雪の証言 ― 三人の罪
外は一晩中降り続いた雪で、街が白く沈んでいた。
人の足跡も、車の轍も、夜のうちに覆い隠されている。
その静けさが、まるで何かを“やり直す”準備のようにも感じられた。
悠真は駅のホームに立っていた。
マフラーの中で息が白く濁る。
スマホの画面には、茜からのメッセージ。
「会って話そう。逃げないで。」
短い文なのに、指が動かなくなった。
“逃げないで”――それは十年前、結婚前夜に彼女が言った同じ言葉だった。
列車が到着する音が響く。
悠真はゆっくりと歩き出した。
***
昼過ぎ、郊外の古い旅館。
外は雪に包まれ、屋根の上の氷柱が静かに光っている。
茜は窓際で立ち尽くし、時計の針が進むのを見つめていた。
部屋のテーブルの上には、一通の封筒。
差出人:高城隼人。
封筒を開けると、中には手書きのメモと一枚の写真が入っていた。
写真の中には、三人――若かった頃の彼女と悠真、そして隼人。
会社の新人研修の懇親会。
三人とも笑っている。
まだ何も失っていなかった頃の笑顔だった。
「この写真を最後に返す。
真実は俺だけのものじゃない。
佐伯も、あんたも、あの会社も。
みんな同じ場所に立ってた。
会おう。明日、あの公園で。」
茜は写真を胸に押し当て、静かに息を吸った。
***
翌日。
雪がやみ、空が淡く曇っていた。
悠真は約束の公園に着いた。
ベンチの上には、雪がうっすら積もっている。
その中央に、隼人が立っていた。
黒いコートの襟を立て、煙草を口にくわえている。
「……やっぱり来たか。」
「お前を止めに来た。」
「止める? まだ何も始まってない。」
隼人は煙を吐き出し、灰皿代わりに雪へ押しつけた。
その仕草が、なぜか哀しかった。
「俺はもう復讐なんてしてない。
ただ、あのとき何が真実だったのか、それを残したいだけだ。」
悠真は答えられなかった。
胸の奥で、何かが軋む。
そのとき、後ろから小さな足音。
茜が、雪を踏みながら近づいてきた。
黒いコートに雪が降り積もり、頬が赤く染まっている。
「……二人とも、もうやめて。」
その声は震えていた。
けれど、その瞳には決意が宿っていた。
「隼人、あなたが何をしたいのか分からないけど、
これ以上、誰かを傷つけないで。」
隼人は笑った。
「俺が誰かを傷つけた? 違う。
俺たちは皆、同じ罪を分け合って生きてるだけだ。」
そう言って、上着のポケットからUSBを取り出す。
「この中に、当時の録音が入ってる。
お前たちが忘れた“最初の夜”の記録だ。」
「最初の夜?」
茜が眉を寄せる。
隼人は静かに頷いた。
「五年前。茜、お前が上司に呼び出されたあの夜。
俺は同じ会議室にいた。
あの“通報書”を作るきっかけになった、会話の全部を録ってある。」
悠真の呼吸が止まった。
茜の手が震える。
「どうして……そんなことを……」
「俺はずっと見てたんだ。
あの夜、あんたは泣いてた。
でも佐伯、お前はその涙の意味を、最後まで知らなかった。」
悠真の胸が刺すように痛んだ。
彼の知らなかった過去――茜が、なぜあの時に会社を告発することを許したのか。
その真実が、いま初めて姿を現そうとしていた。
「お前たちは俺を裏切った。
でも、俺もあんたたちを裏切った。
だから、これで帳消しだ。」
隼人はUSBを雪の上に落とした。
白い雪に黒い小さな金属片が沈んでいく。
悠真はそれを拾い上げ、強く握りしめた。
冷たさが掌を刺す。
茜はただ静かに泣いていた。
「真実なんて、もういらない。
私たちは、もう十分罰を受けたわ。」
隼人はその言葉を聞いて、かすかに微笑んだ。
そして背を向け、雪の中へ歩き出した。
「罰はまだ終わっちゃいない。
本当の償いは、ここから始まるんだよ。」
彼の足跡が雪に刻まれ、すぐに風で消えていく。
悠真は黙ってその背を見送った。
茜の肩に雪が積もり、彼がそっと手を伸ばして払った。
二人の間に、かすかに温度が戻る。
「茜……俺たちは、もうどうすればいいんだろうな。」
「分からない。
でも、あの人が言った“最初の夜”を確かめなきゃ。
それを知らない限り、私たちは何も終われない。」
風が吹き、雪が再び舞い上がる。
白い世界の中で、二人の影が並んで揺れた。




