エピローグ
雪奈が目覚めてから数週間後。
俺たちは、雪奈が飛び降りた時に入院していた病院へ来ていた
薬品の匂いが漂う廊下には、落ち着いた様子で人が行きかっている。
周りの様子を見ていると、自然と背筋が伸びて足音を殺しながら歩いてしまう。
やがてある病室の前に立つ。
軽くノックすると、中から声が聞こえる。
扉を開けると、亜麻色の髪をした少女が表情を明るく輝かせた。
「あぁ~! 翔ちゃん来てくれたんだぁ~」
大輪の花を思わせる明るい笑顔を露わにしたのは、出会った人全員を友達だと思い込むカルガモ……もとい、沙織だ。
「約束したからな。お見舞いに来るって」
俺の手には花束があった。
隣に立つ雪奈は果物の籠を持っている。
それらを持ってベッド脇まで移動すると、沙織は雪奈へ話しかけた。
「雪ちゃんも久しぶり! 元気だったぁ?」
「え、ええと……」
「あれぇ? 何だか様子が変だねぇ」
「この間、話しただろ」
「ああ、上手くいったんだね」
雪奈と綾音が入れ替わったことは、彼女にも話している。
前に出会った時は綾音が身体の中にいた。
雪奈と綾音の二人の性格は正反対なので、違和感を持ってしまうのも無理はない。
「沙織のおかげで、俺は諦めずに済んだんだ。だから、今日はそのお礼もかねて来たんだよ」
「そんなの別にいいのにぃ」
「いいわけないだろ。それに、手術のことも気になってたし……」
沙織は今後に関わる手術をすると言っていた。
成功率は高くないと言われていたらしいが、彼女はここにいる。
まだ手術をしてないのだろうか?
不安になって沙織を見返すと、彼女はピースを作って言った。
「だいじょーぶっ! 手術は成功したよぉ~」
「っ! そ、そうか……それならよかった」
「だから、元気になったら一緒に出掛けようね?」
「ああ、もちろんだ」
沙織に手を差し出され、その手を握りしめた。
「……ほんとはね、手術するか悩んでたんだぁ。後悔しないように生きてきたし、もう死んでもいいやーって思ってたんだぁ」
「そうだったのか」
「だけど、翔ちゃんが友達だって言ってくれたおかげで勇気を持てたの。だから、ありがとね。あたしのこと、友達って言ってくれて」
どうやら、お礼を言うのはお互い様だったらしい。
沙織と見つめ合っていると、隣で雪奈が「むぅ……」と不満げに唸った」
「……もういいんじゃないですか? 行きましょうよ、兄さん!」
「え? ちょ……」
「こんなところに居たら、また他の女の子を引き寄せちゃうんですから! 精々、二股までにしといてくださいっ!」
「あははー。大丈夫大丈夫。あたし、翔ちゃんのこと全然タイプじゃないから」
「うぅ、でも……」
「むしろ、雪ちゃんの方がタイプかも」
「へ?」
「お、おい! 俺の妹は渡さないぞ⁉」
てか、そっち系だったのかよ。
沙織はくすくす笑った。
「あはは、冗談だよぉ~」
「そ、そうだよな。沙織が女子の方が好きなんて…」
「友達の彼女を取ったりしないってば」
「雪奈がタイプなのは本当かよ!」
「だって、こんなに可愛いんだよ⁉ 好きにならないほうがおかしいじゃん~」
沙織はベッドに座ったまま、雪奈の手を掴んで引き寄せた。
雪奈はバランスを崩して前のめりに倒れ込み、沙織の胸の中に顔を埋めてしまう。
「むぐっ!」
「えへへ~。艶やかな髪だねぇ」
「だろ⁉ 雪奈は世界一可愛いからな!」
「ぷはっ! に、兄さんまで何言ってるんですか!」
沙織の胸から顔を上げた赤くなりながら雪奈が叫んだ。
そんな雪奈の可愛いところを沙織と話しているだけで、時間は過ぎてしまうのだった。
***
病院からの帰り道、外はすっかり夕陽で赤く染まっていた。
「兄さん、手を繋いでもいいですか?」
甘えるように訊ねられ、頷くよりも先に手を握りしめた。
雪奈は嬉しそうにはにかんだ。
「……私、死ななくてよかったです。兄さんとこうして、幸せな時間を過ごせますから」
「いつまでもそう思ってもらえるように、ずっと好きでいてもらえるよう頑張るよ」
雪奈は嬉しそうに笑い、身体全体を使って腕に抱きついてきた。
その時、目の前を歩く少女を見つける。
金色の髪をした少女。
普段は制服を着ているところしか見たことがなかったが、今日は私服のようだ。
ピンク色のパーカーを着て、青いスカートを跳ねさせている。
「桃華?」
雪奈が呟くと、彼女は振り返った。
その視線はまずは雪奈を捕らえて目を輝かせ、次いで俺を見上げて曇った。
おい、失礼な反応だな。
「桃華、こんなところで何して――」
「こんな時間に会うなんて奇遇っすね! いや、これも運命かも!」
俺を無視して、桃華は雪奈に詰め寄った。
「無視かよっ」
「あっ、先輩いたんすね。邪魔なので先に帰っててください。今日はこれから、雪ぽよとデートすることにしたっすから!」
「俺ら、これから帰って夕飯のつもりなんだけど……」
「そうですよ。デートはまた今度してあげますから」
雪奈が呆れながら話す。
「そういえば、桃華にはまだ謝れてませんでしたね。色々と、心配かけてごめんなさい」
雪奈が頭を下げた。
桃華はあからさまに狼狽えていた。
「ひゅえっ⁉ ゆ、雪ぽよがウチに頭を下げるなんて、そんなことがあっていいんすか……? いや、よくないっす! ウチの愛する雪ぽよは、どんな時にもクールドライでウチを罵倒するんすから!」
「そうですか。桃華が私のことをどう思っているのかよーくわかりました。右頬を差し出してください」
「おい、待て。その掲げた手で何する気だ」
桃華の頬を引っ叩こうとする雪奈の手を慌てて止めた。
肝心の桃華は、若干興奮しながら本当に右頬を差し出している。
止めないほうが正解なのか、コレ!
「ま、冗談はともかく。桃華には心配をかけてしまいましたからね。特別に何でも言うことを聞いてあげますよ」
「えぇ⁉ いいんすか⁉ じゃあ……」
「変なことを言ったらシバきますよ」
「うえぇ? 足蹴にしてほしいとかはダメぇ?」
「ダメです」
なんでいいと思ったんだろう。
てか、こんな公衆の面前で変態行為しようとしてんじゃねぇ。
「うーん……それじゃあ、何か考えておくっすよ」
桃華はそう話し、今度は俺へ視線を向けてきた。
「先輩も、ウチに何か言うことがあるんじゃないっすか?」
「俺の妹に変なことを吹き込まないでくれよ」
「そうじゃないっすよ⁉」
「冗談だよ」
俺は桃華の頭を撫でて。
「ありがとな。雪奈をこうして取り戻せたのは桃華のおかげでもあるんだ」
「っ! だ、だから、ウチは先輩の妹じゃないんすから頭撫でないでくださいっす!」
ぱっ、と俺の腕を叩くと、桃華は飛び退った。
「ごめん。つい……」
「むぅ……兄さんがまた他の女に手を出して……」
「違うからな⁉ 俺が大事なのは雪奈だよ!」
「その台詞、あとで綾ちゃんにも言うくせに~!」
「あーもう! ウチのまえでイチャつかないでくださいっすよ~! マジ泣きするっすよ⁉」
桃華が涙目になっていたので、俺と雪奈は笑いあうのだった。
***
桃華と別れて、自分たちの家へ帰宅した。
閑散とした家には、相変わらず俺と雪奈しかいない。
手洗いうがいを済ませてリビングへ向かうと、ソファーに座った雪奈が隣を叩いた。
「兄さん、そろそろ時間ですよ」
「ああ、分かってる」
俺は雪奈の隣に座った。
時計の針は、夕方の六時を指そうとしている。
隣り合って座ると、俺たちは向き合う。
お互いの頬に手を添わせ、笑みを浮かべる。
「大好きですよ、兄さん」
「ああ、俺も大好きだ。雪奈」
お互いの気持ちを告白し、俺たちはキスを交わす。
舌を交え、唾液を交換しながら。
兄妹同士ではすることのない、深いキスを。
「……んはっ」
やがて、唇を離す。
お互いの舌から唾液の糸が伸び、それを見下ろした『彼女』は不満げに眉根を寄せた。
「もう……また雪奈ちゃんとこんなキスしてるぅ……」
「また入れ替わる時に綾音も同じくらいキスしてあげるから」
雪奈から入れ替わった綾音は、むすっとした表情のまま俺の首へ腕を回してきた。
だら~ん、と身体をもたれかけさせてくる。
「しょうまぁ~」
「なに?」
「呼んだだけ~」
綾音はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「こうして名前を呼び合えるのって幸せだね」
「死んだら出来ないからな」
肩に身体を預けてくる綾音。
その頭を撫でながら俺は言った。
「綾音とこうしてまた話せてよかったよ」
「私はちょっと不満だけどね」
綾音は目を細めた。
「雪奈ちゃんがあのまま目覚めなかったら、翔馬は私だけのものになったのにってさ」
「今だけは、俺は雪奈のものになるよ」
二人を幸せにすると決めた。
だから、それぞれと過ごしている間はそれぞれのことだけを考えようと思っている。
「そっか。それじゃ、今は私が翔馬を独占できるんだね」
綾音は顔を上げると、頬にキスしてきた。
そのまま、耳元で囁く。
「翔馬、大好きだよ」
「……俺も好きだ、綾音」
お返しにと、綾音の頬にキスを落とした。
彼女はくすぐったそうに笑った。
「これから、たくさん幸せにしてもらうんだからね」
「分かってる。綾音のやりたいこと、全部叶えてやるよ」
「うんっ。翔馬がどれだけヒイヒイ言うことになっても、遠慮なんてしてあげないんだから」
綾音はこちらを見上げ、柔らかな表情を浮かべた。
一度は死んでしまい、二度と会えないと思っていた彼女。
俺はずっと綾音のことを引きずって生きてきた。
だけど、もう過去は振り返ろうとは思わない。
今の俺には、幸せにしないといけない大事な人が二人いる。
雪奈と綾音――。
彼女たちに後悔させないためにも、精一杯愛してあげたいと思っている。
「これから、たくさん楽しい思い出を作ろうな」
「うん。二年間、会えなかった分も合わせて……たくさん幸せになろうね?」
愛しい彼女が笑う。
俺はその表情に心が温かくなるのを感じながら。
彼女の額へ、再びキスするのだった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
次回作もよろしくお願いします!




