虚構の正義 ― 茜、再起動
冬の東京、灰色の雲が空を覆っていた。
佐伯茜はマフラーを巻き、渋谷の雑踏の中を歩いていた。
目的地は一軒の古いカフェ――記者・西川由梨が指定した場所だ。
カフェの窓際。
由梨はすでに待っていた。
ノートパソコンの画面には、無数のタブ。
その中のひとつに映るのは、例の匿名投稿――ZeroPoint。
茜が席に着くと、由梨はコーヒーを一口飲んで言った。
「あなたが来ると思ってた」
「私も。……あの投稿、あなたが動くと思った」
「ええ。でも、それ以上に――あなたが動くと思ったの」
二人の視線が交わる。
空気に、探り合うような緊張が漂った。
由梨がノートパソコンを回す。
画面には、ZeroPointの最新投稿。
タイトルは《The Second Mirror》。
> 「正義を名乗る者よ。
> あなたが信じている構造そのものが、腐敗の温床だ。
> 罪を消すのではなく、晒せ。
> 俺は、そのために戻ってきた。」
投稿には再び暗号が添付されていた。
15 - 1 - 11 - 1 - 14
由梨は素早く変換して見せた。
「‘OAKAN’……『茜(AKANE)』よ」
茜の指が震えた。
「彼、わざとよ。私に見せるために。」
「そうね。まるで“挑発”みたい」
由梨は静かに言葉を続けた。
「彼は今もあなたを中心に動いてる。
あなたの存在が、彼の“正義の定義”になってる」
茜は笑った。
だがその笑みは、痛みに似ていた。
「正義ね……あの人が一番壊したものを、まだ名乗ってるなんて」
編集部に戻った由梨は、調査チームを集めた。
「ZeroPointの投稿サーバーを追う。VPN経由でも構わない、断片的な痕跡を探して」
「内部関係者ですか?」
「たぶん違う。
でも内部に“近い誰か”――つまり、元社員。
失踪した佐伯悠真が死んだとされてるけど、遺体が確認されてない」
チームがざわめく。
モニターには、複数のログが表示される。
発信地:北海道・札幌市中央区
「……来たわね」
由梨は立ち上がった。
同時に、茜にメッセージを送る。
> 「彼の信号を掴んだ。
> 札幌。あなたも覚悟して。」
夜。
茜の部屋には、ひとつのファイルが開かれていた。
タイトルは《Project ZERO – Counterplan》。
そこには細かく書き込まれた項目が並ぶ。
1. 由梨経由でメディアにリーク経路を構築。
2. ZeroPointの投稿時刻と内部サーバー同期時間を照合。
3. 悠真本人が使用していたVPN認証の共通鍵を逆追踪。
4. 次回投稿前に「偽のログ」を挿入。
茜はメモを閉じ、窓の外を見た。
「あなたの“構造”、壊してあげる」
その声は、震えるほど冷たかった。
札幌の夜。
悠真はバーのカウンターでウイスキーを飲んでいた。
店内のテレビでは、ZeroPointに関するニュースが流れている。
「……やっぱり、動いたか」
彼の唇に笑みが浮かぶ。
だが、その笑みの裏には、かすかな不安があった。
茜の反応が、予想より早い。
まるで、彼の手の内を読んでいるかのように。
ポケットのスマホが震える。
差出人不明。本文は一行。
> 「正義の亡霊へ――あなたの“鏡”は、もう歪んでいる。」
悠真は目を細め、静かに呟いた。
「……来たな、茜。」
雪が窓の外で舞う。
その白い世界の中で、男と女の“正義”が、再び交差し始めていた。




