第17話 不満と不安
「女媧様。一応は敵が蚩尤であることは学習しました」
あまりに適当なやり取りが見ていられなくなったようで、太上老君がそう間に入ってくれる。それにも女媧は不満そうだったが
「湯あみをしろ。話はそれからだ」
と、今度はセンブリ茶で攻撃してくることもなく、風呂に入るように勧めてくるのだった。
「あのお風呂、何なんだ。めっちゃ身体が軽くなったぞ」
俺は勧められるままに風呂に入り、そこで起こった奇跡的回復に思わず感動して、太上老君に興奮のまま感想を述べていた。岩場を登ってきたしんどさもそうだが、一度ぼきぼきに骨折した身体に残っていた違和感も、きれいさっぱり消えている。
「そいつはよかったな。女媧様お手製の薬湯だ。一応は第一関門は合格したということだ。もし駄目だったら、今頃唐辛子風呂に入れられ、あそこが腫れ上がっていただろうさ」
しかし、感動は太上老君の恐ろしい一言で飛ぶ。
「と、唐辛子。あ、あそこ」
俺は股間を押さえて、ひえええっと悲鳴を上げてしまう。だが、それって風呂に入る前に気づきそうだ。
「さすがに唐辛子風呂にはゆっくり浸からないよ」
冗談は止めろよと俺は苦笑いをしたが
「ふっ、甘いな。女媧様ならば唐辛子の色味や匂いを消すなど朝飯前だ」
太上老君は冗談なものかと笑ってくれる。
「いやいや。何なの、その嫌な技」
「おい。そこで勝手に太上老君とイチャイチャするな」
呆れ返っている俺に向かって、問題の女媧はさらに呆れることを言ってくれる。
「お風呂、ありがとうございました。めっちゃ気持ちよかったです」
しかし、俺はそういう呆れを飲み込み、風呂に対しての礼を述べた。色々とぶっ飛んでいるし問題のある人だが、あの風呂はマジで感動した。
「うむ。ちゃんと礼が言えるのは感心だ。では、回復したところで修行と行こうか。ついて来い」
無事に返答にも及第点を貰え、ようやく俺は女媧の御殿の奥に進むことを許可された。御殿は奥に進めば進むほど岩山の中に入っていくため、薄暗く感じる。
「音もない」
そして、最大の違いがこれだ。外界の音が全く聞こえなくなる。衣擦れの音と足音しか聞こえないというのは、妙に気持ち悪い感覚になる。
「そう。ここは精神を鍛えるには素晴らしくいい場所なのだ」
女媧は作るのに苦労した甲斐があると笑っていた。どうやらこの御殿は女媧の自慢でもあるらしい。
「精神を鍛える」
しかし、俺が気になったのはこちらだ。なんという油断ならない言葉だろう。一体ここで何をさせられるのか。不安になってくる。
そのまま音の少ない廊下を進んでいると、やがて、大きな扉の前に辿り着いた。そこで女媧は立ち止まると俺に向き合った。初めて正面から見る女媧は、胸だけでなく背も大きかった。俺より僅かに高い。その事実が、ちょっと傷つく。
「何を沈んだ顔をしておるのだ。ここからが試練だ」
「はい?」
しかし、相手の背が高いことに傷ついている場合ではなかった。成り行きとはいえ自分は仙人の力を借り、蚩尤と戦わなければならないのだ。
「ここからが試練って、つまり、この扉の向こう側に何かがあるということですか」
「そのとおり。この先はお前独りで進め。そして奥にある宝を取って来るがよい」
「はあ」
なんだか嫌な予感しかしないが、引き下がることは出来ない。ここまで黙ってついて来ていた太上老君を見ると……やばい、めっちゃ同情の眼差し。
「た、太上老君」
俺は思わず助けを求めるように呼び掛けた。すると太上老君はふるふると首を振ると
「オ前ナラ大丈夫ダ」
と妙な喋り方で応援し、親指を立ててくれる。
最大級に不安。
「いやいや、めっちゃ片言になってんじゃん! お前、この先が過酷だと知っているんだな」
「何ノコトデショウ」
「おいっ」
何で片言で乗り切れると思ってんだよ、この仙人様は。
ってか、片言にしなきゃ誤魔化せないって、この先に何があるんだよ。
「おいおい。太上老君から助言をもらおうとするんじゃない。何、命に関わるようなことはないさ」
「いやいや」
すでに一度、命の危機がありましたけど。っていうか、泰山府君に復活してもらっただけで、一度死にましたけど。
呆気に取られる俺を、女媧は早く行けと犬を追い払うように手を振ってくれる。しかも、左手はしっかり太上老君を捕まえ、あろうことか胸を揉んでいた。
エロ親父かよ、あの仙人。
しかし、太上老君にもしばらく試練があると思えば、先に進むかという気になるから不思議だ。
「じゃあ、行ってきます」
「おう。せいぜい気張れよ」
「……」
やっぱり不安。
そう思ったものの、俺は扉を押して開くと、先に進むしかないのだった。