【ザリバン高原の戦い③(Battle at Zariban Plateau)】
翌日の10時に崖のある高地にSEALsのヘリが到着した、先に崖に到着していた外人部隊のLéMATはSEALsと入れ替わるように後方に撤退したという報告があった。
おかしい。
今まで多国籍軍の降下ポイントを見逃さず、甚大な被害を与えていたザリバン部隊がSOSを発信したあと全滅したこの場所に応援が来ることを見過ごすはずがない。
しかもLéMATが撤退したとは、どう言うわけだ?
戦略的価値が高かったから、この地に降下したアメリカ兵たちは瞬く間に全滅させられたのではないのか?
疑念は積もるが、そのことを深く考えていても意味がない。
全ては2時間半以上も前に終わってしまったこと。
しかも私には私のやるべき仕事がある。
平和のために使う武器を売ると言う仕事。
その日私は午前中にアルメニアを訪問して、午後はアゼルバイジャンを訪問した。
目的はロシアが主導するCSTO(集団安全保障条約機構)への加盟から脱退したアルメニアと隣国アゼルバイジャンとの仲介。
両国は共に旧ソ連の自治国だった時代の1923年から1991年までアゼルバイジャンに設置されていたアルメニア人のための民族自治州『ナゴルノ・カラバフ』の領有権問題を抱えていて、過去2度の戦争が行われている。
1度目は1988年2月20日から1994年5月12日の間で、このときはアルメニアが勝利してナゴルノ・カラバフを収めていたが、2020年に起きた2度目の戦争で今度はアゼルバイジャンが勝利してナゴルノ・カラバフを奪還した。
2度目の戦争の時、ナゴルノ・カラバフにはロシア軍の平和維持部隊が駐留していたが、アゼルバイジャン軍の侵攻にも対処しなかったばかりか、この地域に住んでいた10万人以上に及ぶアルメニア人の非難に関しても何の手も貸さなかった。
以降アルメニアは西の隣国トルコとの絆を深めて、経済的にも軍事的にも行く行くは西側陣営に入る気配さえ見せている。
戦争が起きれば武器は売れるが、そうなれば経済は停滞する。
POCとしては一時的にプラスになるが、親会社である銀行は逆に株価の暴落や経済の停滞はマイナスになる。
私が今の地位に居るのは、親会社の利益を損なわない形で武器をいかにして売るかに特化した戦略をとっているから。
つまり経済力を押し上げれば、戦わずとも武器は旧式の物から最新式の武器に移り変わり、更に最新の武器開発にもつながる。
そのためにアゼルバイジャンには戦力の均衡を保つために、アルメニアへの経済協力と言う武器を提案しに来たのだ。
ロシア寄りのアゼルバイジャン政府も、もはやロシアが仲介役として機能していないことは懸念していたらしく、快く私の提案に対して理解を示してくれた。
またアルメニアの方も同様。
アルメニアにしてみればトルコ側に近付こうとしてもアゼルバイジャンとの問題を抱えたままでは上手くいかないことは分かっている。
なにしろアゼルバイジャンは、トルコ人が多数を占める国家で旧ソ連時代から西側陣営のトルコとは深いつながりがあることは分かっていたから。
両国との会談は思った以上にスムーズに進み、私はバクー・ヘイダルアリエフ国際空港からプライベートジェットに乗り飛び立った。
碧く広大なカスピ海の対岸にトルクメニスタンの大地が見える。
その向こうにあるのはアフガニスタン。
いま戦闘が行われているアフガニスタンのザリバン高地までは僅か1600キロほどしかないが進路を変えたとしても今の私に出来ることなど何もない。
一旦戦争が始まってから戦争を終わらせることは難しい。
戦争を終わらせるためには、平和なうちにいかにして戦争が始まらないようにするのかが大切なのだ。
それには一人一人の平和への気持ちが大切であるのは当然だけど、一番大切なのは戦争に携わる側である政府や軍部、軍事産業の人間が如何に平和への想いを貫くかに掛かっている。
私はその一員として、時間を惜しむことなく働く以外ない。