サイドストーリー:堕ちた太陽が見る悪夢
俺の人生は、生まれた時からイージーモードだった。新興IT企業の社長である親父のおかげで、金に困ったことなんて一度もない。欲しいものは大抵手に入ったし、周りにはいつも俺をチヤホヤする奴らが集まってきた。顔もまあまあイケてる方だと思うし、サッカー部ではエースストライカー。学校っていう狭い世界で、俺は紛れもなく王様だった。世界は俺を中心に回っている。本気でそう思っていた。
そんな俺が次に狙いを定めたのが、白鷺院麗華だった。学年一の美人で、旧華族の令嬢。成績優秀、品行方正。その完璧すぎるスペックは、まるでゲームのラスボスみたいで、逆に俺の攻略欲をそそった。周りの奴らは「あれは無理だろ」「住む世界が違う」なんて言っていたが、俺に落とせない女はいない。そう高を括っていた。
「おい隼人、面白いこと聞いたぜ。あの白鷺院さん、ずっと『ヒーロー』を探してるらしいぞ」
ある日、ツルんでるダチの一人が、そんなゴシップを仕入れてきた。ヒーロー?なんだそりゃ、ダッセェの。ガキみたいなこと言ってんだな、あのお姫様は。最初は鼻で笑ったが、俺の頭にある悪魔的な閃きが舞い降りた。
――もしかして、これ、使えるんじゃね?
俺は早速、麗華に接触を試みた。最初は警戒していた彼女も、俺の爽やかな笑顔と強引なアプローチに、少しずつ心を許し始めた。そして、俺は核心に迫った。
「白鷺院さんってさ、探してる人がいるんだって?」
俺がそう切り出すと、彼女は驚いたように目を見開き、そして、頬を染めながら、ぽつりぽつりと語り始めた。小さい頃に公園で助けてくれた男の子の話。中学生の時に不良から庇ってくれた男の子の話。そのあまりに純粋で、物語を信じ込むような瞳に、俺は確信した。こいつはチョロい、と。
「それ、全部俺だよ」
俺は、さも当然のようにそう言った。一世一代の大博打。だが、俺には勝算があった。
「え……?」
「公園でハンカチ貸してやったろ?膝、擦りむいて泣いてたじゃん。あと、中学の時の不良、マジでやばかったよな。俺も結構殴られたんだぜ、あれ」
麗華から聞き出したエピソードを、あたかも自分の体験のように語る。我ながら、なかなかの演技力だったと思う。麗華は、信じられないという顔で俺を見つめ、やがてその瞳にみるみる涙が溜まっていく。そして、震える声で「……やっと、会えた」と呟いた。
やった。完璧にハマった。
軽い気持ちで仕掛けたヒーローごっこは、想像を遥かに超える大成功を収めた。罪悪感?そんなもの、あるわけがなかった。あるのは、難攻不落の城をいとも簡単に陥落させた、最高の達成感と優越感だけだ。
俺と麗華が付き合い始めたというニュースは、すぐに学校中の知るところとなった。「マジかすごい」「どうやったんだよ」と、俺への賞賛は止むことがなかった。俺は得意げに「まあ、運命ってやつだよ」と嘯き、隣で恥ずかしそうに俯く麗華の肩を抱き寄せた。彼女の純粋な好意は、俺という存在をさらに輝かせる、最高のアクセサリーになった。
彼女は、俺のことを本物のヒーローだと信じ切っていた。俺の言うことなら何でも聞いたし、その瞳は常に崇拝の色を浮かべていた。それは、あまりに甘美で、心地の良いものだった。
「隼人さんが、私のヒーローでいてくれるなら、私は何でもします」
そう言って、彼女は俺に全てを捧げた。初めて彼女の体に触れた夜、俺は征服者としての喜びに打ち震えた。あの気高く、誰もが手を伸ばすことさえできなかった白鷺院麗華が、今、俺の腕の中で喘いでいる。この事実は、何よりも俺の自尊心を満たした。
俺は、その興奮を仲間と共有したくてたまらなかった。SNSのグループチャットに、下品な言葉で彼女との夜のことを書き連ねた。
『白鷺院、マジでチョロすぎw ヒーローごっこしたら一発よ』
『ベッドじゃめちゃくちゃ素直で笑える。俺がヒーロー様だからなw』
今思えば、それが全ての終わりの始まりだった。だが、当時の俺は、世界が自分のためにあると信じて疑わなかった。この行為が、自分自身を破滅へと導く時限爆弾のスイッチを押したことになるとは、夢にも思っていなかった。
異変は、ある日突然やってきた。
朝、テレビをつけると、見慣れた親父の会社のロゴと共に、「不正利用」「粉飾決算」という不穏な文字が躍っていた。なんだこれ、デマだろ。そう思って会社にいる親父に電話したが、繋がらない。その日から、俺たちの生活は一変した。家の前にはマスコミが張り付き、親父は憔悴しきった顔で帰ってきては、部屋に閉じこもるようになった。母親はただ泣いているだけ。昨日まで当たり前だった豪華な食卓は、質素なものに変わった。
「隼人、お前の親父さんの会社、やばいんじゃねえの?」
学校に行けば、ダチだったはずの奴らが、嘲笑うような、あるいは腫れ物に触るような視線を向けてくる。俺は虚勢を張って「デマに決まってんだろ!」と怒鳴り返したが、足が震えているのを自分でも感じていた。
そして、追い打ちをかけるように、第二の爆弾が投下された。
ネット上に、俺の過去の非行――未成年の飲酒や喫煙、万引きの写真が、次々と晒されたのだ。それだけじゃない。最悪なことに、あの、麗華とのことを自慢していたSNSのスクリーンショットまでが、完全に拡散されていた。
学園の空気は、一瞬にして変わった。昨日までの賞賛は、一夜にして軽蔑と非難に変わった。誰も俺に話しかけてこない。俺が廊下を歩くと、モーゼの十戒のように人が避けていく。向けられるのは、ゴミを見るような冷たい視線だけ。俺は完全に孤立した。
そして、学校からは無期限の停学処分を言い渡された。家に帰ると、差し押さえの赤い札が貼られた家財道具と、泣き崩れる母親がいた。親父の会社は、破産した。俺たちが住んでいた豪邸も、高級車も、ブランド物の服も、全て失った。俺たちは、全てを失って、都心から遠く離れた、陽の当たらない古いアパートの一室に転がり込んだ。
狭くて、カビ臭い六畳一間。それが、俺の新しい城だった。
親父は酒に溺れ、母親はパートで疲弊し、家庭は完全に崩壊した。俺は、布団にくるまって、ただ天井のシミを眺めるだけの毎日を送っていた。
その時、俺はようやく気づいたのだ。
この一連の出来事は、偶然ではない。全て、仕組まれたことだったのだと。
白鷺院麗華。俺が弄んだ、あのお嬢様の、冷徹な報復。
俺は、彼女の家がただの旧家だと思っていた。だが、違ったのだ。白鷺院という名前が持つ本当の力、その影響力を、俺は致命的なまでに甘く見ていた。たった一人の少女のプライドを傷つけた代償は、俺の、そして俺の家族の人生そのものを破壊するほどの威力を持っていた。
「……なんで、あんなことしちまったんだろうな……」
暗い部屋の中で、俺は何度もそう呟いた。
後悔。
生まれて初めて、俺の心を支配したのは、その感情だった。
軽い気持ちだった。ほんの遊び心だった。あんな嘘が、まさかこんな地獄を招くなんて、誰が想像できただろうか。
もし、あの時、あんなくだらない嘘をつかなければ。
もし、彼女の純粋な気持ちを、真摯に受け止めていたら。
いや、そもそも俺にそんな資格はなかった。俺はただ、彼女の純粋さを利用し、踏みにじり、そしてそれを自慢の種にしただけだ。
彼女は、俺のことを信じていた。心の底から、俺を「ヒーロー」だと信じて、全てを捧げてくれた。その信頼を、俺は裏切った。最も下劣な形で。
俺は、彼女に謝りたかった。土下座して、許しを乞いたかった。だが、今の俺に、そんな資格はない。そもそも、彼女に会うことすらできない。俺は、彼女の世界から完全に抹殺されたのだ。
失って初めて、その価値に気づくとはよく言ったものだ。俺が失ったのは、金や地位、友人だけではなかった。俺が失った最も大きなものは、一人の少女からの、穢れのない信頼だった。もし、俺があの時、まともな人間だったら。彼女の信頼に応えられるような男だったら。俺の人生は、もっと違うものになっていたのかもしれない。金では決して買えない、本物の何かを、手に入れることができたのかもしれない。
だが、全ては手遅れだ。
俺の未来には、もう何もない。光も、希望も、何一つない暗闇が、永遠に続いているだけだ。
時々、夢を見る。
麗華が、俺を軽蔑した目で見下ろしている夢だ。彼女は何も言わない。ただ、その氷のように冷たい瞳で、俺を見つめているだけ。俺は、その夢の中で、何度も何度も「ごめんなさい」と叫び続ける。だが、声は出ない。
そして、汗びっしょりになって目を覚ます。そこは、カビ臭い、暗いアパートの一室。変わらない現実が、俺を嘲笑っている。
因果応報。
その言葉の意味を、俺は今、この骨の髄まで染み渡るような絶望の中で、噛み締めている。俺が太陽だった日々は、もう二度と戻ってはこない。俺は、自らが作り出した悪夢の中で、永遠に生き続けるのだ。




