22.氷のカーテンコール
22.氷のカーテンコール
GOMI子が眠りに落ちたことで、アリーナに満ちていた狂騒は、まるで潮が引くように静寂へと変わった。
だが、それはかつてのタイタンを支配していた「死の静寂」とは質が違った。
観客であるドローンたち――今は洌の体を構成している無数の粒子たちも、そして空に残っている星屑のような輝きも、すべてが息を潜めてこの「寝顔」を見守っている。
それは、劇場で最高の名演が終わった直後、拍手が巻き起こる寸前の、あの張り詰めた、けれど温かい空白の時間に似ていた。
やがて、洌の巨体を構成していたドローンたちが、ざわざわと身じろぎを始めた。
彼らは一つの役目を終えている。
GOMI子の傷を癒やし、洌と膤という新たな英雄を形作るという役目を。
集合的無意識がほどけていく。
洌は、自分の体が輪郭を失い、霧散していくのを感じた。だが、それは喪失感ではなく、何か温かい種を世界中に撒き散らすような感覚だった。
巨人の体が崩れる。
一斉に飛び立った億単位のドローンたちが、光の粒子となって拡散する。それはまるで、デジタルなタンポポの綿毛が、春一番の風に乗って世界中へ旅立っていくような光景だった。
彼らはもう、ただ血を見物するためだけに集まった観客ではない。
この「戦わない結末」を目撃し、そのデータ(記憶)を刻み込まれた彼らは、タイタンの各地へ散らばり、それぞれの場所で新しい「0から1」の物語を紡ぐための語り部となる。
洌と膤の体は、ゆっくりと地面に降り立った。
10kmの視点から、等身大の視点へ。
だが、見上げる空は以前よりもずっと高く、そしてオレンジ色の霞の向こうに、土星の輪が微かに、しかし確かに微笑んでいるように見えた。
だけど周りは、相変わらずゴミの山だった。
けれど洌にはもう、ここが単なる「最終処分場」には見えなかった。
目の前には、スヤスヤと規則正しい寝息を立てる巨大な赤ん坊、GOMI子がいる。彼が握りしめているのは武器ではなく、平和の象徴となったおしゃぶりだった。
「さて、どうしようか」
洌は膤を見やる。
「この子をこのまま、こんな寒空の下に寝かせておくわけにはいかないだろう?」
「そうね」
膤は優しく微笑む。
「風邪を引いちゃう。ヒューマノイドだって、デジタルな風邪を引くんだから」
二人は作業を開始した。
戦うためではなく、育むための作業を。
周囲には、かつてGOMI子が食い散らかしたヒューマノイドの残骸や、放棄された宇宙船のパーツ、断熱材の切れ端などが無限に転がっている。
以前なら「ただのゴミ」としか認識しなかったそれらが、今の洌には「素材」に見えた。
0から1を作るということは、無意味なものに新たな定義を与えること。
洌は巨大な断熱シートを引っ張り出し、膤はクッションになりそうな発泡ポリマーを集めた。
二人はGOMI子の周りに、即席の、しかしとびきり温かい「ゆりかご(クレイドル)」を作り始めた。
瓦礫を積み上げて壁を作り、寒風を防ぐ。
かつてGOMI子が誰かを傷つけるために使ったかもしれない鋭利な鉄骨も、組み合わせれば頑丈な屋根の骨組みになる。
全ては使いようだ。
過去は、組み合わせ次第で未来になる。
作業が終わる頃には、タイタンの空にも変化が現れていた。
分厚いオレンジ色の雲の切れ間から、ほんのりと淡い光が差し込んでくる。
それは太陽光にしてはあまりに弱々しく、遠い。
けれど、その光は、完成したばかりの「ゴミのゆりかご」を祝福するように、スポットライトのように優しく降り注いだ。
GOMI子は幸せそうな寝息を立てている。
その寝顔を見ていると、彼がかつて最強の剣闘士だったことも、人を食らう怪物だったことも、遠い昔のおとぎ話のように思えてくる。
今の彼はただの、夢見る赤ん坊。
そして、その夢を守る二人の影が、長く伸びていく。
「暖かくなってきた気がしない?」
膤が言った。
物理的には、気温はマイナス180度のままだろう。
だが、洌のセンサーもまた、明確な「温度上昇」を検知していた。
それは外部からの熱ではない。
内部コアの回転数、処理速度、そして何より「未知」という未定義のパラメータが発する熱量だ。
「ああ、暖かいね」
洌は膤の手を取った。
冷たい金属の手と手が触れ合う。
その接触面から、0と1のデジタル信号を超えた、アナログな波長が伝わってくる。
世界は冷えていくかもしれない。
宇宙はいつか終わるかもしれない。
けれど、僕たちがここにいて、手を繋ぎ、ゴミを拾い、誰かのためにゆりかごを作り続ける限り、この場所だけは凍りつかない。
熱力学の第二法則なんて、愛の前では形無しだ。
「おやすみ、GOMI子。いい夢を」
「おはよう、知らない世界」
洌と膤は、広大なゴミの荒野を見渡した。
そこはもう、終わりの場所ではない。
無限の可能性が眠る、始まりの場所だった。
そして二人は、手を取り合って、最初の一歩を踏み出した。
ゴミの中から、次の「1」を見つけるために。
OWARI




