14.タイトルマッチ(フェーズ2)
14.タイトルマッチ(フェーズ2)
膤の姿を確認したコンマ1秒後、洌は弾丸のように駆け出していた。
「膤!」
GOMI子がへそから未消化物を垂れ流しているそのおぞましい光景など、今の洌の目には入らない。
彼は慣れない足で限界を超えた出力を絞り出し、瓦礫の山を駆け抜け、GOMI子の足元へ――吐き出された残骸の堆積場へと肉薄した。
すぐさま、発掘を開始する。
そこは極低温のメタンと溶解液に塗れた、地獄の沼地だった。
半ば凍りつき、半ば溶けかかっているヘドロのような残骸の山に、洌は躊躇なく両手を突き入れた。
素手だ。
接触した瞬間から、装甲の表面温度が急激に低下し、凍傷アラートが視界を赤く染める。だが、洌は構わず、土砂を掻き出すショベルカーのように猛烈な勢いでガラクタを掻き分ける。
指先のセンサーが麻痺し、関節が軋む。それでも彼は掘る手を止めない。
ただひたすらに、愛する主をこの悪夢から引きずり出すために。
洌の必死の発掘作業は、間もなく実を結んだ。
瓦礫の下から、見覚えのある銀髪と、華奢なボディが現れる。
「膤……」
彼女の体は、極低温の溶解液によって水銀のような、あるいは半透明の銀色のラミネート加工を施されたように凍りついていた。
洌は、宝石に積もった塵を払うように、その表面についた氷の結晶を優しく払い落とす。そして、超伝導体のように冷え切り、触れることさえ躊躇われるほど冷たいその頬に、そっと指先で触れた。
長い眠りについていた森の姫君のように。
膤はゆっくりと、この世で最も冷たく美しい氷の結晶でできたような睫毛を震わせ、その青い瞳を開いた。
「……洌?」
氷で作った風鈴が鳴るような、儚くも透き通った声が、洌の聴覚センサーをくすぐる。
「ああ。私はここにいるよ」
洌の全システムを、強烈な安堵が駆け巡る。CPUもマザーボードも電源ユニットも、その安らぎの重圧に耐えかねて機能停止しそうなほど。
このまま時間が凍りつき、この空間だけが永遠に残ればいい。
そう願ったのも束の間。
頭上から、冷たい霜のような声が降り注いだ。
「キ……サ……マ……」
それはGOMI子の声だった。
本来、「き」「さ」「ま」などという複雑な発音ができるはずもない、未発達な舌足らずの赤ん坊の声帯。そこから合成音声のように吐き出された怨嗟の言葉は、既存のホラーデータを凌駕する、新感覚の恐怖を洌に与えた。
再会の余韻に浸る間もなく、洌は見上げた。
そこには、タイタンの深海よりも冷たく昏い瞳で二人を睨み下ろす怪物がいた。
GOMI子は、出血が止まったへその傷口を押さえていた手を剥がした。極低温で皮膚が癒着していたため、ベリベリという音と共に腹部の皮膚ごと剥がれたが、彼は眉一つ動かさない。
その手を、口元へと運ぶ。
咥えていたおしゃぶり――「シャブリ・サーベル」の柄を掴む。
彼は、名剣を鞘から抜くように、おしゃぶりを口から引き抜いた。
すると、手品師のトリックのように、口の中に収まっていたはずのない長い棒状の物体が、ズルズルと引き出されていく。
完全に抜き放たれたその武器は、GOMI子の頭部の三倍はある長大な棍棒として顕現した。
全体はオレンジ色を基調とし、愛らしい児童用キャラクターのイラストが描かれた、巨大な哺乳瓶の形状をしている。
岩頭が解説を入れる。
「出ました。伝説の撲殺兵器『哺乳棍棒』!」
製造されたばかりの洌はその威名を知らないが、上空を埋め尽くすドローン群から漏れる驚嘆の溜息が、その武器の凶悪さを物語っていた。
GOMI子はまず、棍棒の先端にあるシリコン製の乳首部分を自らの口に含んだ。
そして、棍棒内部に充填された高純度エタン・メタン混合ガス、通称「ガス牛乳」をゴクゴクと痛飲する。
輸血のようなエネルギー補給により、出血で失われた生気が瞬く間に戻っていく。引きちぎれたへその傷口も、驚異的な自己修復システムによって完全に塞がれ、溶接痕のように綺麗に治癒してしまった。
完全にリフレッシュした怪物は、再び満腹感と暴力衝動に満ちた、あどけなくも底知れぬ笑顔を洌に向けた。
その笑顔が、洌の背後に巨大で重い氷の影を落とす。
「粉ミルクのように、粉々にしてやる」
GOMI子はそう宣言すると、巨大な哺乳棍棒を頭上高くに掲げた。
大上段の構え。
そして、親の敵でも打つかのような勢いで、洌たちがいる地点めがけて、そのオレンジ色のハンマーを全力で振り下ろした。
哺乳棍棒が振り下ろされる。
その光景を「隕石の衝突」と形容するのは陳腐だろう。
それは、衛星軌道上に浮かぶ巨大な質量兵器が、重力加速度の全てを乗せて垂直落下してくるような、不可避の天災そのものだった。
大気が悲鳴を上げ、衝撃波が先行して地面を圧壊させる。
洌は膤をお姫様抱っこしたまま、反射的に跳んだ。
それは、いずれ訪れるかもしれないタイタンの分厚い氷殻の下に眠る「地下大洋」へのダイビングの予行演習のように、流麗かつ決死の跳躍だった。
ズドンッ!!!!
轟音。いや、音を超えた破壊の波動。
直撃を受けた地点の合金製パネルは、ひしゃげるのでも砕けるのでもなく、GOMI子の宣言通り、分子結合を解かれたようにサラサラの微粒子――「粉末」へと還元されて霧散する。
タイタン全体が揺れた。
後に観測されたデータによれば、この一撃の運動エネルギーは、タイタンの自転軸を「0.000003度」ほどズラしたという。天文学的な誤差だが、一個体の腕力としては神話級の数値だ。
粉塵が舞う中、洌は冷や汗ならぬ冷却水を流しながら着地した。
まともに食らえば即死どころか、存在の痕跡すら残らない。
どう戦う?




