030 ルビと私と読みたい努力
『ひとつまみの納涼大会』
どうも読者です。
書き手のときに読んだのか、読み専で読んだのかは覚えていないのですが、全話全ての漢字にルビが振られている作品がありました。
大人の私からしたらルビが邪魔。
子供だった私からしたら楽しみが一つ減った。
その作品を見てそう思いました。
読者の中にはありがたいと思う方も勿論いるでしょう。学生の頃、漢字を覚えることがどうしても難しいという同級生がおりましたから、そういう方にも優しい読みものでしょう。
ただ一読者の私が思ったことは、先に書いた通りでした。
大人の私には、難しいキラキラネームにルビが振っているのはありがたいし、特殊な技名にルビがあればすんなり頭に入ってきます。大人になっても「これなんて読むんだ?」という漢字にルビがあったら助かります。その程度で十分。
子供だった私からすれば、読めない漢字を調べて読めるようになれることが嬉しくて読書をしていた部分もあったので、一つ楽しみが減ったなと残念がったでしょう。
そして、もし作品のジャンルが童話であったなら、違和感もなかったのでしょうね。
年齢関係なく誰にでも気楽に読んもらえるようにと作者さんの配慮だったのだろうとは思います。
でも、邪魔だなーと思った。
ルビは誰を基準にして振ると丁度よいのか。
年齢制限を付けたら全ての漢字について気にしなくもいいのかなと思います。年齢制限がなかった場所は……何のためにルビを振るのか考えなければいけないのだろうか。
読書するってどういうことなんでしょうね。
読書させるってどういうことなのか…。
まあ、そこまで考えずに気楽に読むだけの話ですがね、今度は「気楽ってなんぞや?」と考え始めるわたくしがおります。
基準は自分――気楽さとはこれぐらい?
他人の気楽さと合わせるのは大変だと思うと、読書って難しいことかもしれませんね。
◉作者と読書の関係の難しさ、そんなときは『ミザリー』です。有名なのでどういうお話か書かなくてもいいでしょう。作者さんにも読書さんにも、全員に観て欲しいくらいのおすすめです。