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青春研究部  作者: 琴坂伊織


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2/7

雨の中の告白を再現せよ

 放課後の、少し埃っぽい教室の中。


 黒瀬先輩は、使い込まれた手帳を広げると、今日の研究テーマを宣言した。


「今日は『雨の中の告白』を再現する」


「先週も言いましたけど、外は快晴ですよ」


 俺は窓の外を指差し、「見てくださいよ」と告げる。


 空は、こちらが申し訳なくなるほどに晴れ渡っている。この一週間、雨どころか雲の一片すら現れなかった。


 けれども、先輩が揺らぐことはなかった。


「相沢さん。例のあれを」


 先輩の短い合図とともに、相沢さんが机に歩み寄る。布の覆いが取り払われると、とぐろを巻いた無機質なゴムの塊が姿を現した。


「ホースです。これ以上ない逸品を調達しました」


「こっちも準備万端ですよ! 雨音のSE、バッチリ仕込んでおきました!」


 小山田くんがスマートフォンの画面をこちらに向けてくる。光る液晶画面と、彼らの静かな、けれど異常なまでの熱を孕んだ瞳。


 その執念に、俺はただ圧倒されるしかなかった。


「では次は、どのように告白するかだが……」


「バッチリ調査済みです、先輩!」


 言い終わるのを待たず、小山田くんが勢いよく挙手した。


「まず一つ目。追いかけて、雨の中で叫ぶパターン」


「全力で追いかけて愛を叫ぶ、古い映画のようなやつですね。少なくとも俺には、その羞恥心に耐えられる心臓はありませんが」


 俺が冷めた口調で言うと、残りの三人も、重苦しいほど深く頷いた。


「それじゃあ二つ目。傘を差し出して、静かに想いを告げるパターン」


「情緒があるな」


 どこか感心したように、黒瀬先輩が独り言を漏らす。


「そして最後は、雨宿りで図らずも距離が縮まり、重なる吐息に抗えず、自然と唇が――」


「その案は没です」


 相沢さんの冷ややかな、けれど余裕のない声が響いた。遮る速度は、彼女の動揺をそのまま映しているようだった。


「……流石に、これはないですよね」


 早口に言い切った相沢さんに、俺も深く頷いて同意を示す。


「いいだろう。ならば決定だ。傘を差し出し、雨音に紛れさせるようにして、静かに想いを告げる。これでいく」


 先輩の鶴の一声で方針は定まった。だが、真に厄介な議論はその先に待っていた。


 果たして、誰が「愛」を語り、誰がそれを「受ける」のか。配役を巡る議論は、瞬く間に泥沼の様相を呈し始めた。


「告白する側はNGだ。視線すら合わせられない臆病者に、想いを伝える資格なんてない」


「僕は、告白される側を熱望します!」


 小山田くんが拳を握って宣言する。


 ――待て。嫌な予感がした。この配役だと、受動側に回るのは小山田くんと黒瀬先輩だ。当然、どちらも男である。


 青春の研究。その言葉は万能ではない。何が悲しくて、俺は男に向かって愛を乞うような真似をしなければならないのだろうか。


「私はホース役に徹しますね」


 唯一の女性である相沢さんは、涼しい顔で残酷な宣告を下した。彼女が戦線離脱したことにより、俺が「告白する側」という火中の栗を拾うことが確定する。


「……なんで俺なんですか」


「消去法です」


 相沢さんは、一分の曇りもない瞳で即答した。


「……まぁ、いいですけど」


 結局、押し切られる形で承諾すると、俺たちは屋上へと移動した。


 相沢さんがホースを構え、いつでも人工の雨を降らせられる準備を整える。小山田くんが流す雨のSEも、無駄にクオリティが高い。


 準備は整った。あとは俺が、定位置に佇む小山田くんに愛を囁くだけだ。


 ――うん、どう考えても正気の沙汰じゃない。


「相沢さん、降らせてくれ。最高の雨を」


 黒瀬先輩の合図と同時に、重い破裂音が響いた。


 ホースの先を空に向け、しとしとと情緒ある雨を演出するつもりだった――のに。


「これじゃ消火活動ですよ!」


「痛い痛い! 頭皮に直撃して禿げる!」


 俺と小山田くんの絶叫が轟く。降り注ぐ水の暴力に抗う術はなく、三秒後、びしょ濡れとなった俺たちが立っていた。


「すみません……。事前に練習しておくべきでした」


 濡れた前髪を指先で払いながら、相沢さんが頭を下げた。足元のコンクリートには、彼女から滴り落ちた水が丸いシミを作っている。


「次は蛇口、そっとですよ。爆発させるのは一回で十分ですから」


「……はい。慎重に、やります」


 彼女は蛇口のハンドルを数ミリ単位で動かす。微かな金属音と共に、ホースの口から透明な筋が伸びた。


 飛沫は霧のように散り、俺たちの視界に、ささやかな雨のカーテンが引かれた。


「TAKE2……スタート!」


 静寂を切り裂くように、黒瀬先輩の声が響く。


 合図とともに、俺は手に持った傘の柄を強く握り込んだ。ゆっくりと、湿った空気を押し分けるようにして小山田くんとの距離を詰めていく。


 こちらを見上げる小山田くんの顔には、どこか熱を帯びた、乙女のような羞恥が浮かんでいた。


 そのあまりに真に迫った表情に、俺の脳裏には「彼には特殊な趣味があるのではないか」という拭いがたい疑惑がよぎった。


「……なんて言えばいいんですか」


「……」


 黒瀬先輩は手帳を繰るものの、視線は彷徨ったままだ。きっと、書き込まれた予定など何ひとつないのだ。


「漫画なら『ずっと好きだった』が定番ですよ!」


 びしょ濡れの小山田くんが、待ちきれないとばかりに声を弾ませる。


 俺は重たくなった服のまま、仁王立ちで応えた。


「『ずっと好きだった』……」


 小山田くんの瞳を真っ直ぐ見据え、これ以上ないほどの棒読みをぶつけた。


 スピーカーから流れる雨のSE。アスファルトを叩くホースの濁った水音。静まり返った空間に、それだけが湿っぽく残った。


「……やっぱり、私が告白されます」


 このどうしようもない空気を裂くように、相沢さんが動いた。


 小山田くんにホースを預けると、俺の正面に立った。水を含んだ制服は重く、完璧だったはずの髪が頬にまとわりついている。


 それなのに、彼女の背筋はあくまでも真っ直ぐだった。その立ち姿に、俺は目を逸らせない。


「どうぞ、真田くん」


 困惑に足をすくわれそうになりながらも、俺は相沢さんに向き直る。


 女子に告白。俺の想像力は、そのあまりに高いハードルを想定できていなかった。こんなことなら、小山田くんに百回告白する方がよっぽどマシだ。


 早くこの気まずさから逃げ出したくて、俺はやけくそ気味に言葉を絞り出す。


「……ずっと、好きだった」


 告白の直後、演出のすべてが死んだ。


 スマホから流れていた雨音のSEが、電池切れで唐突に途絶える。同時にホースの水圧も死んだ。


 小山田くんが「きゃっ」と乙女のような悲鳴を上げ、慌てて蛇口を絞りすぎてしまったせいだ。


 あとに残ったのは、ぽた、ぽた、と虚しく地面を叩く水滴の音だけ。


 完璧にタイミングを外した静寂。その真ん中で、相沢さんが――


 吹き出した。


 声を漏らし、少し形を崩して笑う。いつも凛として整然とした彼女にはおよそ似合わない、どこか心の重荷が取れたような笑い方だった。


「……ふふ。ごめんなさい、真面目にやろうとしたんですけど」


 その笑いは、瞬く間に伝染した。


 堪えきれなくなった黒瀬先輩と小山田くんも、吹き出すように笑い始める。


 ずぶ濡れになった四人が、屋上の上で肩を揺らして笑い転げる。端から見ればこの上なく滑稽で、けれど、胸のすくような晴れやかな静寂がそこにはあった。


 実験の幕が下り、びしょ濡れの服を着替え、俺たちは並んで駅へと向かう。


 道中、黒瀬先輩は手帳に今日のまとめを書き込んでいた。ブツブツと、呟きが漏れている。


「今日の研究結果。雨の再現、技術的に要改善。告白の台詞、事前準備が必要。ただし——」


 ふと、ペン先が止まる。


「笑いが生まれたのは想定外の収穫だった」


 ふと後ろを振り返ると、相沢さんが数歩遅れて歩いていた。


 俺は意識して、自分の歩幅を彼女のそれに合わせる。隣に並んだタイミングを見計らい、ずっと心の隅にくすぶっていた問いを口にした。


「相沢さんって、どうしてこの部に入ったんですか?」


 相沢さんは視線を落とし、しばらく自分の靴先を見つめていた。やがて、小さく吐息をつくように答える。


「……完璧でいなくていい場所が、欲しかったのかもしれません」


 それきり、彼女はまた前を向いた。


 追及を拒むような横顔に、俺はそれ以上何も言えなくなる。ただ、彼女がこぼした言葉の重みだけが、沈みゆく夕日のように胸の奥へと沈殿していった。


 翌日。喧騒の入り混じる廊下で、相沢さんとすれ違った。


 彼女はいつも通り完璧な優等生の顔に戻っている。生徒会の後輩に何か指示を出しながら、すたすたと歩いていく。


 ——昨日笑っていたのは、本当に同じ人間なのか。


 不意に、すれ違いざまの視線が、わずか一秒に満たない刹那だけ俺を捉えた。


 言葉はない。けれど、彼女の口元の緊張がほんの少しだけ、春の雪が溶けるように緩んだ気がした。


 相沢さんの気配が遠ざかるのと入れ替わりに、スマホが電子音を立てた。黒瀬先輩からの、有無を言わさぬメッセージだ。


「次は花火大会を研究する……先輩、七月まで待てないんですか」


 ツッコミ気味に返信を送ってみたものの、反応はない。おそらく彼の頭の中では、もう次の会議のシミュレーションが始まっている。


 返事を待つだけ無駄か。俺は軽く肩をすくめ、スマホをポケットにしまい込んだ。

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