計画の序章~裏切り者たちに告げる宣戦布告~
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、佐伯悠真はゆっくりと目を開けた。
茜はすでに起きている。台所からは、味噌汁の香りとトーストが焼ける匂い。
普段と何一つ変わらない朝――だが、悠真にとっては全てが「演出」にしか見えなかった。
「今日はお弁当、いらない?」
「うん、外で食べるよ」
「そう。無理しないでね」
茜の声は優しい。だが、その言葉の裏にある「嘘の厚み」が、彼にはもう見える。
食卓の上の新聞をめくりながら、悠真は淡々と計画の一手目を思い描いていた。
昨日、隼人のマンションで撮った写真データは、すでにUSBに保存済み。
そして今朝、彼は会社のセキュリティチームに「匿名の通報メール」を送信した。
――件名:【高城隼人による情報漏洩の可能性について】。
中身は、プロジェクト関連の資料コピーと、出張経費の不審な履歴。
もちろん、証拠は「存在しない」。だが、疑いを作ることは簡単だ。
会社の人間関係は、少しの火種で燃え上がる。
悠真はその性質を、長年マネージャーとして誰よりも知っていた。
午前十時。オフィス。
フロアに入った瞬間、ざわめきが耳に入る。
「聞いた? 高城さん、監査部に呼ばれたらしいよ」
「まじで? 最近なんか焦ってたもんね」
ざわつく声。
悠真は無言のままデスクにつき、PCを開いた。
ほどなくして、上司の田代部長がやってくる。
「悠真くん、例の顧客データ、誰がアクセスできるか分かるか?」
「はい。アクセス権限は私と高城だけです」
「そうか……じゃあ彼が持ち出した可能性があるってことだな」
「……確認しておきます」
短いやり取りの中で、悠真の心拍は一度も乱れなかった。
「これは、序章だ」
彼の中で冷たく固まった言葉が、再び形を持つ。
◇
昼休み。
屋上のベンチで、スマホの画面を指でなぞる。
茜の連絡履歴には、昼休みにも「隼人」とのメッセージがあった。
だが今日は、既読がつかない。
「……監査中か」
彼は小さく呟き、コーヒーを一口飲む。
無風の青空。沈黙だけが心地よい。
その午後、茜からメッセージが届く。
> 『今日、少し遅くなるかも。ママ友の集まりがあって』
悠真は「了解」とだけ返した。
だが彼の頭の中には、もう一つの“集まり”の場所が浮かんでいた。
――隼人のマンション、305号室。
GPS追跡アプリ「FindMyFamily」に登録された茜の端末が、そこに向かって動き出すのを確認する。
まるで舞台の幕が、静かに上がる瞬間のようだった。
◇
夜七時十五分。
悠真は車をゆっくりとマンションの前に停めた。
エントランスのガラス越しに、二つの影が重なる。
茜の笑い声が、かすかに風に混じって届く。
「……楽しそうだな」
その声を聞きながら、悠真はポケットから小型カメラを取り出した。
撮影は十秒。
それで十分だった。
彼は車に戻り、深く息を吐いた。
「次は――お前たちの“信頼”を壊す番だ」
ノートPCを開き、匿名SNSの投稿画面を立ち上げる。
アカウント名は「takumi_project」。
投稿内容には、ぼかした写真と暗示的な文を添える。
> 『ある上司の妻が、部下と密会している。証拠あり。#社内不倫 #裏切り #正義の目』
投稿ボタンを押した瞬間、
画面の向こうで、何かが確実に「壊れ始めた」。
帰宅は深夜近く。
茜はリビングでスマホを見つめていた。
「……どうした?」
悠真の声に、彼女は少しだけ顔を上げる。
「なんか……変な噂が出てるの。会社のSNSに……」
「噂?」
「うん。高城くんが誰かと不倫してるって」
「へえ、誰だろうね」
「……さあ」
沈黙。
彼女の指がわずかに震えている。
悠真はその様子を、何も言わず見つめ続けた。
「信頼」という言葉が、どれほど脆いものか。
彼はようやく、知っている者の顔をしていた。
――宣戦布告は完了した。
次は、「報復」の段階へ進むだけだ。




