最初の夜 ― 録音の真実
夜、悠真の部屋。
窓の外では雪が静かに降り続いている。
机の上には、隼人が置いていったUSB。
小さなその金属片が、まるで時限爆弾のように重く見えた。
茜はコートを脱ぎ、無言で椅子に座る。
二人の間に漂う空気は冷たく、息をする音すら響いていた。
悠真はゆっくりとUSBを差し込んだ。
画面が暗転し、再生ボタンを押す。
――ノイズ。
――そして、男の声。
「君は、わかってるね? この件を公にすれば、会社は潰れる。
それでも告発するつもりか。」
声の主は、当時の役員。
あの頃、悠真の直属の上司だった男の声だった。
「……はい。」
茜の声が続いた。
震えていた。
静かな抵抗のように、ひとつひとつの言葉が擦れる。
「私が黙っていたら、あの人――高城さんが全部の責任を負う。
私が言えば、彼も助かる。だから、話します。」
悠真は息を止めた。
隼人を守るために、茜は会社を告発した。
その告発を「裏切り」だと信じ、復讐の動機にしてきた自分。
だが現実は――彼女が誰かを救おうとした“始まり”だった。
録音の中で、上司の声が怒鳴る。
「感情で動くな、茜!
君は彼に騙されているだけだ!」
そして再び茜の声。
涙を抑えながら、それでも震える笑いが混じっていた。
「騙されててもいいんです。
あの人が誰かを守ろうとしてるなら、私もその罪の一部になります。」
ノイズが走り、音が切れた。
録音はそれで終わった。
部屋の中には、ただ雪の落ちる音だけが残った。
茜は顔を伏せたまま、小さく呟く。
「……あの夜、私は全部失う覚悟で言ったの。
でも、あなたが“正義”って言葉を使い始めたとき、
もう何も言えなかった。」
悠真は唇を噛み、頭を抱えた。
「俺は、ずっと勘違いしてたんだな……
お前が裏切ったと思ってた。でも、裏切ったのは俺の方だ。」
茜は静かに首を振った。
「違う。
私たちは、誰かを守るたびに、別の誰かを壊してきた。
隼人も、あなたも、私も。」
その言葉に、悠真は顔を上げた。
茜の目に、初めて昔の優しさが戻っていた。
「……それでも、まだ終われないんだな。」
「終わらせなきゃいけないのよ。」
悠真は深く息を吸い、机の上のUSBを見つめた。
「隼人はこれを、俺たちに“託した”んだと思う。
この録音を世間に出せば、会社も全部終わる。
でも、それで誰かが救われるとは思えない。」
茜がゆっくりと立ち上がり、窓の外を見た。
雪が夜の街を覆い尽くしている。
「私たちが壊したのは“正義”なんかじゃない。
信じるってこと、それ自体なのよ。」
悠真はその背中を見つめ、
初めて、自分の中で何かが静かに崩れ、そして溶けていくのを感じた。
「……茜、
もし、また一度だけやり直せるなら、
俺は正義なんて言葉、使わなかったと思う。」
茜は振り返り、小さく笑った。
「それでも、あなたらしいわね。」
二人の間に、長い沈黙が流れた。
外では雪がやみ、街灯の光が白く反射している。
まるで、何かがようやく静かに“止まった”ようだった。
しかし、その翌朝――
ニュース速報が流れる。
「グローバル・ストラトン社、元法務部長が自殺」
「社内不正疑惑、再び波紋」
テレビの画面を見つめながら、悠真は呟いた。
「……まだ終わっていなかったのか。」
そして、机の上のUSBを見つめた。
そこに映る自分の顔は、もはや誰の正義にも見えなかった




