2009年、小さな地球(5)
「赤羽さんは昔の彼女とか、好きな人の嘘をつける?」
松浪さんはもう一度私に聞いてきた。
「私は一度、前の彼氏を描こうと思ったわ。でも怖くて出来なかったの。私は嘘をつくとき対象を頭でイメージしながら書くわ。その点でも赤羽さんと一緒だと思うのよ。そして彼氏の声、しぐさ、性格などをね、イメージしながら描くの。でもそれは多分出来ないのよ。私は彼の一体何を知っていたんだろうって。確かに楽しい思い出とかあるわ。でも彼の怒ったところとかあまり見ていないし、泣いたところなんて一度も見たことも無いの」
「もし嘘をついたらどうなる?」
「多分、理想上の彼になってしまうでしょうね。まるでロボットよ。男友達の間ではどんな人なのかとか、仕事で同僚と上司とかとどう関わっているのかなんて知らないの。私とは会話できるかも知れない。だけど、例えば赤羽さんと会話させてみると途端に嘘がバレて成り立たなくなって消えてしまうでしょうね」
私は彼女の話を聞いて、以前綾香を人形で作るとどうなるか、ふと考えたことがあった。私は綾香の泣いたところを見たことは無い。綾香の裸も見たことは無い。そして私のことをどう思っていたのかもはっきりとわからない。人形に嘘をついて彼女の姿を作ることは出来るだろう。知らない部分は適当な写真でも見て済ませておけばいい。でも私の知っている彼女は多分知れているのだ。性格も足りないところは私のイメージを流し込んで補ってもいい。でもそれは私の勝手なイメージなのだ。実現しない理想上の姿なのだ。綾香に最後に会って八年が経った。彼女は今どんな姿をしているだろうか。
「いつ嘘つきって気がついたんだ?」
私はふと彼女に気になったことがあったので聞いた。
「高校生の頃よ。芸術の選択科目を私は美術にしたの。昔から絵を描くことが好きでね。でもそのとき授業中に自分が嘘つきだと気付いたの。みんな驚いていたわ。リンゴのスケッチだったんだけど、私の机の上にもうひとつリンゴが置いてあったのよ。その日からもう絵を描くことが出来なくなったの。絵を描いたら嘘となって出てきちゃうわ。それで美術は全部レポートになっちゃった。だから絵は仕事以外で描かないことにしているのよ」
「じゃあ、あのゲーム内の建物はずっと建ったままなのかい?」
「ううん。私のスケッチがあるでしょう? それを破り捨てたり、消したりすれば無くなってしまうわ。赤羽さんはいつ嘘つきと気付いたの?」
「昔、近所に小学五年生の女の子がいてね。よく遊びに来ていたんだけど、その子の宿題を見ていたことがあってね。そのときその子のペンケースのキーホルダーがシロクマの人形だった。それを触って僕は人形劇のことをふと想像したんだ。それで人形が動き出してね。その子は喜んでくれたけど、僕は驚いてしまってね。僕が二十歳の頃の話だよ」
「赤羽さんは普段うっかり物を触れないわよね」
「いいや、そうでもないよ。人形とか、ぬいぐるみとかうっかり触らなければ。ごく短時間触っても特に問題ないし。とりあえず日常では特に支障は無いけどね」
私はそう答えたあと、話の本題に入ることにした。
「その女の子だけど、今だと多分二一歳か、二二歳なんだ。でもその子の嘘を作り上げようとしても当時の十一歳の女の子なんだよ。今の姿はもう全然わからない。十年間の記憶の空白なんて埋めることは出来ないんだ。それにその子の顔も忘れつつあると思う。そっくりそのまま作ることは出来ないんだ」
「そうね。私もそうかもしれないわ。彼の顔を思い出してかけるかもしれない。分かれたのは二年ほど前だし。でも昔の友達とかやっぱり無理ね。記憶の中のままの姿だわ。やはり私たちの作るものは嘘なのよね」
彼女は私の言うことに納得した。
「まあ、誰でも嘘はつくさ。その辺の人でもね」
「何を言っているの?」
彼女は私の言うことがわからないらしく聞いてきた。
「例えば一ヶ月前に君が会議室に呼ばれたことあっただろ?あれは街の空き地のことだと思った」
「ええ、そうね」
「でもあのとき僕が何の話なのかを聞いても、君はどうせ答えないか適当なことを言ってごまかすだろ?」
「ええ、あのときまだ誰にも喋るなって言われていたから、そういうことになるわ」
「それも嘘なんじゃないかと僕は思うんだ」
「つまり?」
「君は空き地の事を知っていたのに、知らないとか違うことを言ってごまかす。それが嘘なんじゃないか。まるで嘘つきが本物とそっくりのニセモノを作ることと同じじゃないか」
私がそう言うと声を出して彼女は笑って言った。
「そうよね。それも嘘だわ。全く真実と違うことを言っているわね。赤羽さんは面白いことを考えるのね。あのときの会議のときにね、神谷君が遅刻してきたの。でも石川さんが怖いせいか、取引先の電話が長引いたって言っていたの。でもあの子、総務の女の子と楽しくおしゃべりしていたわ。あれって会議のこと忘れていたのよ。あの子も嘘つきね」
「総務の子って?」
「総務の藤本さん。きっと神谷君あの子のこと好きなのよ」
「ああ、あの子は可愛いものね。あの子の嘘をついて神谷君に告らせてみるか」
「赤羽さん、それは残酷よ」
私たちはそう言って二人で笑った。
*
結局11時まで私たちはそこで飲んでいた。店を出て駅の広場にいると人ごみは多少解消されていた。地下鉄はまだ運転再開していなかった。私たちは普通の電車で帰ることにした。私たちは駅の改札を通って立ち止まって会話した。私と松浪さんは路線が違うからだ。
「じゃあ、僕はこっちだから」
「今日はとても楽しかったわ。また誘ってもいいかしら」
「ドラマのヒロインか。お前は」
彼女の言ったことがテレビで見た台詞のように聞こえたので私がそう言うと彼女は笑った。
「そうね。どこかで聞いた台詞ね。でも本当よ。今日は楽しかったわ」
「僕もだよ」
それで私たちは二人それぞれのホームに降りた。ホームに降りると、向こう側に松浪さんがいた。私に気付くと、彼女は手を振ってくれた。私もそれに応えた。
*
家に帰るまでの道で今日のことを思い出した。とても楽しい夜だった。簡単に比較は出来ないが、こんなに楽しいのは綾香と食事をして依頼だったのかもしれない。綾香の記憶が途絶えて十年近くが経った。そしてイナはあの頃の綾香と同じくらいの年齢になっている。あの子はやはり誰かを好きになっているんだろう。あの子はなんとなく綺麗な女性ではなく可愛い女性になっていそうな気がした。あの頃と同じくやさしくていい子でいるだろうか。私は携帯音楽プレイヤーでイナが好きだった男性アイドルの曲を聴いた。私とイナはよくこのアイドルグループの話題で会話していた。そんなことを思い出しながら帰っていった。
前もこういうことを思い出しながら帰ったことがある。それはそういえば最初の制作部での飲み会の帰りだった。そのときは綾香のことを思い出してつらくなってしまったが、今日は違った。松浪さんのことをよく知れてよかったと思う。私は松浪さんのことをこのまま好きになってしまうのだろうか。それとも松浪さんにはすでに好きな人がいるのだろうか。それはひょっとすると国見さんなのかも知れない。私は漠然と考えた。しかしそれはすぐにどうでもよくなって私は考えるのをやめた。そしてまた松浪さんのことを考えた。今日彼女が喋ったこと、彼女の顔を思い出す。
彼女はそう言えばこんなことを言っていた。今ゲームを作ることに集中しすぎている感じがすると。ゲームが正常に動くことを考えているのかと。ふと私はユートピア98のことを思い出した。あのゲームはどうやって作って、そしてどうやって動かしていたのだろう。配信停止の理由も気になった。クラフトアベルクの人で誰か知っている人がいるかも知れないと考えた。




