第11話 過酷岩登り
「はあ」
「そんな顔をするな。こっちだって怠い」
「わ、悪い」
付き合わされている太上老君も疲れているという事実に、俺は素直に謝った。ともかく、先に進むしかない。
「よろしい。大体、私はこの先に行きたくないんだからな」
「ああ、そうだよな」
土下座してまで嫌がった相手が待っているのだ。岩場を登る以上に嫌だろう。俺はますます愚痴を言っちゃ駄目だったと気を引き締める。
「でもさ、何でそんなに嫌なんだ? 神農様は可愛がっているだけ、みたいに言っていたけど」
しかし、なぜ嫌なのかが気になって、俺は恐る恐る訊ねてみた。すると、太上老君がぎっと睨んでくる。が、すぐに大きく溜め息を吐き出すと
「その可愛がり方が問題なのだよ」
とだけ言った。
俺は首を捻るしかないが、どうやら嫌がらせをされるらしいと考えることにした。
「おっ、あれはなんだ?」
しかも空を不思議な色合いの鳥が飛んでいくので、俺の興味はそちらに移ってしまう。しかも、桃源郷の中はどこもかしこも見たことがない風景の連続だ。今はまだ神農がいる桃園が続いており、いい桃の香りが周囲に漂っている。
「あれは鴆だ」
「ちん?」
名前も聞きなれないその鳥は、黒く見えたり紫に見えたりする翼を羽ばたかせながら、どこか遠くへ飛んでいく。
「あれの肉や羽には毒があるんだ。羽がこの辺に落ちていても触るなよ」
「マジかよ」
鳥に毒があるなんて初耳だ。本当に桃源郷は知らないものばかりで困る。
あちこちの気になるものに目を奪われつつ進むと、やがて桃園が途切れ、その奥に岩山が聳え立っていた。それは想像していたものより巨大な岩山で、十尺(約三十三メートル)をゆうに越える高さがあった。
「あそこにいるのか」
「ああ」
「マジか」
思った以上の岩登りじゃないかと、まだ遠くに見えている岩山に俺はぐったりしてしまう。太上老君も頑張っているんだからと気合を入れていたが、あっさり挫かれる高さだ。
「武官ならば体力に自信があるだろう」
「いやいや。武官だからってひょいひょい岩山が登れるって思うなよ」
なんか基準がおかしいんだよな、この仙人様。
俺は思いっきり心の中でツッコミを入れつつ、アレを登るのかあと、もう一度遠い目をしてしまう。
「山頂まで登る必要はない。女媧様がいるのは中腹だ」
あまりに俺が嫌がっているのが解ったようで、太上老君はそう付け加えてきた。しかし、真ん中と言ったって、なかなかの高さがある。五尺(約十六メートル)の岩登りを前に、俺の足は思い切り重くなり、ゆっくりとしか歩けなくなる。
「真ん中ねえ」
「ほら、行くぞ。ここでうだうだ言っていると、余計に嫌になる」
「はいはい」
同じく嫌な思いをしつつも前進する太上老君に引っ張られ、俺は愚痴を引っ込めて歩き始めた。しかし、近づけば近づくほど、その高さを意識してしまい、げんなりした気分になってくる。
「何でこんなところに住んでいるんだ?」
俺はついに根本的なところを訊ねてしまった。
「趣味だ」
それに対して太上老君の答えはあまりに素っ気なく、またやる気がない。
「趣味って」
「ともかく変わった御方なんだよ。奇妙なことがあれば、それは趣味と考えるのが最も合理的かつ安全なんだ」
「なにそれ」
どんな変人なんだよ。
俺はドン引きしてしまう。そしてようやく、太上老君が嫌がった心境を理解する俺だ。
「あれか。常人には理解できないってやつか」
「そのとおり」
「やれやれ」
これは俺も嫌がらせをされることを覚悟しなければならないな。そう腹を括ると、岩山の最初の一歩に足を掛けた。行き来する人がいるようで、足場には目印が付いているので、その点は助かった。
「弟子の方々は毎回ここを登ることになるからな。目印も付けたくなるだろう。師匠に報告に向かっているのに死んでいたら、元も子もない」
その目印について、太上老君は同情しつつ説明してくれた。
って、死ぬ可能性があるのかよ。
俺は思わず岩を握る手に力を込めてしまう。
「大丈夫だ。よほどのことがない限りは死なない」
「いや、今さら言われても」
「気を抜かなければ大丈夫だ。弟子たちはあれこれやった後で疲れているからこそ、うっかりが致命傷になるというだけだ」
「いや、何一つ安心できねえよ」
どこが大丈夫なんだよ。