白い朝 ― 家庭に届いた名前
朝の光は、思ったよりも冷たかった。
カーテンの隙間から差し込む冬の光が、
リビングの床に細い線を描いている。
悠真はソファに座ったまま、
昨夜から一睡もできずにいた。
机の上には、ニュースサイトを開いたままのタブレット。
そこには、まだ実名は書かれていない。
だが、確実に“彼”を指している文章が並んでいた。
「内部告発事件の中心人物は、
現在も社内に在籍する中堅管理職の可能性が高い」
「関係者によれば、家庭内トラブルが動機の一因とも」
悠真は画面を閉じ、深く息を吐いた。
「……来たか。」
復讐が社会に届いた瞬間、
その刃は、必ず家庭にも向かう。
それを彼は、頭では分かっていた。
だが、分かっていても――
胸の奥が、重く締めつけられる。
キッチンから、茜の物音が聞こえる。
カップを置く音。
水を流す音。
二人は同じ空間にいながら、
言葉を交わさなくなって久しかった。
茜は静かにテーブルにカップを置き、
悠真の前に座った。
「……珠希、今日は学校ある日よね。」
「……ああ。」
短い返事。
それだけで、二人の距離がはっきりと分かる。
そのとき、玄関のドアが開く音がした。
「おはよう……。」
制服姿の珠希が、
いつもより少しだけ俯いたまま、リビングに入ってくる。
茜は微笑もうとした。
だが、その表情は途中で止まった。
珠希は、母の目を見なかった。
そして、悠真の方も見なかった。
ただ、ランドセルを持つ手が、
わずかに震えている。
「……どうした。」
悠真が声をかける。
珠希は一瞬だけ顔を上げ、
すぐに視線を逸らした。
「……学校で、聞かれた。」
「何を。」
「“佐伯って、あのニュースの人の娘?”って。」
空気が止まる。
茜の指がカップを強く握りしめた。
悠真の胸が、音を立てて沈んだ。
「……誰に。」
「クラスの子。」
珠希は小さく続けた。
「……みんな、スマホ見てた。」
その声は、責めていなかった。
ただ、戸惑っていた。
「ママは、悪いことしたの?」
茜の喉が詰まる。
言葉が出ない。
悠真は立ち上がりかけたが、
すぐに止まった。
「珠希……」
だが、珠希は首を振った。
「いい。
答えなくていい。」
そして、かすかに笑った。
それは、子どもが大人に気を遣う笑顔だった。
「……行ってくる。」
珠希はそのまま玄関へ向かい、
振り返らずにドアを閉めた。
ドアの音が、
この家の中に、はっきりとした亀裂を残した。
茜は、椅子に座ったまま動けなかった。
悠真も、ただ立ち尽くしていた。
「……俺のせいだ。」
その声は、誰に向けたものでもない。
自分自身への告白だった。
茜は小さく首を振った。
「違う……。
でも……私たちの選択が、
あの子に届いてしまった。」
悠真はゆっくりと拳を握る。
復讐は、もう終わりではなかった。
むしろ、今――
本当の代償が、始まったばかりだった。
窓の外では、白い朝の光が、
静かに街を照らしていた。
それは、
誰も祝福しない“新しい章”の始まりだった。




