匿名の亡霊 ― もう一つの報告書
午前八時。
ネットのトレンドが再び燃え上がった。
> 「第二の報告書流出」
> 「内部通報、複数存在の可能性」
> 「佐伯悠真、再び企業秘密を暴露か?」
タイトルをクリックすれば、そこにあったのは——
悠真が書いた文体と酷似した“報告書PDF”。
だが、その内容は全く異なる。
> 「企業の不正は止まらない。
> 次はあなたたちの番だ。」
文章の最後には、あの癖のある句点。
悠真の“声”にしか見えなかった。
SNSは一瞬で爆発し、
会社、検察、そしてマスコミが同時に動き出した。
> 「またお前か」
> 「正義の狂人」
> 「通報者が企業を破壊する」
悠真は自宅でそのニュースを見つめていた。
モニターの青白い光が、顔の半分を照らす。
> 「俺じゃない……だが、俺だ。」
それは、自分の過去が勝手に歩き出したような感覚だった。
グローバル・ストラトン本社。
幹部会議室では、怒号が飛び交っていた。
「誰が再流出した?」
「佐伯の旧アカウントを使った形跡がある!」
「警察への通報は?」
「その前に広報が止めろ!」
だが、情報の波は止まらない。
報道番組は“正義の闇”を特集し、悠真の顔をモザイク付きで流した。
「匿名は、まだ匿名のままでいられるのか?」
その問いが日本中を駆け巡る。
社内の後輩が彼にメールを送ってきた。
> 「悠真さん、本当にあなたなんですか?」
悠真は返信できなかった。
言葉の一つひとつが、もう“武器”になっていたから。
その頃、長野県の山間。
茜は古びたペンションに潜んでいた。
ニュースの音だけが薄暗い部屋を満たしていた。
「……また、あの人の名前。」
彼女はテレビを消し、
ポケットから小さな写真を取り出す。
珠希と三人で笑っている、あの頃の家族写真。
> 「あの人、あのとき……
> “誰も傷つけないようにする”って言ってたのに。」
指先が震えた。
涙が落ち、写真の端を濡らした。
それでも、彼女の胸の奥にはまだ消えない思いがあった。
“悠真の正義”が壊れていくたびに、
“妻としての後悔”もまた蘇っていく。
夜。
東京の高架下のカフェ。
悠真は一人でコーヒーを飲んでいた。
そこに、またあの声が響いた。
「……やっぱりここにいたのね。」
振り返ると、中條理沙が立っていた。
彼女の目には、取材者の冷たさではなく、
“人としての疲労”が滲んでいた。
> 「見た? “第二の報告書”。」
> 「ああ。俺じゃない。だが、俺の影が書いた。」
> 「つまり、“正義の仕組み”が、
> あなたの言葉を素材にして動いてる。」
悠真は小さく笑った。
> 「俺の声は、もう俺のものじゃない。」
中條は静かに席に座った。
「取材をやめる気はないわ。でも、ひとつだけ聞かせて。
あなたが最初に“正義”を信じた理由は?」
悠真は長い沈黙のあと、
窓の外の街明かりを見つめながら呟いた。
> 「あの人が……茜が、苦しんでたからだ。
> 彼女を守りたかった。ただ、それだけだったんだ。」
中條の目が一瞬だけ揺れた。
「守りたかった人を、壊してしまったのね。」
悠真は答えなかった。
ただ、冷めたコーヒーを見つめながら微笑んだ。
深夜。
中條が去ったあと、悠真は外に出た。
ビルの窓に映る自分の影が、ふたつに見えた。
> 「正義の亡霊は、まだ俺の中にいる。」
その瞬間、スマホが震えた。
差出人不明。件名:【第三の報告書、準備完了】。
悠真の心臓が止まりそうになった。
指先で画面を閉じる。
だが、もう遅かった。
外の世界では、次の炎が点り始めていた。
翌朝、ニュース速報。
> 「企業リーク、第3波」
報告書の文体はさらに精巧になり、
悠真自身ですら区別がつかないほどだった。
茜はテレビの前で息を呑む。
「……もう、止まらないのね。」
そして彼女は立ち上がった。
> 「だったら、私が止める。」
次の瞬間、彼女の瞳に決意が宿る。
それは、復讐の連鎖を断ち切る唯一の光だった。




