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「前進」と「後退」が怖い

作者: みさきれお
掲載日:2026/02/02

某アニメの某登場人物が「『変化』が怖い」って言っていたのをふと思い出しました。

それと近いのかもしれませんが、私は「前進」と「後退」が怖い。

ずっと昔からかと言われるとそういうわけでもなく、最近?ここ一年くらいで感じるようになった。

具体的に何が怖いんだろう。で、なんで怖いんだろう。


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【具体的に何が怖いんだろう】

例えば朝起きた時。起きたら動いて準備をしなくてはいけないわけですが、身体を起こして歯を磨いて顔を洗って朝食をとって…それが面倒である以上に怖い。

例えば食器を洗う時。水を出して洗剤とスポンジを馴染ませて、シンクに溜まった食器を一つずつ持ち上げゴシゴシ丁寧に擦り洗っていくわけですが、必然洗い終わった食器は視界の左側にあるキッチンペーパー(もしくは吸水タオル)の上に積み上げていく形になります。洗い終わったものは干さないといけないから。それがなんだか怖い。

例えばゲームをする時、本を読む時、音楽を聴く時。ゲームはプレイすればするほど実績なり進捗度なりストーリーなりが積みあがって進行されていく。本は読めば読むほど行数が進んでいってページが減っていって、音楽は…まぁいいや。

仕事なんて最たるもので、一つやったら次のもの、それが終わったら次のもの、と次から次に仕事が振ってくる。


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【なんで怖いんだろう】

終わりがないことが嫌というより、「やったら進む」「進んだら次の地点に身を置く」「その地点で進むか止まるか後退かする」という「連続」が負担なんだと思います。「前に進むことは誇らしい、進めば進むほどより進む」…という、その連続に巻き込まれているような気がする。人生の至る所で、私は私を進めなくてはならない。とはいえその同調圧力?評価の目?とも少し違って、「進めば進む」という「進んだ分"進んでしまう"」という当たり前のことが怖い。「進む」という無機質なシステムに私がいつの間にか身を置いていることが怖い、みたいな。そんなシステムきいてない!そんなルールきいてない!知らない知らない!!ってなる。

私は私の気ままに私の自由に生きていたいし生きているだけやっているだけなのに、進んでいるかどうかは意識していないはずなのに、私のやったことが成長や建設性や自律度合い・充実度合いで語られてしまう文脈がごくごく当たり前に存在している。

その事実が恐ろしい。


で、その文脈を無視できない、意識してしまっている。なによりもここ。


勿論「そんなこともないよ、『規則正しい生活』が必ずしも個々人の人生の充実度に直接寄与するわけではないよ」というような意識も、そのようなおおらかな余裕ある気持ちも持ち合わせてはいるのですが、例えるなら私の中の裁判官がうるさいとか以前に、私の中の法律がうるさい。法律をこっそり破ろうとしても、六法全書を大音量で流すアドトラックが自分の脳内を周回運転してるみたいな、そういうストレスがある。


私の一挙手一投足を、「進んでいるかどうか」で語れてしまう文脈があること、それ自体が怖い。


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【「後退」も怖い】

ここまで来て、「はいはい、何かをすることが負担になるほど脳みそが疲れているのだから何もしないべき。何かが出来るようになるまでそのエネルギーを充電するべき」と思うのは言うまでもなく。

しかし、その「何もしない」ことも、「進んでいるかどうか」で見てしまって「停滞」であり、ひいては「停滞」って建設性の文脈で言うと最早「後退」じゃん!って思ってしまって辛い。また進んでしまうことが怖いから止まる、という場面も少なからずあって、そういうモチベーションで取った休みは消耗戦みたくなってしまって休んでいるようで休めない。また今進むか今止まるか、で言ったら当然動けるうちは動いた方がいいという風に思ってしまって、止まる時間を延々と先延ばしにする……という行動が建設性を損なわせている気がするから早めに止まって休もうと決める…という選択が心理的に物凄く大きな負担になる。こんなこと考えないでさらっと休みたい。

(とはいえ休むことも仕事のうちって言うし、後退なんてことは絶対にないんですけど、でもこの「休むことも仕事のうち」っていうフレーズが怖いまである。休むこと遊ぶことをそういう解釈する文脈があるんだ、こわーいって意識しちゃう)

まぁそうは言っても休むんですけどね。目を瞑って眠ればそういうことも考えないで済むし。私は私の"生きたい"ように"やりたい"ように"休みたい"ように生きているのであって、別にそれは私が"充実させたい"ように"成長したい"ように"建設したい"ように生きているのではないのよ。って思う。思うようにしている。


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【原因って】

していますが、そうやって、もはや強迫的みたいになっちゃってるのが何よりも良くないのかな、と思います。

いうて別に、生きたいようにやりたいように休みたいように生きられなくてもいいんですよね。行動や思考を起こした切っ掛けはなんでもいいし、その結末も、後始末も反省も解釈もなんだっていい。

自分の行動が「進んでいるかどうか」だったり「自分に素直であるか」を判断しなくていい。

むしろ、なんであれ自分の思考や行動を定義しようという評価しようというその発想が危ない。

もっと本能で生きていい。その場その時に素直でいい。宵越しの考えも持たないで生きていい。


私は生まれつき小食でお酒にも弱く、ご飯も飲みの場も楽しみきれないところがあったのですが、

最近になって徐々にですが楽しめる感覚を掴めるようになってきました。

また読書をするだとか、美術館とか博物館に行くだとかは小さい頃から好きなので、

あとは目を瞑ったり風景を眺めたり散歩をしたりも好きなので、

他には演劇活動をしたりひたすらに文字を書いたり打ったり(この文章もそう)するだとかも好きなので、

そういう行動を独りで過ごしたり、誰かと過ごしたりする中で、その時間そのものに浸れる瞬間が増えてきたようにも思います。


というのも本来、行動なんてジャンル分け出来るようなものですらないとも思うんですよね。

その行動が「前進」か「停滞」か「後退」かなんて、ある一側面からの解釈、多面的な評価の内の一つに過ぎなくて、多面的である時点で、また評価である時点で別にそれを受け入れる必要なんてない。


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【怖い】

そうなんですよね。

そうって、分かってるんですけどね。。

でもやっぱり、怖いんですよね。

分かっていても自分が「進んでいるかどうか」を意識してしまって、怖い。

なんか変な話、神社の境内に行った時自分が罰当たりなことしてないかが不安になる時みたいな。

混雑する電車の中で自分の立ち位置や手の位置やバッグの位置が誰かの邪魔になってないか不安になる時みたいな。

初めて入った個人経営のラーメン屋で自分がマナー違反してないか不安になる時みたいな。

そういう暗黙の了解やマナーと同様に、私の中で「進んでいるかどうかを無視すること」自体が、一つのタブー意識のようになっているんだと思います。

生きている以上は、社会に参画したい以上は、多少なりとも進まないといけない。

その意識が大きく自分の周りをうろうろと散開していて、必要以上の行動やジャンルにまで首を突っ込んできている。

あらゆる行動に共通して、そのタブーを犯していないかみたいな恐怖意識がずっと自分に根付いていて、それが辛い。


で、辛くて怖くて、進んでいるかどうかを意識してしまうから、私はこの文章を書いて、わざわざネットに公開しているんだと思います。

ネットに公開するって、進んでいる行為だからね。

お陰様でちょっと一安心。


ここまで読んでくれてありがとうございました。

前進も後退も怖いなって言う、お話でした。

おしまい

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