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小さな地球 / 卓上の世界  作者: 板日優子
小さな地球の始まりと卓上の世界の終り
15/44

1997年、卓上の世界(5)

 日が暮れてきた。僕はずっと北の門でノゾミの帰りを待っていた。小高い丘をずっと見つめる。外で遊んでいる親子が家に帰る時間になった。そのとき彼女の姿が見えてきた。歩き方はしっかりしているし、どこも怪我している様子は無かった。彼女は来たときと同じで僕に気付くとニコッと微笑んだ。

「まさか、ずっと待っていたの?」

「はい」

「なんで?」

彼女はものすごく当たり前のことを僕に聞く。

「何でって、ノゾミさんが心配だったからです」

「本当に? うれしいわ」

彼女は笑顔で言う。そのとき僕は少し気付いたことがあった。彼女のことを心配するのは当たり前のことだと思った。でも今まで僕は誰かを心配したことなんてあったのだろうか。彼女の帰りは時間を見計らってから待てばよかったのだ。彼女が村を出発したあと、家に帰るなり時間を潰してから、またここへ戻ってくればよかったのだ。そんなことを考えると彼女が驚くのも喜ぶのも当然だと思った。

「あなたのおうちはどこ? 行ってみたいわ」

「わかりました」

僕は彼女を家に案内することにした。僕の家に誰かが来るなんてタツヤ以来だった。


 家に着くと、僕は彼女に椅子に座るように進めた。彼女は今日武器屋で買った腰にさしている剣を部屋の隅に置いてから椅子に座った。そして彼女の正面にテーブルをはさんで座る。彼女はまた珍しそうに家の中を見回す。

「綺麗なおうちね」

「ありがとうございます」

彼女の一言に僕はお礼を言った。僕らはしばらく黙っていた。ノゾミは何か言いたそうな表情しながら、ときおりクスクスと笑う。

「どうしたのですか?」

「ううん、何でもないの。それより見て」

彼女は腰に掛けている革の袋から赤く光る何かを取り出した。それは炎だった。炎なのに彼女は手に持っている。

「ほら、手を出して」

彼女の言われるとおり、僕は右手の手のひらを差し出す。そして彼女はその炎を僕の手のひらへと置く。熱くはない。手でしっかりと握り締めてみる。宝玉だった。メラメラと炎が燃え盛っているが、それは間違いなく宝玉だった。

「これがフォイヤの炎なんですね」

「そうよ。洞窟で取ってきたわ」

彼女はまさしく予言の戦士だった。村長のいうとおりの人だったことになる。でもこの女性にどうしてもそんな力があるとは思えなかった。

「もう今日は遅いからまた来週にでも村長に見せに行くわ」

僕の視線は宝玉と彼女の顔を言ったり来たりした。

「何か聞きたいことがあるようね」

彼女は僕の視線を把握したらしい。

「洞窟では何も無かったのですか」

「ええ、魔物が出たけどまだ序盤だからね。私一人でもまだ行けるわ」

「どういう意味ですか?」

僕がそう言うと彼女は笑って答える。

「ううん、またこっちの話よ。他にも何か聞きたそうね」

彼女の言うとおり僕は気になったことを聞いてみようと思った。

「ノゾミさんは、一体どこからやってきたのですか?」

「遠いところから。でもどこかと言われても答えたところでタツヤさんにはわからないと思う」

彼女は答えたようでどこかはぐらかした答え方をした。

「タツヤさんのことを知っていますね?」

僕はもう一度確認してみた。

「ええ、タツヤ君のことは知っているわよ。あなたの話は最初から聞いているわ」

「じゃあ、僕はどこからやって来たのかご存知でしょう?」

彼女は少し黙った。そして歯切れの悪い感じで答え始めた。

「ごめんなさい。私には答えられないのよ。ごめんなさい」

彼女は僕に謝った。彼女は少し困惑していたような顔をした。僕はこの村に来て初めて誰かに悪いことをしたような気がした。

「すいません」

僕は彼女に謝った。

「ううん、気にしないで。でも今日一日で様々な、初めての感情をあなたの中で入り乱れたはずよ」

彼女は僕の今日の気持ちを全部読み取っているようだった。本当にその通りなのだ。彼女は間違いなくいろんなことを知っている。そして僕にはわからないことが増えるのだ。

「タツヤさんもノゾミさんもこの村人とは何かを違ったものを感じます」

「そう。どういうところが?」

「二人と話していて、僕はいろんな感情が湧くんです。どう言えばいいかわかりませんが、ノゾミさんがさっきでもそうですが無事に帰ってくるかどうか心配だったし、村を案内して何ていうか… …」

「なんて言うか?」

僕は答えられなかった。彼女は僕をじっと見ている。いや、見つめていると言えばいいんだろうか。しばらく黙り込んだあと、僕は話題を変えた。僕は戸棚にしまっていた十ゴルト硬貨を出した。

「僕はこれを持っているんですが、道具屋の主人はこれで商品を売ってくれなかったんです。でもあなたは商品を買えた。これがよくわからないのです」

「そうね。そう思うわよね。そのお金は私のような旅人にしか使えないの。あなただけじゃないわ。この村人の誰でもそのお金は使えないの。でも旅人は使えるのよ」

僕は半分納得したような、納得が行かないような気がした。でも彼女の言うことは妙にもっともらしかった。それで僕はそれがそういうものだと思った。

「ここはあなたがいるところよりも珍しいところなのですか?」

「うん。珍しいわ。これからもたくさん旅人が来るけど、その人たちも珍しがるわ」

「ここにたくさん旅人が来るのですか?」

「そうよ。くるわ」

「何をしに来るのですか?」

「旅人はみんな予言の戦士なの。私だけじゃないのよ」

僕にはまたよくわからないことが増えた。わからないことが増えすぎてもうどうでもよくなってきた。そんな私の様子を悟っていてか彼女はこういった。

「あなたにはたくさんのわからないことがあると思うの。でも私はそれに答えることは出来ないの。じきにわかる日が来るわ」


 僕は黙って聞いていた。そして彼女は椅子から立ち上がって、座っている僕の左手をつかんだ。彼女の手は温かかった。それは僕の不安、疑問それ以外の様々なこと、それらを全部どうでもよくしてしまうほどの温かみだった。彼女の手の柔らかみで僕の心は不思議に落ち着いていく。彼女は手を握ったまま、僕にその場に立つように促した。そして彼女はベッドに座る。僕もそれに応じてベッドに腰掛けた。彼女はずっとそのまま手を握ったまま、僕の隣に座っていた。しばらくすると彼女は顔の右頬辺りを僕の胸に寄せた。彼女の手の柔らかさ、温み、そして髪の香り。それはとても不思議なものだった。しかしそれは僕がこの村にやってきて感じた不思議さとは全く違うものだった。

 僕らはずっとそのままそうしていた。僕は彼女に聞きたいことがたくさんあった。でもそれらを全て聞いてしまうともうこの家にやって来ない気がした。もちろん村にもやって来ない気がした。だから僕はもう彼女に聞くことは無いと思った。窓の外はすっかり真っ暗になっている。私がこの時間まで目覚めているのは多分初めてだと思う。部屋のランプがこうやって灯るのも初めて見た。

 

 彼女は僕の胸から顔を上げた。

「もう帰らなくっちゃ」

そう言ってゆっくりと立ち上がった。僕の胸は急に涼しくなった。ようやく彼女から渡されたままの宝玉に気付いた。ずっと右手で握っていた。

「これ返さないと」

「あ、忘れてた。ありがと」

彼女はニコッと微笑んだ。彼女は最初に来てから喋り方が変わった気がする。彼女は腰の革の袋に宝玉をしまい、剣をさした。僕ら二人は家を出て南の門へと進んだ。


 南の門の前に進むと彼女は立ち止まって話し出した。

「すごい星空ね」

彼女は上を見上げて言った。僕も星空を見上げる。

「僕も夜空を初めてみたよ。考えてみれば初めて見たよ。いつも日が暮れるとすぐに家に帰って眠るんだ」

僕は彼女の顔へと視線を戻す。周りの民家の窓からの明かりで彼女の顔が見える。その顔はまた嬉しそうに笑っていた。

「何?」

僕は何か彼女が言いたそうな表情に見えたので聞いた。

「いいや。最初、村に来たときと比べてだいぶ話し方が変わったねと思って」

僕は気付いた。僕は敬語を使うのをやめていた。すいませんと謝ろうと思ったら彼女は僕に言った。

「いいの。これからもそれでいてね」

彼女は僕の右腕を数回たたきながら言った。

「今日は楽しかったよ。また遊びに来るからね。一緒にお話しようね」

彼女は言った。そう言って手を振る。僕はそれを黙って見ていると、

「もう、こういうときはお互いに手を振るものなのよ。また会おうねって」

彼女は少し怒った感じで話した。それで僕も手を振った。洋服を着てどうと聞かれれば似合うよと答える。手を振れば手を振る。今日僕はそれがわかった。

「じゃあね」

彼女は石造りの砦へと帰っていった。僕は彼女がみえなくなるまで見送ろうと思ったがさすがに暗すぎたのですぐに見えなくなった。だから石造りの砦にたどり着いただろうと思われる時間まで少し長めに南の方角を見つめていた。


 僕は家に帰るまで彼女の別れ際に言ったことを思い出した。「今日は楽しかったよ」その一言だった。そうなのだ。今日彼女を村に案内したとき抱いた感情は僕が楽しかったことだったのだ。僕のいつもの日常と全く違うものだった。わからないことだらけの一日であったけれど、僕には楽しかったのだ。僕が村人への喋り方とノゾミへの喋り方が変わっていた。これも僕のわからないことのひとつだった。でもそれは僕を困惑させないものだった。彼女のことをもっと知りたいという距離が近づいた感覚がした。そしてまた彼女がこの村にやってくるのが楽しみになってきた。


 家に帰って僕はベッドにもぐりこむ。そしてノゾミのことを何回も思い出した。そういえば彼女は着てきた服を防具屋へ預けたままだった。僕はおかしくなって笑った。この村へ来て初めて笑ったのだ。次に目覚めるときは土曜日か日曜日かどうでもよかった。そして僕の意識は途切れていった。


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