18.ドクターストップ
18.ドクターストップ
洌と膤は、スラスターを噴かすように身をよじり、徐々に高度を下げ始めた。
落下地点の計算は完璧だ。目指すはあの熱狂の坩堝、最終処分場のアリーナど真ん中。
降下中、眼下にはシュールで平和な光景が広がっている。
氷山のかき氷に舌鼓を打っていた巨人型小学生ロボットたちが、空から戻ってきた「ホームランボール」に気づき、スプーンを持ったまま大きく手を振ってくれている。
洌もまた、彼らに向かって小さく手を振り返した。
さようなら、安全で楽しい夏休み。僕たちは、戦場へ帰るよ。
高度が下がり、ドローンたちが形成する銀河のような光の層へと突入する。
星屑ほどに密集していた観客ドローンたちが、主人公の帰還に気づいた。
ザッ――。
それは壮観だった。
洌と膤の落下コースを塞がないよう、ドローンの群れが慌ただしく、しかし整然と左右に退避していく。
まるでモーゼが海を割り、荒野に一本の道を拓いたかのように。
空中に、アリーナへと続く垂直の道が開かれる。
それは、「0」から「1」を生み出した英雄に対する、最大限の敬意の表れだった。
無数のドローンがサーチライトを交差させ、帰還する二人を光の回廊で迎え入れる。
全てのデータと可能性を切り拓いた「奇跡」の着地を、観衆は固唾を呑んで待ち構えていた。
威風堂々たる帰還。
だが、現実は非情だ。
このまま最終処分場の無造作でデコボコな地面にハードランディングすれば、間違いなく機体は大破する。先ほどの「情状酌量」という名の物理法則の免除は、あくまで上昇気流に乗っていた時だけのボーナスだ。落下という現実において、重力は借金の取り立てのように厳格にその代償を求めてくる。
翼を持たないヒューマノイドロボットにとって、着地とは「制御された墜落」に過ぎない。どこに落ちようと、物理的な損傷は不可避だ。
ならば、と洌のCPUは冷徹な計算を弾き出した。
どうせ砕け散るリスクを負うのなら、その運動エネルギーをただのゴミ山に吸わせるのは損失だ。
心中するつもりで、敵に叩きつけるべきだ。
ターゲットは、GOMI子の最大の弱点――巨大な赤ん坊の頭蓋に存在する、未だ骨が接合していない柔らかい隙間。
大泉門。
つまり、脳天だ。
洌は空中で姿勢制御を行った。
流体力学の演算を開始。大気の抵抗を最小限に抑えるため、膤を背負ったまま流線型を描くように手足を畳む。
背中の膤も意図を察し、尾翼のように微細な荷重移動を行うことで、彼らの落下ベクトルを補正する。
彼らは今、ただの落下物から、照準を定められた一発の誘導弾へと変貌した。
狙いは一点。GOMI子の頭頂部。
ロックオン完了。超音速の特攻が開始される。
一方、GOMI子はこの死のダイブに全く気づいていなかった。
酔いしれている。自らが放ったあまりにも完璧で美しいホームランの余韻に。
そして何より、観客の熱狂がGOMI子の目を塞いでいた。
タイタンの空を埋め尽くすドローン群から発せられる歓声の周波数が、大気との激しい摩擦を引き起こし、それがプラズマ化して降り注いでいる。
バリバリバリッ!
視界を白く染め上げる、称賛という名の雷光。
あまりに眩しいその光のカーテンが、真上から迫る破滅の影を隠してしまっていた。
「好事魔多し(こうじまおおし)」とはよく言ったものだ。
かつて栄光をもたらした観客の熱狂が、今まさに彼女の感覚を麻痺させるノイズとなっている。
過去の栄光が、現在の足枷となる。
GOMI子は世間知らずな赤ん坊の笑みを浮かべたまま、雷光の向こうの空へ向かって無邪気に手を振り続けていた。
そこへ、洌が刺さった。
ドォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!
直撃。
GOMI子の脳天を震源地として、信じがたい爆音が轟く。
それはミサイルがビルの屋上を貫通し、基礎構造ごと吹き飛ばすような破壊的な衝撃音だった。
着弾点から、爆発の柱がそびえ立つ。
それは観客のプラズマ雷光さえも呑み込み、凌駕するエネルギーの奔流だった。
粉砕された装甲と、圧縮された大気が一気に膨張し、巨大な煙の樹木を形成する。
幹は太く、頂上は平たく広がり――それはバオバブの巨木であり、あるいは不吉なマッシュルームの形をした積乱雲だった。
最終処分場の中心で、誰かが超巨大な対戦車地雷を踏み抜いたかのような大爆発。
濛々(もうもう)たる黒煙と衝撃波が、キノコ雲となってタイタンの空へ派手に、あまりにも派手に湧き上がった。
爆発の中心地。そこは本来なら、超高熱と衝撃波であらゆる物質が原子分解される死の領域だ。
だが、ここでも奇跡――いや、物理的な必然が二人を救った。
デウス・エクス・マキナのような神の温情ではない。彼らを守ったのは、膤の全身をコーティングしていた、あのネバネバとした不快なGOMI子の胃液だった。
それは単なる消化液ではない。鋭利な金属片や廃棄された核燃料電池すら常食とするGOMI子の胃壁を守るために進化した、「超高粘度形状記憶ムチン」と呼ばれる特殊生体ポリマーだ。
ダイラタンシー流体のように衝撃を受けると瞬時にダイヤモンド並みの硬度を発揮し、かつスペースシャトルの耐熱タイルをも凌ぐ断熱性を持つこの最強の保護フィルムが、爆心地において二人を包み込む絶対的なシールドとなっていたのだ。
おかげで二人は、派手なキノコ雲の中心にいながら、比較的無傷――いや、奇跡的なほど五体満足な状態でいられた。
だが、GOMI子はそうはいかない。
直撃を受けた脳天の亀裂から、脳内出血が壊れた噴水のように狂った水圧で噴き出している。
GOMI子は剥き出しになった脳髄の一面を両手で覆い、赤ん坊のように泣き叫んだ。
「ドクター!ドクター!!」
選手自らが医者を呼ぶ。それは剣闘士の試合において、最も恥ずべき敗北宣言だ。
白いタオルを投げ入れたところで、ここでは何の意味も持たない。むしろ戦意喪失とみなされ、観客からのブーイングと処刑を招くだけだ。全盛期のGOMI子なら決して吐かなかったであろうその弱音は、彼が今、精神的に脆い赤ん坊に戻っていることを如実に示していた。
だが、この弱音が予想外の事態を引き起こした。
観客たちが、自ら「ドクター」になろうとしたのだ。
タイタンの空を埋め尽くしていた星屑のドローン群が、一斉に動き出す。
それらはGOMI子の脳天の傷口めがけて、猛烈な勢いで突進を開始した。
爆発の衝撃波に乗って宙に浮き、眼下の惨状を俯瞰していた洌は、最初それを「制裁」だと思った。
弱音を吐いた英雄に対する、失望したファンたちの怒りの体当たり。リンチのような懲罰行為なのだと。
だが、違った。
それは自滅的な攻撃ではなく、狂気的なまでの献身だった。
洌と膤が見下ろす先で、異様な光景が繰り広げられていた。
剥き出しになったGOMI子の巨大な脳髄――脈打つゼリー状の平原に向かって、ドローンから次々と「乗客」たちが飛び降りていく。
観客であるヒューマノイドロボットたちが、空中でドローンを捨て、自らの身一つでダイブしていく。
ポツポツと、やがてザーザーと。
それはまさに、観客の雨だった。
無数のヒューマノイドロボットたちが、鋼鉄の「にわか雨」となって、GOMI子の傷ついた脳天へと降り注いでいった。




