倫理報告書 ― 消された名前
午後一時、グローバル・ストラトンの公式サイトに**「倫理監査結果報告書」**が掲載された。
タイトルは冷たく整っている。
> 「内部調査の結果と再発防止への取り組み」
その文面の中で、“特定社員の不適切な行為”という表現が二度だけ使われていた。
名前はなかった。
だが、文脈と日付、部署、職務内容が**十分すぎるほどの“暗示”**になっていた。
SNSでは、すぐに“犯人探し”が始まった。
> 「これ、あの女性社員のことじゃない?」
> 「前から噂あったよね、上司と不倫してたとか」
> 「会社が名前を伏せるってことは本当なんだ」
タグは数時間でトレンド入りした。
“匿名”のまま、茜の社会的存在は焼かれていく。
同じ頃、茜のスマホが震え続けていた。
画面には、知らない番号からのメッセージが並ぶ。
> 「裏切り者」
> 「お前みたいなのがいるから女が信用されない」
> 「消えろ」
指先が冷たくなる。
ニュースサイトを開くと、スクロールの途中に自分の名前が見えた。
“元社員A氏”として引用された匿名の発言。
そこには、彼女の発言ではない言葉が載っていた。
> 「あの関係は仕事上の延長でした」
――誰かが、彼女の“声”を真似ていた。
茜はスマホを落とし、床に膝をついた。
カーテンの隙間から差し込む光が、まるで監獄の鉄格子のように床に影を落としていた。
> 「……もう、どこにも私の居場所がない。」
一方そのころ、都心のカフェ。
悠真はノートパソコンの画面を見つめていた。
経済紙の電子版が、報告書の内容を引用している。
> 「通報制度の有効性が改めて注目される」
> 「企業倫理の模範的対応」
彼が裏で流した資料が、“正義の成功例”として称賛されていた。
それは完璧だった。
――少なくとも、表向きは。
スクロールする指が途中で止まる。
記事の下に、ひとつのコメントがあった。
> 「正義って、誰のためにあるんだろう。」
それは、どこかで見た文だった。
かつて茜が会議で口にした、正確な言葉。
悠真の喉が乾く。
夜、社外広報チームが集まり、次の方針を話し合っていた。
「メディア対応は“再発防止強化”で統一します。個人に関する質問は一切ノーコメント。」
若いスタッフが問う。
「でも……“当事者”の声は?」
上席が冷静に答える。
「会社の声が、当事者の声です。」
その一言で、茜という存在は再び“消された”。
システムの正義が、人の心より優先される。
深夜。
悠真はベランダに出て、タバコに火をつけた。
冷たい風が頬を撫でる。
都会の灯りが遠くに滲んでいる。
> 「終わった……はずなのに。」
頭の中で、茜の声が蘇る。
> 「あなたは正しいけど、優しくはなくなった。」
煙が夜空に溶ける。
彼はその灰色の煙を見つめながら、初めて自分の“正義”を疑った。
> 「俺は……誰を救った?」
その問いは風に消えたが、胸の中に残った。
“報復”が完成した瞬間、悠真の心の均衡は静かに崩れ始めていた。




