表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

再生できない通信で、君と話した48時間

作者: はちねろ

初めて「恋愛」を書いてみました。

短いお話ですが、よかったら覗いていってください。



──最後の通話を、あの人と使い切るために。

そして、応答ボタンを押した。

 通信ログは、あと48時間。

 声は送れても、録音も再生もできない。

 俺は、その最後の通話を、あの人と使い切る。


 軌道の片隅で、警告音が鳴っていた。

 呼吸はまだできる。燃料もある。だが──


「……ログ、再生不可か」


 ヘルメット越しの独り言が、狭いコクピットに溶けていく。


 この艦に搭載された通信装置は、最大で48時間。

 その時間だけ、声を“送る”ことができる。

 再生はできない。録音も、応答の解析も許されない。


 ──ただ、会話をする。それだけ。


 俺は指先で操作パネルを撫で、繰り返し表示される信号源の座標を睨みつける。

 計測不能の距離。救出不可の軌道。けれど──


「いるんだよな。お前」


 通信ログ:00:00:01

 起動。


『……っ、こちら……誰……? 応答……応答願いま……す……!』


 音が歪み、ざらつき、時折切れた。

 けれど、あの頃の響きが、確かにあった。


 たった一言で、胸がきしむ。


 ──忘れるわけがない。


『お願い……誰か、誰か聞こえてたら……』


「……俺だ」


 通信の向こうで、一瞬だけ沈黙が走った。


 不意に、ノイズが途切れる。

 耳の奥に残っていた緊張が、わずかにほどける気がした。

 だが、その一瞬が、永遠にも思えた。

 ──もし、違ったら。

 ──もし、もう彼女じゃなかったら。

 言葉を発したその直後、胸の奥を静かに冷たいものが這っていった。


 それから、小さな息を呑む音が聞こえた。


『……え?』

「俺だよ。覚えてるか?」


『……うそ。まさか……』


 静かだった。けれど、次の言葉には涙が混じっていた。


『……本当に、来てくれたんだ』


「今、お前の声が聞こえてる」


 ああ、この声だ。

 何年経っても、きっと忘れることなんてできなかった。

 通信教育の演習で、無線越しに聞いたあの頃の声よりも、

 少しだけ擦れて、弱々しくて──でも、それが今の彼女だった。


『……信じられない。ほんとに、ほんとに……』


『──でも、ほんとは、私の方が迎えに行きたかったのにさ』

「お前が?」

『……そっちのほうが、カッコよかったでしょ?』


 彼女の声が揺れる。

 言葉の奥に、震えと安堵と、どこか罪悪感のようなものが混じっていた。


 言いかけた言葉が途切れるたび、通信ログのカウントが進んでいく。

 00:03:42

 00:04:01


「酸素はどうだ」

『もってあと……一日ちょっと、かな』

「通信は、48時間ある」

『──そっちの燃料、削ってまで来てくれたの?』


「……会いたかっただけだよ」


 沈黙。

 それから、小さく笑うような声が、ノイズに混じって聞こえた。


『昔と変わらないね、そういうとこ』

「お前もな」


 彼女の声が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 気づけば、もう何年も前のような口ぶりだった。


『……あの時さ、放課後。グラウンドの端でさ』


 たしかに、あの日。

 夕暮れの校庭で、俺たちは同じ場所に立っていた。

 けれど、あの距離を越える言葉は──どこにも見つからなかった。

 誰かに聞かれるのが怖かった。

 傷つくのが怖かった。

 それだけの理由で、俺は立ち尽くしたままだった。


 あの時、勇気を出していれば──

 ずっと、そんなことを考え続けてきた。

 けれど、結局また、何もできないまま、今ここにいる。


「ああ、野球部の声がうるさかった日な」

『うん。私、君がこっち見てるの、知ってたよ』


 画面の中には何も映らない。ただ、音だけが流れてくる。

 それでも──彼女は、確かにそこにいた。


『あの時、話しかけてくれたらって、ちょっとだけ思った』

「話しかけたかったさ。でも……怖かった」

『うん、わかる。私も、怖かった』

『だから、今話せてよかった……ほんとに、よかった』


 ログカウント:00:11:27

 まだまだ、ほんの序章。


 けれど、燃料の針は確実に落ちていく。

 時間は、等しく削れていく。


 次の通話は、2時間後。

 彼女が酸素を節約するために、一定時間ごとにスリープに入る。

 こちらもシステムを冷却し、最低限のエネルギーで保つしかない。


 ──そして、再び通信を開いたとき。

 彼女は、夢の話をした。


『ねぇ、君。あのね、さっき、夢を見たの』

「どんな?」

『川があってね。私たち、制服のまま、川の中に立ってた』

『冷たいけど、怖くなくて。君が笑ってて、私も笑ってて……それだけの夢』

「……いい夢だな」


 通信は、静かだった。

 話すことがない時間も、ただつながっているだけでよかった。


 彼女が黙ると、俺も黙った。

 それでも、相手がそこにいると分かるだけで、心の奥があたたかくなる。


 言葉が交わされなくても、通信はつながっていた。

 意味のあることを話さなくても、息遣いの隙間が空気を満たしていた。

 それだけで、救われる気がした。

 孤独と空虚を切り取るには、言葉よりも“気配”のほうがずっと確かだった。


 通信ログ:21:07:55

 もう、昼と夜の区別すらつかなくなっていた。


 残り時間が、残酷な数字として目に焼きつく。

 あと27時間。だが、彼女の酸素は──そこまでもたない。


 ──知ってる。本人も、俺も。


『……ねえ』

「ああ」

『君のいる方角、星が見えるんだよ』

「そっち、曇ってないんだな」

『うん、キラキラしてる。地球とは全然違う。ちょっとだけ……寂しいね』

「ここからも、見えるよ」

『じゃあ、同じ星を見てるのかな』

「きっとそうだ」


 通話の途中、何度か彼女の声が掠れる。

 酸素が薄くなってきているのか、あるいは疲労か。

 彼女は言葉をゆっくりと、選ぶように話しはじめた。


 声の端が、時おり擦れる。

 肺に届く酸素が、少しずつ薄れているのが分かった。

 彼女の呼吸の音が、ノイズに混ざりながら不規則になる。

 生きようとする意志だけが、通信の回線を通して伝わってくる。

 ──それを聞きながら、俺は、

 この先の時間を知っている者として、ただ耳を澄ませるしかなかった。


『私ね、訓練、すごく頑張ってたんだよ』

「知ってる。あの頃からそうだった」

『そっか、見てたんだ』

「ずっと」


 少しの間が空いた。

 彼女は静かに息をつき、少しだけ違う声色で言った。


『私ね、あのときもずっと思ってた。君、目だけは逃げなかったよ』

「逃げたさ。だけど、心までは……無理だった」

『……そうだったんだ』


『じゃあ、どうして……話しかけてくれなかったの』

「怖かったからだよ。お前がすごくて、俺は……」


『バカだな』


 彼女は笑った。

 優しくて、どこか泣きそうな声だった。


『私ね、君と話したかったんだよ。ずっと』

「……それを、今言うのか」

『今だから、言えるんだよ』


『──ほんとはさ、呼んでほしかったんだよ。名前、ね』

「……呼んでるつもりだったよ。ずっと」


 カウントは進み続ける。

 ログ:28:34:10

 もうすぐ、半分を超える。


 そして──


 通信ログ:38:02:29

 通話のたびに、彼女の声は一枚ずつ、花びらを剥がすように細くなっていった。


 最後の通話になるかもしれない。

 警告音が何度も鳴り、彼女の声も明らかに細くなる。


 それでも、通信を開いたとき。

 彼女はただ一言だけ、こう言った。


『──迎えに、来てくれたんだね』


 その言葉に、俺は何も返せなかった。


 なぜなら、もうその通りだったからだ。

 助ける手段なんてなかった。彼女を抱いて帰る術も。

 それでも──**“ここにいる”**という選択だけはできた。


『嬉しいよ。君がいてくれて』

「俺もだ」


 ログ:42:16:58

 あと、ほんの少し。


 通信ログ:47:59:07


『……ありがとう』

「何に、だよ」


 問い返す声は、あくまで軽く。けれど、胸の奥では、何かがそっと崩れていた。


『……“君が、君でいてくれたこと”』


 少し間を置いて、彼女がぽつりと言った。


『君が、君じゃなかったら──私は、もう壊れてたと思う』


 その声は、強がりのない、本当の声だった。

 どこにも無理がなくて、だからこそ、胸に刺さった。


 俺はしばらく言葉を探した。

 でも、うまく見つからなかった。


『ふふ、なんか変なこと言ってるね、私……』


「いや、変じゃない。……嬉しかった。ありがとう」


 そう伝えたとき、彼女の息遣いが少し揺れた。


『君さ……高校の頃、私が話しかけるたびに、目を逸らしたでしょ』


「あー……うん、だって、お前……目が綺麗すぎてさ。見てると、落ち着かなかった」


『えっ……』


 しばしの沈黙があった。


『……いまさら、なにそれ』


「本当のことだよ。好きだったんだと思う。ずっと」


 通信のノイズが、一瞬だけ静かになる。

 まるで宇宙さえも、耳を傾けているようだった。


『……あのね、君。』


 彼女の声が、少しだけ、甘くなった。


『私も、同じだったんだよ。』


『いつも視線を感じててね。教室の隅とか、廊下の向こうとか。』


『君がこっちを見てるの、ちゃんと知ってた』


 彼女は続ける。


『でも、話しかけてくれなかったから……私、勝手に傷ついて、勝手に諦めたんだ』


『“きっと、興味ないんだろうな”って』


「バカだな、お前」


『……ほんとだよね』


 笑い声が、かすかに通信越しに広がった。


 でも、そのあと、ほんの少しだけ、声が震えていた。


『──でもね、あの時の私を、今の君に会わせてあげたかった』


『“好きだった人が、ちゃんと気づいてくれてたんだ”って……教えてあげたいよ』


 胸が、締めつけられる。


 今まで交わせなかった言葉が、ようやく届いた。

 届いたのに──遅すぎた。

 そんな現実が、静かに押し寄せてくる。


『こんなふうに、時間が終わる寸前じゃなかったら……』


『きっと、私たち、もっといろんな話ができたんだろうね』


「……いや。話せるよ」


「まだ、時間はある。あと少しだけ、だけど……」


『そっか……そうだね』


 その言葉だけで、彼女の声はほんの少しだけ明るくなった。


『──ねえ、もしも、また会えるとしたら』


『そのときは、ちゃんと……名前、呼んでくれる?』


 不意にそう言われて、息を呑む。


 いままで、ずっと“お前”と呼んでいた。

 名前なんて、とうの昔に知っているのに。

 呼ぶことで、想いが溢れてしまいそうで、できなかった。


「……呼んでるつもりだったよ。ずっと」


『声に出してくれなきゃ、届かないよ』


 少し拗ねたような、けれど、甘えるような声。


『名前、呼ばれたら……きっと泣いちゃうけど』


「いいじゃん。どうせ、俺だって泣くんだ」


 その言葉に、彼女は笑った。


 音声通信なのに、不思議と彼女の笑顔が浮かぶ気がした。


 この数十時間で、やっとたどり着いた──

 そんな気がした。

 もしこのまま終わったとしても、きっと、彼女の心に何かは残る。


『ねえ、ありがとう。ちゃんと、届いたよ、全部』


「……そっちこそ、ありがとう」


『なんで?』


「お前の声が……こんなに俺を救ってくれるなんて、知らなかったから」


『君の声、好きだったよ。ずっと……だから、ちゃんと名前で呼ばれたら、泣いちゃうかも』

「……じゃあ、次、呼ぶときは覚悟しとけ」

『ふふ、楽しみにしてる』


『全部。……話してくれて、聞いてくれて、来てくれて』

「当たり前だろ」

『──当たり前じゃないよ』


 彼女の声が、最後の一滴のように落ちてくる。

 薄れていくノイズの中、音は徐々に宇宙の無音に溶け始める。


 終わりが来ると知っている言葉は、どうして、こんなにも優しくなるのだろう。


 きっと彼女も、もう分かっている。


 けれど、それでも──声は柔らかかった。

 まるで誰かを抱きしめるように、言葉が慎重に紡がれていく。


『ねえ、君』

「ああ」

『もしも、また声が届くなら……今度こそ、ちゃんと聞いてね』


「──聞くよ。絶対に」


 沈黙が、来た。


 通信ログ:48:00:00

 終端。

 全システム停止。通信燃料残量:0%


 それでも、俺はまだ、そこにいた。


 気がつけば、ヘルメットのバイザーに、小さな手が重なっていた。

 ……それが本当に温もりを持っていたのか、それとも俺の感覚が狂ったのかは、もうどうでもよかった。


「──遅いよ」


 言葉は、確かに耳の中に届いていた。


 その声が、耳の奥に触れた瞬間、

 ようやく重力というものを思い出した気がした。


 俺は頷いた。それだけで、もう十分だった。


 ふたりで窓の外を見つめる。

 そこには、どこまでも続く蒼く冷たい星の海が広がっていた。


 漆黒の空間に、幾千もの光点が瞬いていた。

 星というには小さく、惑星というには遠い。

 けれど、そのひとつひとつが、俺たちの言葉よりも静かに、宇宙の深さを物語っていた。


 小さなデバイスが、俺の掌に残っている。

 通信の全ログが、自動保存された端末だ。


 誰にも再生できない。音声ファイルとしてすら存在しない。

 ただ、彼女と交わした会話の“痕跡”が、そこに静かに眠っているだけ。

 けれど、それで充分だった。


 再生はできない。けれど──この中に、彼女の声は確かに残っている。


 俺はそれを、そっと握りしめる。


「また君が声をくれるなら、今度こそ──聞き逃さないよ」


 それはきっと、誰かが宇宙のどこかで、また声を拾ってくれると信じていたから──

宇宙での遭難事故──

声しか繋がらない通信機で、好きだった人と“最後の48時間”を交わす物語です。

過去も未来も届かない場所で、ふたりは向き合います。

静かで確かなラブストーリーを、読んでくださりありがとうございました。


……ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

もし続きを読んでみたいと思っていただけたなら、

星をそっと置いてもらえると、うれしいです。


……たったひとつでも、背中を押されるような気がするのです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ