静かな反撃 ― 雪の街にて
雪が街を白く包んでいた。
札幌駅の時計台の下で、佐伯悠真――いや、“佐伯真一”と名乗る男は立ち止まった。
吐く息が白く、静かな風が頬を撫でる。
東京から遠く離れたこの街では、誰も彼を知らない。
ここでなら、すべてをやり直せる。
カフェの窓際。
彼はノートパソコンを開き、手元の端末に指を滑らせた。
新しいメールアカウント、新しいIP、VPN。
それらが整ったとき、画面の右上に新たな名が表示された。
> Sender: “ZeroPoint”
それが、彼の新たな“正義の顔”だった。
東京では、ニュースが静かに流れていた。
> 「佐伯悠真氏(35)、消息不明から二週間。警察は自殺の可能性も視野に――」
オフィスの一角で、同僚たちが囁く。
「まさか本当に……?」
「でも、あの人の通報がなかったら、隼人は今ごろ――」
「やめろ。死人に口なしだ」
その会話がどこか冷ややかに続く。
人々の記憶は、まるで雪のように静かに上書きされていく。
だが、社内サーバーのログに、奇妙なアクセス記録が残っていた。
“内部告発者専用ポータル”――削除済みだったはずのページが、何者かの手で再構築されている。
そこに送られてきた最初のメッセージは、短い一文だった。
> 「真実は、まだ終わっていない。」
札幌の夜。
悠真はホテルの部屋で、静かにウイスキーの氷を回していた。
テレビには東京のニュースが映り、かつての同僚の顔が画面を横切る。
その中に、一瞬だけ見覚えのある名前――“西川由梨”。
彼女は今、東京支局の調査デスクに異動していた。
「……動き出したか」
彼はUSBメモリを取り出し、机に差し込む。
画面に映るフォルダ名は《Mirror Project》。
そこには過去のすべての監査記録、通話履歴、匿名報告の原文が整理されている。
悠真は小さく呟く。
「これは、俺の贖罪でもある。真実を、歪めたままにはしない」
マウスをクリックすると、社内の匿名掲示板に自動投稿の予約プログラムが立ち上がる。
カウントダウン――48時間後。
投稿タイトルはこうだ。
> 「“ZeroPoint”より:あなたたちはまだ、欺かれている」
翌朝。
札幌の街は雪明かりに包まれていた。
悠真は厚手のコートを羽織り、外へ出る。
冷たい空気が肺に刺さる。
それでも、心の中には奇妙な静けさがあった。
過去の自分を葬った今、彼の感情はただ一つ――観察者としての冷徹な正義。
そのとき、スマホの通知が震えた。
差出人不明。件名は空白。
本文には一行だけ。
> 「あなたは本当に、死んだつもりでいられるの?」
悠真の手が止まる。
画面の下部には見覚えのある文体。
――茜だった。
胸の奥に、久しく感じなかった鼓動が蘇る。
だが、彼はすぐに画面を閉じた。
「……まだ、終わってないか」
雪が強く降り始める。
街の音が消え、ただ白い世界だけが広がっていく。
その中で、悠真は静かに歩き出した。
復讐は、感情ではなく構造として続いていく。
それが、彼の新しい生き方だった。




