静寂の裏側 ― 崩れゆく信号
午前二時。
オフィスのサーバルームに、警告灯が赤く点滅した。
冷却ファンの音の中、監査チームの端末に警告ログが流れる。
> 【アクセス異常:外部からの侵入を検知】
> 【対象フォルダ:Ethics_Report_Final.pdf】
社員が寝静まる時間帯。
誰もが知らぬ間に、“真実”がネットへ放たれた。
翌朝、ニュースサイトのトップに匿名投稿が現れた。
> 「内部倫理報告書・全文(未編集版)」
リンクを開くと、そこには“削除前”の文章が。
> 「対象者:佐伯茜(営業部マネージャー)
> 関係者:高城隼人」
それは、匿名の皮を剥がされた報告書。
たった数行の名前が、すべてを終わらせた。
SNSでは、情報が一気に拡散する。
> 「本名出てる」「やっぱりあの人か」「正義は勝った」
――その“勝利”が、誰のものかを考える者はいなかった。
茜のスマホが鳴り止まなかった。
通知、着信、SNSのタグ。
どのアプリを開いても、そこに“自分の名前”があった。
過去の写真、勤続表彰、大学の卒業アルバム。
ひとつ、またひとつ、掘り起こされていく。
「過去」すら安全ではなかった。
茜はカーテンを閉め、電話の電源を切った。
冷たい部屋の中、壁にもたれて座り込む。
> 「ねえ、悠真……これが、あなたの言う正義なの?」
その声は、誰にも届かない。
同じ頃、隼人は都内のネットカフェにいた。
再就職を試みた企業からのメールがまた一通届く。
> 「検索結果に不安要素があるため、今回は見送らせていただきます。」
“検索結果”――つまり、それはニュース記事のことだった。
画面の隅に映る自分の名前、そして茜の名。
> 「……終わったな。」
彼は笑おうとしたが、喉が震えて声にならなかった。
マウスを握る手が汗ばんでいた。
その夜、悠真の自宅。
書斎のモニターには、無数のニュース見出し。
> 「流出した報告書、企業の管理体制に疑問の声」
> 「個人情報保護の欠陥」
だが記事の末尾には、ひとつだけ異なる見出しがあった。
> 「“匿名情報提供者”の信頼性も問われる」
悠真は硬直した。
椅子の背もたれに沈み込み、指先で机を叩く。
> 「……俺?」
自分の“匿名アカウント”が、スレッド上で特定されかけていた。
メールの文体、資料の日付、送信ログ。
すべてが、自分の癖を写していた。
深夜。
窓の外、街の明かりが一つまた一つと消えていく。
静寂の中で、パソコンの冷たい光だけが彼の顔を照らした。
悠真は呟く。
> 「制御の効かない正義ほど、恐ろしいものはないな。」
モニターには、“再投稿禁止”のはずの報告書PDFが再び拡散されていた。
削除されても、次のサイトにコピーされる。
人の正義が、人を殺す仕組みになっていた。
指先が震える。
> 「止められない……俺が、作った仕組みなのに。」
静寂の裏側で、
“正義”という名の機械は――もう、誰の手にも止められなかった。




