沈黙の報復 ― 二人の落下
東京の朝は、いつもより静かだった。
グローバル・ストラトンの玄関前に、報道カメラが数台並んでいる。
フロントの警備員が記者たちを制止する声が響く。
> 「内部不正の件でお話を伺いたいだけです!」
> 「社員の高城隼人氏、コメントを――!」
その名が呼ばれた瞬間、ビルの中の空気が変わった。
社員たちは視線を合わせず、黙って通り過ぎる。
エレベーターの前で、スーツ姿の男が立ち尽くしていた。
――隼人だった。
顔は青ざめ、手に握ったスマホが震えている。
画面にはメールが一通。
> 件名:【契約終了のお知らせ】
> 本文:就業規則第12条に基づき、即日契約を終了いたします。
言葉は簡潔で、残酷だった。
同じ時間、茜のスマホにも通知が届いた。
> 件名:【自宅勤務延長のお知らせ】
> 「当面の間、出社を控えてください。」
会社からの連絡はそれだけ。
謝罪も説明もない。
彼女はリビングのソファに座ったまま、画面を見つめた。
カーテンの隙間から光が差し込み、埃がゆっくりと舞う。
テレビではニュースキャスターの声。
> 「外資系コンサル会社で内部告発――
> 社員間の“倫理的問題”が再燃しています。」
茜はリモコンを取ってテレビを消した。
音が消えた部屋で、息をする音だけがやけに響く。
午後三時。
隼人のマンションの玄関前に、報道記者が集まっていた。
「コメントをお願いします!」「不正に関与していたのか?」
インターホンが鳴り続ける。
隼人は部屋の奥で頭を抱えた。
机の上には、新聞。
見出しには自分の名前がぼかされて載っている。
> 「外資系大手、情報流出事件の背景に“職場の私情”」
息を吐いた。
この地獄のような騒ぎの発端が、どこから始まったのか。
彼には、もう分かっていた。
「……佐伯悠真、あんたか。」
だが怒りよりも先に、呆然とした虚無感があった。
自分が壊したものが、想像を超えていたからだ。
一方そのころ、都心のカフェ。
悠真はノートパソコンを閉じ、カップを置いた。
外では小雨が降り始めている。
静かな店内に、ピアノの旋律が流れる。
弁護士からのメールが届いた。
> 件名:【社内倫理委員会進捗】
> 「佐伯茜氏は無期限の自宅待機、高城隼人氏は契約解除。
> 事実上、両者のキャリアは終了しました。」
悠真はゆっくりと笑った。
声を出さず、ただ唇だけで。
> 「……沈黙の報復、完了だ。」
だが、その笑みの奥にあったのは、ほんのわずかな“空洞”だった。
自分が望んだのは破滅ではなく、理解だったはずなのに。
夜。
茜は窓際でひとり、パソコンを開いていた。
メールの受信箱に、新しい一通が届く。
差出人:不明。
件名:【最終警告】
本文には、ただ三つの文字が並んでいた。
> 「次はお前だ。」
指が止まる。
背筋が冷たくなる。
誰が送ったのかは、考えるまでもない。
茜は深呼吸をし、震える指で返信を打った。
> 「……もうやめて、悠真。」
だが、送信ボタンを押しても、エラーが返ってきた。
「宛先が存在しません。」
茜は画面を閉じ、両手で顔を覆った。
その瞬間、涙が溢れた。
怒りでも、悲しみでもない。
――自分がまだ、彼を“恐れている”ことへの涙だった。
翌朝。
会社の掲示板に、一枚の通達が貼られた。
> 【社員行動規範強化に関するお知らせ】
> 「今後、社内外の不適切関係が判明した場合、厳正に処分いたします。」
社員たちはその文を読み、うなずくだけだった。
誰も声を出さない。
その沈黙こそが、悠真が望んだ“支配の形”だった。




