冷たい会議室 ― 裏切り者の席
月曜の朝、ビルの上階。
白い壁、無機質な照明。
長い楕円形のテーブルを囲む十数名の社員。
その中央に、佐伯茜は座っていた。
机の上には、一枚の書類とタブレット。
> 「社員倫理調査会議 ― 第十二回議事録」
議長が淡々と読み上げる。
「佐伯さん、今回の件についてご説明をお願いします。
あなたが社内情報の一部を把握していた可能性があります。」
茜は顔を上げた。
「……把握はしていません。私が関わった事実もありません。」
声は震えていなかった。
しかし、誰も目を合わせようとはしなかった。
テーブルの中央に映し出されたのは、一枚の画像。
――社内サーバーから流出したメール画面。
> 「高城さん、例の件は慎重にお願いします。
社外に知られたら終わりです。」
送り主:Akane.S@globalstratton.co.jp
。
受信者:Hayato.T@globalstratton.co.jp
。
茜は息をのんだ。
「そんなメール、送っていません。」
議長が静かに言う。
「ログ上では、あなたの端末から送信されています。」
室内の空気が変わる。
沈黙。
誰かのペン先がカチリと音を立てた。
――その小さな音が、拷問のように響いた。
午後、会議は三時間続いた。
茜がどれだけ説明しても、疑念は晴れない。
「“不倫”という言葉を、我々は使いたくありませんが……」
「倫理的な観点から問題があるとの指摘もあります。」
そう繰り返す声は、まるで同情という名の刃だった。
茜は最後に言った。
「私が何を信じ、何を失ったか、あなたたちは知らない。」
それでも誰も返事をしなかった。
議長が一言だけ告げた。
「調査結果が出るまで、自宅勤務を命じます。」
その瞬間、茜の世界が音を失った。
会議室を出たとき、廊下の窓から光が差していた。
冬の陽光が冷たく眩しい。
彼女はスマホを取り出し、震える手でメッセージを開いた。
> 【差出人:不明】
> 「あなたの“正義”を信じてくれる人は、まだいると思う?」
茜の指が止まる。
その文体、句読点の間。
またしても――悠真。
「……どうしてそこまで。」
彼女の声は震え、涙は出なかった。
怒りも悲しみも、すでに枯れていた。
一方そのころ、都心の雑居ビル。
悠真はパソコンの前で静かにタイプしていた。
ブラウザには匿名ニュースサイトの投稿フォーム。
> 「外資系コンサルで不正送金、社員間の不適切関係が背景に」
本文に、内部文書を添付する。
もちろん、証拠の一部は彼が“再構成”したものだ。
送信ボタンを押す。
画面が更新され、ただ一言。
> 「送信が完了しました。」
悠真は椅子に背を預け、深く息を吐いた。
「第二段階、終了。」
冷えたコーヒーの香りが、部屋に淡く残る。
数日後。
ネットニュースの見出しが一斉に踊った。
> 「社内不正の影に“禁断の関係”」
> 「匿名通報が示す倫理問題」
記事には、会社名は伏せられていた。
だが、関係者ならすぐにわかる。
――それが“彼ら”のことだと。
カフェのテレビでニュースを見た茜は、声も出なかった。
隣の席のサラリーマンたちが笑いながら話す。
「やっぱりどこの会社も似たようなもんだな」
「倫理より恋愛だろ」
茜はそっとイヤホンを外し、立ち上がった。
外に出ると、風が頬を刺すように冷たい。
彼女は心の中でつぶやいた。
> 「悠真……あなたの“静かな反撃”は、もう十分よ。」
だがその言葉は、誰にも届かない。
風だけが、彼女の髪を無言で揺らしていた。




