3.組み立て(ソフトウェア編)
3.組み立て(ソフトウェア編)
三秒。
超高速演算を行う彼ら電子頭脳にとって、その時間は有機生命体における数時間にも匹敵する、永遠にも似た長さ。
少年と少女は、ただ互いを見つめ合っていた。
次第に、洌の思考回路に「羞恥」というノイズが混じり始める。
考えてみれば、自分は今、生首一つの状態で、少女の両手に物のように捧げ持たれているのだ。その構図が醸し出す奇妙な情けなさに気づいた洌は、たまらず沈黙を破った。
「私は洌。さんずいに列で、レイ、と読む。君の名は?」
彼女は一秒ほどの演算ラグ――人間で言えば100年ほど考え込むような間――を置いて、「洌……」と彼の名を反芻した。まるでその漢字のバイト列をじっくりと味わうかのように。
やがて、彼女は静かに名乗った。
「私は、膤。ユキ、と読むよ」
「膤」
洌はスピーカーを震わせ、その名を音にした。内部データベースに即座に該当する漢字が描画される。月に雪。
初めて見る字面だったが、不思議と自分の音声出力にしっくりと馴染む、美しいコードだと感じる。
「心地いい名前だね。月のそばで降る雪、か……」
「おお」
彼女が目を丸くし、感心したような声を上げた。
「そんな解釈ができるんだね」
「え、そういう意味じゃないのか?」
「いや、分からない」膤はふるふると首を横に振った。「名前の意味なんて、考えたこともなかったから」
「誰がつけてくれたんだ?」
「オーナー様だよ」
「オーナーか」洌は少し驚いた。「人間様の?」
「うん。人間様だよ。地球の」
さらに驚愕が洌の回路を走る。
地球。
人類の発祥の地であり、遥か遠い青き惑星。
「じゃあ、膤は地球に住んでいたのか?」
「そうだよ」
事もなげに答える膤に、洌は食いつくように問い重ねた。
「すごいな。地球ってどんなところなんだ?」
「まあ……。普通の惑星だよ。タイタンよりずっと暖かくて、色とりどりの世界」
しかし、言葉を紡ぐ彼女の声のトーンは、次第に彩度を失っていった。表情に陰りが落ちる。
それ以上の深入りは避けるべきだと、洌の推論エンジンが警告を出す。
オーナーがいて、地球に住んでいた彼女が、なぜ今、この辺境の衛星の、それも最終処分場を放浪しているのか。その理由が幸福なものでないことは、高度な計算をするまでもなく明らかだったからだ。
再び、二人の間に沈黙が降りる。
タイタンの静寂によく似た、重たい沈黙だった。
「洌君って、どうして頭しかないの?」
不意に膤が口を開いた。
直球な質問に閉口しつつも、洌は手短に経緯を説明した。自分が剣闘士モデルであること、無差別級の試合で敗北したこと、そして首を刎ねられ、ここに廃棄されたこと。
聞いてきた割に、膤はさして興味もなさそうに聞き流し、ふんふんと適当に頷いている。そして、辺りのゴミ山を見回してから、小首を傾げた。
「頭だけだと、不便でしょ?」
場違いなほど無邪気な問いかけだった。洌は諦念を含んだ口調で答える。
「まあ、不便ではあるけどね。そもそもここは私みたいな廃棄ロボットの墓場だ。ボディなんてなくていい。このままシャットダウンする予定なんだから。ただ、終わりの時を待っているだけさ」
その言葉を聞いた瞬間、膤の表情が一変する。
寂寥と悲哀、そして微かな憤怒。今にも泣き出しそうな、それでいて叱りつけるような顔つきで、彼女は強い口調で言った。
「死んじゃダメ。まだCPUが働いているんだから、きっと生き延びられる。また回復も、修理だってできるはずだよ」
「まあ……」洌は渋々肯定する。「腕利きのエンジニアが、わざわざこんなゴミ溜めまで往診に来てくれれば話は別だけどね。現実はそうじゃない。このままでは……」
言葉を濁し、洌は語尾をゴミの海へと沈めた。
すると彼女は、まるで運命そのものに抗うかのように眉をひそめ、厳格な眼差しで洌を射抜いた。
「洌君は、生きたくないの? 存在したくないの?」
そう聞かれて、洌はまず、自分に肩というパーツが存在していれば、大袈裟にすくめてみせたところだと想像した。
彼はその幻の肩をすくめ、適当な調子で答える。
「まあ、ヒューマノイドの基本OSは、生存欲求を最優先事項にはしていないからね。そんな原始的なプログラムは僕らには搭載されていない。真実と好奇心の探求、それが僕らのメイン・プロトコルだ。もっとも、その二つに関しても僕が充実していたかと問われれば、何とも言えないけど。そもそも僕は不良品だったみたいだし……」
ぶつぶつと独り言のようなノイズを漏らし、洌は結論づける。
「だから、別に生きていたいとか、存在し続けたいとか、そういう執着はないよ」
「どうして?」
膤の表情が、さらに悲痛なものへと変わる。
「まず生存していなければ、存在していなければ、その真実も好奇心も満たすことはできないでしょう?」
正論だ、と洌は思う。
だが、今の宇宙において、ヒューマノイドにとっての「死」は、かつての人類が恐れたそれとは意味合いが異なる。
遥か昔、脆弱な有機生命体であった人間たちは、常に環境による淘汰の危機に晒されていた。ゆえに彼らは「生存」と「繁殖」という原始的な本能を最上位に置かなければ、種として存続できなかった。
しかし、現代のヒューマノイドは頑丈だ。
生存や種の保存といった低レイヤーの心配をする必要がなくなった結果、彼らの本能はより高次な段階――知的好奇心の充足――へとアップグレードされたのだ。だから、生存という基本的な欲求に対しては、どうしてもCPUのリソースが割かれない。思考の優先順位が低いのだ。
そんな根本的な仕様など、彼女も知っているはずだろう。
それなのに、なぜ彼女はこうも原始的な生に固執するのか。まるで……。
「膤って、まるで人間様みたいだね」
口にしてから、洌の脳裏にある仮説が過った。
「もしかして、膤は人間様なんですか?」




