028 料理描写といい女
『ひとつまみの納涼大会』
どうも今日は暇なので何回か登場するかもしれない読者です。
前回、「料理」と書いてふと思い出したのです。料理描写・食べ物描写を読んでいてすっ飛ばすときが、正直あるなと。
料理、食材、食堂経営など、それがメインの物語の場合は気にしないのですが、恋愛もので朝ご飯シーンなどを読むことが面倒くさいと思ってしまうときがあるのです。
特に、「丁寧な暮らし」をしているだろう主人公の手料理シーンがつらい。
主人公の為人を表現しているのかもしれない。どういう生き方、環境なのかを説明してくれているのかもしれない。
でも、正直、料理はありきたりなものしか出てこない。
平凡な日常具合をあらわしているのか?
思ってたより良い生活してんな。
主人公がお貴族様か平民かで「丁寧な暮らし」の書き方は違ってくると思います。私がつらくなるのは平民主人公ですな。
さらに加えるなら、手に職を持った自立した主人公です。中には、仕事命なダメ人間主人公もいらっしゃいますが、いい女、できる女の度合いを表現するには料理上手であることが手っ取り早いのかもしれません。
みなさん、どう思います?
料理上手の描写は何をあらわしていると思います?
それとも作者さんの憧れを詰め込んでいるのか?
やはりいい女は胃袋を掴まねばならないのか……料理上手って羨ましいもんね。美味しいもの食べたいもん。
そして、異世界屋台で定番の何かの肉を使った串焼きも食べたい。
美味しい描写が美味しいのはわかっています。お腹すきます。けれど、料理シーンが意外と長く感じてつらいことには違いなく、すっ飛ばすことを申し訳なく思いながら、平凡な日常は平凡ではないなと思う今日この頃です。
その食材をどうやって保存しているんだ? と、そちらへの疑問が浮かぶこともあったりで、詳しく描かれてあると面白く感じて読み出すこともある。
◉料理というと、カニバリズムがぽんと浮かびます。数あるカニバリズム作品の中で、今すぐに思い浮かぶ映画は、『ヴィーガンズ・ハム』です。ストーリーは肉屋の暴走。ヴィーガンうめえ! て感じです。やや考えさせられる作品かもしれない。たぶん。




