058 溢れ過ぎの「〇〇が好き」
「ひとつまみの納涼大会」
どうも読者です。
今回も検索読書感想の溢れ話です。
「なんか〇〇みたいだな」
作品を読んでいてみなさんは思ったことがありますか? 私は勿論あります。一度そう思ってしまうと、その呪縛から逃れることはとても困難です。
何かしらに似ている、何番煎じもいいところ、なんて思ったこともないなどとは嘘になりますので正直に答えれば「ある」。
これまで小説に限らず漫画、アニメ、映画、ゲーム…色んなものに触れれば触れるほど、「〇〇みたい」と思うことは増えていくのだから。
それでも、自分の好きを探しております。
しかし、読んでも読んでも文字を読む度に脳裏に浮かぶ映像が「〇〇みたい」である限り、読むのを止めるしかない。違うものであるはずが、すでに存在する誰かのものに見えてしまうのなら作品を読んでいる――何かしらの新しいものに触れていることになっていないと感じるのです。
一度離れたいと思ってもいいだろう。
今の私には同じになってしまうのですから、折角の誰かの作品を「〇〇だわコレ」で切り捨てたくない。終わらせたくないのです。
パクリではない。断じてないのだが、作者さんの溢れる「〇〇が好き」が、溢れ過ぎてて読めなくなる。
いつか割り切れるようになったら、いつかフィルターが取り払われたら、いつかその記憶が薄れて「あー〇〇ってあったな」と懐かしさの朧げな楽しかった思い出になったなら、再度読んでみたい。
綺麗事を言っているでしょうが、それまで作品が残っていればいいし、長いことなろうが存在してあればいいと思うのであります。
◉ユーチューブ見てたら『死国』をやってたんですよ。懐かしさに観て、怖さも何も感じませんでしたが、ラストはなかなかよかったですね。男の結局そっちかよ――みたいな、メンヘラの呪縛を改めて感じましたね。メンヘラ強し。




