沈む光 ― 報道の向こう側
冬の空は灰色に沈んでいた。
東京の朝刊の一面に、英語の見出しが並ぶ。
> "Corporate Ethics Scandal in Japan: Whistleblower vs. Insider"
――日本の企業倫理事件、内部通報者と関係者の対立。
海外ニュースサイト「The Globe Business」の翻訳記事がSNSで急速に拡散していた。
出典:グローバル・ストラトン社。
引用元:匿名報告書。
しかし、掲載された“匿名女性社員”の写真は、
五年前の社内広報誌から切り取られた茜の画像だった。
コメント欄には、英語と日本語が入り混じる。
> 「This is the woman, right?」
> 「She ruined her career by her own choice.」
> 「裏切り者にふさわしい結末。」
名前を伏せても、世界が彼女を名指ししていた。
一方、隼人の部屋。
カーテンは閉め切られ、空気は重く淀んでいる。
彼はパソコンを開き、転職サイトのメールを見ていた。
> 【申し訳ありませんが、今回はご縁がありませんでした】
> 【社内検討の結果、採用見送りとなりました】
十件目。
すべて同じ文面。
短く整った“拒絶”。
机の上には、壊れた名刺入れと退職時の社員証。
ふと、ニュースサイトを開く。
そこにあったのは、海外の記事の翻訳版。
「匿名の男性社員A氏」――それは、彼自身だった。
> 「……匿名?冗談だろ。」
机を叩いた。
スマホが落ち、画面に自分の顔が映る。
虚ろな目。
そしてその奥に、もう一人の男――悠真の影が見えた気がした。
午後、社内の危機管理チームが集まる。
広報責任者がモニターを指さす。
> 「報道の波が海外まで拡散しています。
> “Corporate Responsibility”の文脈で取り上げられていますが、
> 一部で当社名が誤訳されています。」
別の幹部が言う。
「誤訳でも、“話題”は資産だ。
グローバルな注目を得たのは結果的に良いことだ。」
“倫理問題”が、“ブランディング”に変わる瞬間。
その会議室のどこにも、茜や隼人の名前は出なかった。
夜。
悠真は自宅の書斎でパソコンを閉じた。
机の上には、最新の報道記事のコピー。
赤ペンで囲まれた一文がある。
> “匿名情報提供者の証言によれば、
> 不正の背景には複雑な社内構造と個人的関係が絡んでいたという。”
悠真は小さく呟いた。
「……複雑なのは、お前たちじゃない。俺の方だ。」
彼が仕掛けた匿名の“情報構造”は、
今や誰の手にも止められない独立した機械のように動いていた。
情報は“正義”の名で拡散し、
人の顔を失ったまま、社会の海を漂っていく。
深夜。
茜の古い友人がSNSに投稿した。
> 「この人、前に同じ会社で働いてた人じゃない?」
投稿に添えられた写真には、笑顔の茜が写っていた。
それは、彼女がまだ“普通の人間”だった頃の姿。
翌朝には、その写真が海外ニュースに転載され、
AIが自動生成した“モザイク顔”が、彼女の現実とすり替わった。
夜更け、悠真はベランダで街を見下ろしていた。
無数の光が広がる――そのどれもが“情報の窓”に見える。
> 「俺がやったのは、正義のためだったはずだ。
> なのに、どうして世界はこんなに汚い。」
手の中のスマホが震える。
通知欄には、海外フォーラムの新着コメント。
> “Japanese whistleblower scandal — truth or manipulation?”
悠真は苦笑した。
> 「……真実か、操作か。
> その境目に立っているのは、他でもない俺だ。」
夜風が頬を切るように冷たかった。
その光景の中で、彼の心もまた――少しずつ沈んでいった。




