯で話しながら戻ってきた。
「国見さんでした。資料が見つからんと言ってました。解決しましたけど」
そう言いながら彼は携帯を畳んでポケットにしまう。そのとき彼の携帯電話のディスプレイがちらりと見えた。黒い画面に青い球体が映っている。私がついた嘘の小さな地球だった。彼は相当気に入ったのだろう。あのとき彼は会社への資料として写真を撮っていたのだと思った。いや、それもあるかもしれない。でも彼はあの小さな地球を気に入っていたのだろう。私は少し嬉しくなってしまった。思わず笑っていたのだろう。神谷君は聞いてきた。
「どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「いや、今日はどんどんやって。ご馳走するから」
曲が変わった。またあのバンドの曲だった。解散した年に発表したアルバムからシングルカットした曲だった。
「僕、この曲よく聴いていたんだ」
「へヴィメタですか? こういうのを聴くんですね」
「いや、へヴィメタというより、まあこのバンドは他の違った曲もやるけどね」
私はそう説明した。
「まあ、もう解散したバンドだけど。もう10年位前だったね」
私はふと思い出したことがあった。
「十年前で思い出したけど、ユートピア98って知っている?」
「ええ、知ってますよ。昔のフリーゲームですよね。僕らが作っているようなゲームらしいです」
「それに何か知っているのかい?」
「いや、僕もそう言うゲームがあっただけって言うことしか知らないんですよ」
「そうか」
私は十年以上前のゲームだから仕方ないと思った。
「でも、大迫さんはご存知ですよ」
「え、そうなの?」
私は驚いた。
「ええ、大迫さんはあのゲームをプレイしたことがあるんだそうです」
意外にも知っている人は身近にいた。しかもプレイまでしているとは思わなかった。神谷君は知っている限りのことを私に話してくれた。
「僕が最初あの事務所に行ったときに話してくれたのです。うちの開発のゲームのことを話したらユートピア98のことを話してくれたんですよ。あの人も嘘つきですから、テストプレイを依頼でもされたのでしょうね。ただ当時どういう風にプレイをしていたのかまでは聞いてはないですけど。大迫さんに聞けばわかると思います」
私は神谷君と最初に会ったことを思い出した。
「君は最初僕のところに来たときのことを詳しく話してくれないか」
「ええと、最初大迫さんの事務所に来て、そこで赤羽さんがすでに退職されて事務所を開業していると聞いて行ったんですよね」
「その前のことを覚えているかい」
「ダイナソー・エキスポを大迫さんの事務所でやっていることを調べてそれで行ったんですよね。あ、そう。そう。そのダイナソー・エキスポのことを知っていたのは国見さんなんですよ」
「国見さんが?」
「そうですよ。あの人がそのイベントのことを知っていて、それで大迫さんの事務所に行けばモンスターの作ることが出来る嘘つきがいるだろうと」
「なるほど、それで僕のところに来たわけだね」
私は大体のことがわかった。そして考えをまとめて話し始めた。
「青木君の数式は扱う人間が少ないそうだ。当時もおそらく間違いなくその数式を扱う人間が嘘の上塗りをしてあのゲームを作ったんだろう」
「まあ、そうでしょうね」
神谷君はそういった。
「そしてゲームの舞台だ。あの仮想空間もそうそう作れる嘘つきはいないと思う。まさかどこかの空き地を借りて作るなんて無理だろう」
「そうですね。それだと目立ちすぎですよね」
「国見さんがやったんだな」
「ええ、そうなんです。別に隠していたわけじゃないんですけどね」
神谷君は残ったビールを飲んでから話した。
「もともと大迫さんと国見さんは知り合いだったそうです。それで赤羽さんのところへやって来ることができたわけです。僕も多分そうだろうと思って聞いてみたら、国見さんに聞いたらやっぱりそうでした。深くは聞かなかったですけどね」
「おそらく、そのときにウムラウトの試作品が出来ていて、テストプレイをしていたというわけか」
「おそらくそうだと思います。ウムラウトのことは僕も知りません」
やはりユートピア98は国見さんが制作に携わっていた。あと数人の嘘つきが絡んでいるんだろう。ただそこまでわかっていただけで、あとはこれ以上わかることは無かった。
「じゃあ、松浪さんも青木君も気付いているだろうなあ」
私は言った。
「まあ、うすうす気付いているでしょうね。でも赤羽さん気付くのが少し遅いですよ」
神谷君がそう言った。
「あ、いや、まあうすうす気付いていたけどね」
私は笑って答えた。
「嘘ですね」
私たちは笑った。
*
とりあえずユートピア98のことはわかった。国見さんも神谷君も隠しているわけではなかった。ただあのゲームに国見さんが関与していることは知られても別に問題は無いと思う。ただ神谷君はどこか腫れ物に触る感じでその話題について話している感じだった。私もそうだった。それはユートピア98の配信停止の理由だった。あのゲームは炎上騒ぎが起こって配信停止となったことがいつか見たホームページに書いてあったからだ。私はそれがずっと気になっていた。でもそれは簡単に国見さんに聞ける雰囲気じゃなかった。




