2008年、小さな地球(1)
今年の梅雨入りもどうやら例年より早いらしい。もう異常気象ということ自体が平年並みといえるのかもしれない。今朝から降り続いた雨は正午をまわっても止まずにいる。今日は運良く外回りが無かった。おかげで私は取引先からの資料にずっと集中できる。私は今テレビドラマ関係の仕事をしている。今回はタレント犬の担当なのだ。別に犬の演技指導とかをするのではない。人形に嘘をついてニセモノを作り出すのだ。
私の職業は嘘つきだ。等身大の犬のぬいぐるみに向かって嘘をつく。そうすると見るからに生きていて、走り、そして吠えるニセモノの犬が出来上がるのだ。TVドラマの資料、つまり絵コンテには、膝をすりむいて傷だらけの小さな女の子が、ダンボールの中の捨て犬に対してしゃがんで傘を差し出しているシーンが簡単なスケッチで描かれている。どこかで見かけたような光景である。もちろんどこかのドラマかなんかで。次のカットでは犬の顔のズームになり瞳から涙が流れるという展開が描かれていた。普通のタレント犬では涙を流すのは難しいので私の嘘に白羽の矢が立ったのだ。私は少し考えた後、多分大丈夫だろうと見通しを立てた。嘘で作ったニセモノに涙を流させるのは比較的簡単な命令で出来そうだったからだ。
撮影に対してあまり問題は無いだろう。ただ視聴率は少し気になるところだ。特に目立った内容でもなく、悪い意味で普通といえる出来だった。この仕事で私の名が売れるのは期待できそうになかった。なんとかニセモノの演技に注目してテレビの取材が来るといいのだが。独立して事務所を立てて三年ほどが経ち、私は今年で三十歳になった。特に毎日の予定が無いという訳ではない。二人の部下がいるくらいの小さな事務所だが、経営はとりあえず心配無いと言っていいだろう。ただ新しいことをやりたいと思っている。普段はペット関連の嘘が多い。動物の人形に嘘をつき、ニセモノとして作り上げる。細かい注文があるなら、人形に嘘を吹き込む際に一緒に命令を出す。「ずっとおとなしく寝てろ、吠えるな、愛想よくカメラに向かってポーズをとるんだ」そういう具合に。
仕事が安定して得られているのはありがたいことだが、たまには別の嘘をついてみたいと私は思っていた。チャンスはどこかにあると私は考えている。例えば最近の映画だ。全部がもちろんそうとは言えないが、最近の映画の主流はリアルなCGが売りになってきている。しかしそれは誰がどう見てもやっぱりCGなのだ。本物の質感は無い。味気も無い。しかし私のニセモノは違う。触るとバレてしまうが、見る分には本物と全く同じなのだ。きっと映画にも私たち嘘つきが必要とされる日が来ると信じている。ところが嘘をつくのは時間がかかることだ。もしも宇宙人が登場する映画を作れといわれても、実態はリアルに作れるかもしれない。ただ動かすとなると話は別だ。犬といった実在する生物は大丈夫なのだが、見たことも無い空想上の生物を動かすイメージを作り上げるのは長い時間と高い集中力が必要なのだ。おそらくCGで処理したほうが時間も費用もかからないだろう。いつも自分の嘘が必要とされるチャンスがあると信じてみても、現実のことを考えると少しげんなりしてしまう。
三時ごろになって電話がかかってきた。事務の女性、滝本さんが応対する。
「はい、少々お待ちください」
滝本さんは私のほうに向かって
「赤羽さん、クラフトアベルク・ネクストの神谷さんという方から電話です」
クラフトアベルクといえばゲーム会社しか浮かばなかったが、ちょっと違う会社名だから別の会社かもしれないと思った。私は滝本さんに言われたナンバーを押して通話のボタンを押す。
「お世話になっております。私、クラフトアベルク・ネクストの神谷と申します。ゲームのモンスター制作のご依頼をしたくてお電話させていただきました」
神谷という人はゆっくりとはっきりと用件を告げたので、私もはっきりとその意味を理解できたが、それと同時にチャンスが来たのかもしれないと姿勢を正した。
「詳しいお話をさせて頂きたいのですが、今からお時間とかよろしいでしょうか?」
幸い私には今日は外出する予定は無い。
「ええ、今日は外出することも無いので、神谷様のご都合でよろしいですよ」
「そうですか。それでは三時半ごろに伺わせていただきます」
そうして互いに失礼しますと言って電話を切った。
やはりクラフトアベルク・ネクストはゲーム会社だった。私は気になってインターネットで検索してみた。調べると今年の四月に新しく設立した会社らしい。ただし特に目立った製品を発売している訳でもなかった。ただニュースリリースの欄には「新作大作RPGの制作発表」と書いてあった。家庭用ゲーム機「ウムラウト」対応のソフトらしいが私にはよくわからない。
「滝本さん、ウムラウトって何?」
「ああ、今度できる新しいゲーム機ですね。今から三年後くらいですよね?仮想空間でゲームできるらしいですよ。マンガみたいに自分の体がワープするとか。もしかして買ってくれるんですか?」
滝本さんは笑顔で聞いてきた。つくづくこの子は男性に頼る笑顔が上手であると思った。大雑把な理解だとゲーム機「ウムラウト」で仮想空間に自分の体がワープする。そしてそこでは多くのプレイヤーが集いゲームを自分の体で体験できる。まるで映画のような設定だ。するとこの会社は私にそのゲームに登場するモンスターを作ってくれという話なのだろう。
そんなことを考えていると営業の武田君が帰ってきた。ペット専門雑誌の仕事の受注に行って帰ってきたのだ。武田君は帰ってくると真っ先に私の所に来て報告に来た。いつも特に変わったことも無いので簡単に済ませると自分のデスクに戻った。彼はコーヒーを淹れてきた滝本さんと談笑している。
武田君は二十七歳。独身。大学でラグビーをしていたらしく、大きな体格をしている。一八〇センチは身長があると思う。彼は私が独立した当初から営業をやってくれて、プレゼン資料の制作や雑務も率先してやってくれていた。しかし、さすがに彼も毎日遅くまで残業になると可愛そうなので、滝本さんを事務として採用した。彼女は二十四歳の独身。非常に小柄で身長一五〇センチもあるのだろうか。とても華奢な体で可愛らしい女性だ。履歴書の写真で武田君のイチオシで決めたのだ。武田君には営業と滝本さんの教育係を任せた。それ以来、彼は今まで以上に仕事のモチベーションが上がったらしい。彼と彼女のやり取りを見ていると、ほのぼのしたものを感じる。それと同時に何か懐かしいような寂しいような感じもした。
*
予定よりも五分ほど早くクラフトアベルク・ネクストの神谷さんがやってきた。私の事務所はそんなに広くない。入り口から私のデスクまで十メートルも無いと思う。だから一番奥の私のデスクからでもすぐに彼の来訪がわかった。彼は小柄でメガネをかけていている。営業をするような感じの人には見えなかった。どちらかといえばお役所で窓口に立っていると安心するような優しそうな青年だった。私は名刺交換をして、それから応接ブースへ彼を案内した。そのとき彼は右手に鞄を、そして左手には紙袋を持っていた。手土産かなんかだろうか。今日は雨で大変だったでしょとかそんな定型的なやり取りの後、神谷さんは資料を私に差し出して本題に入った。
「電話では簡単だったのですが、今回は赤羽様に弊社で制作するオンラインRPGのチームメンバーになっていただきたいのです。三年前のダイナソー・エキスポのお仕事を拝見してモンスター制作担当に是非ともお願いしたいのです」
「よくそんなイベントを調べましたね」
私は驚いた。
「ええ、あのイベントの資料から最初に大迫様の事務所を伺ったのです。そしたら赤羽様が独立されてここで事務所を開いているということを聞きまして」
それを聞いて私は彼の持ってきた紙袋の中身がわかった。大迫というのは私が依然働いていた嘘つきの事務所だった。大学を卒業して私は五年ほどそこで働いていた。いつも仕事ではさまざまな嘘を私につかせてくれた。ダイナソー・エキスポもそのひとつである。それは私が大迫さんの事務所でついた最後の嘘だったし、作り上げた嘘はティラノサウルスだった。たくさんのお客さんが私の作り上げた嘘の写真を撮っていた。あれ以来ずっと私の作り上げた嘘はずっとカメラが向けられている。ただそれは全く違った意味であるが。
「だいたい話はわかるのですが、モンスターといってもたくさんありますよね?複雑な動きとか、サイズも大きいものもあるのでしょう?作るには私ひとりだと出来るかどうかわからないですよ」
私は率直に不安に感じていることを言った。
「ええ。そこで赤羽様にはモンスターの見た目だけ作っていただきたいのです。モンスターの動き、特に火を吹くとか魔法を使うとかありますよね?そういうのは別の嘘つきの方が担当していただきます」
「つまり、私はロボットを作る。そして別の嘘つきがコントローラーを作る。」
私は半分理解した程度だったので自信の無い例えを使って聞いてみた。
「ええ、そうです。まさにそのとおりだと思います。今、他方でそういう嘘つきの方にもお誘いを出しているのです」
神谷さんはそう言った。
「モンスターの人形はですね、これくらいの大きさなのです」
神谷さんは右手の人差し指と親指で人形のサイズを示した。私から見るとアルファベットのCのような形である。それはマッチ箱よりも少し小さめの大きさに見えた。
「別の嘘つきが人形を小さくするということですか?」
私は何故嘘つきが大きい人形をわざわざ嘘をついて小さくさせるのかわからなかったが、これくらいしか思いつかないので聞いてみた。
「ええと、ちょっと違うのですが別の嘘つきが絡んでいるのは間違いないです。でもこれだけの大きさの人形だったら作りやすいのではないですか?」
どうやら私の答えは全く外れていたようだ。しかし確かにその大きさならニセモノを作るには短い時間で済むだろう。
「ええ、それなら全然問題無いと思います」
モンスターの嘘を作り上げる点はどうやら何とかなりそうだった。たださっきから神谷さんの言っている別の嘘つきの事が私は気になった。
「嘘つきは何人いるのですか?」
「ええと、五人くらいになるのではないのでしょうかね。今回のゲームは嘘で作り上げるので、それぞれ皆さん自分のパートに分かれてやることになりますよ。」
私は今まで他の嘘つきと言えば大迫さんくらいしか知らなかった。今回は私以外の嘘つきが少なくとも四人は集まるのだという。一体どんな嘘をつく人たちなのだろう。ゲーム制作もそうだが、私は他の嘘つきにも大いに関心が湧いてきた。その後に私は出来るだけ思いつくことを神谷さんに聞いた。今後の流れ、契約のこと、ゲーム制作中も自分の個別の仕事も続けたいという事などだ。そしてゲームの開始は二〇一一年一月頃だという。ウムラウトの発売とあわせるのだという。非常に長い仕事になる。私の嘘つきとしてのキャリアに重要であることには間違いないだろう。
最後に神谷さんは思い出したように私に聞いてきた。
「失礼ですが、赤羽様は人形以外にも嘘をつけるのでしょうか」
「基本的には知的生命体の形をしたもの、例えばマネキンとか動物のぬいぐるみとかそれに嘘をつくことが多いですが、その他の物でも出来る場合もありますよ」
私は席を立ち上がって自分のデスクの上に置いてある地球儀を取って、応接ブースへと戻った。
「滝本さん、悪いけどさ、ここの電気だけ消してくれるかな?」
そう言うと、滝本さんは自分の事務作業を中断して席から立ち上がり、電気のスイッチを切ってくれた。私たちのブース周辺だけ暗くなった。