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屍装騎士⑥

「さて……君の扉を、こじ開けるよ」


 床板を踏み砕く破壊的踏み込み! 速度を乗せたウォードクラブの斬り下ろしがリザヴェータの肉体を襲う! 受ければ肉が爆ぜ骨が砕ける悪夢の一撃!


「ばかにすんなッ!」


 リザヴェータは斜め上からの打ち込みを腕で受けた! 拙劣な防御行動だ! ウォードクラブとリザヴェータの左前腕が交差! リザヴェータの肉が爆ぜ骨が砕け――ない! 無傷! リザヴェータ、命に至る一撃の防御に成功す!


「フー、こっわ……怖すぎるでしょ」


 震える息を吐きながら、リザヴェータは右手に握った糸切鋸を螽兜の首筋に叩きつけた。鉄刃はたやすく粉々に砕け散った。


「やるね」


 螽兜は左前蹴りをリザヴェータの胸に打ち込んだ。足裏で押すような一撃である。リザヴェータがたたらを踏んで後退し、強引に作った間合いでウォードクラブのバックハンド回転撃。が、リザヴェータはこれを十字に組んだ腕で受け止めた! 衝撃を殺しきれず、十字腕姿勢のまま横滑りするも、外傷は無し! これはいかなる魔法であるのか!


「魔力が集まっています! 打たれるところに集まって、リザヴェータを護っているんです!」


 オンニを担ぎ、ウルリカの手を引き、頭に(クーコルカ)の幼体を乗せた格好で、リリャは叫んだ。リザヴェータの魔法の秘密を、リリャは慧眼で暴いてみせた。

 激突(インパクト)の瞬間、リザヴェータの周囲に漂っていた霧状の魔力が結集してウォードクラブを受け止めた。肉眼では捉えられぬ、(かそけ)き魔の鎧――この魔法には、渺鎧(びょうがい)の名がふさわしかろう!

 一人の者に魔法は一つ。魔法の謎を解かれることは魔法戦における死活問題だ。リザヴェータの殺意がリリャに向いた。螽兜はその()を見逃さず、


「さあ、リーザ、もう少しぼくと遊ぼうか。まだいたぶられ足りないだろう?」


 甘ったるい声で愛称を呼ばわった。リザヴェータは嫌悪に震え、たちまち憤りの全てが螽兜に向かって吹き付けた。


「やめろ、気持ち悪い!」


 砕けた骨切鋸を放り捨てたリザヴェータが選んだのは、驚くべきことに右フックであった。さしたる太さも無い非力な拳が螽兜めがける。螽兜は警戒のバックステップ。リザヴェータのフックは当然のように空ぶる。


「ぐっ!?」


 螽兜の顎に衝撃が走り、首が捻じれた! 不意の軽度脳震盪に膝をついた螽兜へと、畳みかけるようなリザヴェータの左後ろ回し蹴り! 右フックの角運動量を保持した一撃は螽兜の鼻先を掠め――真横に吹き飛ばされる螽兜の肉体! 肩から壁に激突、建物そのものが大きく揺れる!

 続くリザヴェータのトゥーキック! 螽兜は立ち上がれないまま左手首をスナップ、蚕糸(シェルク)を射出した! 不可視の絹糸でリザヴェータの蹴り足、その足首を絡め取り、再度スナップ! 巻き取り機構が加熱する速度で糸を巻き取り、リザヴェータの体が背中から地面に落ちる!


「いったたたた……んんッ!」

 

 蚕糸にかかったテンションが、ふっと失われた。渺鎧によって糸を断ち切ったのだ。畳みかける機を失ったリザヴェータは、鋭く舌打ちしながら腹筋の力で跳ね上がる。

 脳震盪から復帰した螽兜は、ウォードクラブにすがって立ち上がった。


 双方が回復のための間を望み、奇妙な均衡状態が訪れた。螽兜はリリャたちが逃げたことを確認した。ワルワーラの屍は……置き去りだ。リリャは賢明な判断をした。だがその合理は、彼女の心を深く切り裂き、傷つけただろう。


「よろしい。見えない鎧を攻撃箇所に集めたわけだね。これは効くなあ」

「アンタの攻撃は効かないよ、螽兜。このまま帰ってくれるとありがたいんだけど」

「悪いけど、君を殺すって決めているんだ」


 螽兜は踏み込み突きを放った。正確に心臓を狙う一撃は、結集した渺鎧に食い止められる。これで佳い。螽兜の狙いは一撃必殺ではないのだから。

 渺鎧との衝突反動でウォードクラブを引き戻し、威力を増した再度の心臓突きもまた渺鎧が受け止める! だが、故にこれで佳い! 衝突反動による更なる加速を得た突き! 渺鎧はこれもまた受け止めリザヴェータの心臓を護る!

 (トツ)! (ボウ)! 突! 防! 横殴る雨にも似た勢いのラッシュは十数撃に及ぶ衝突反動により凄まじい速度を得た! そう、狙いはただ一つ! 超高速の突きによって、渺鎧の結集前に生身を突き破る!


 放たれる高速の突きが狙うは心臓ではなく、頭! 狙いすましたこの一撃、頭蓋を砕き散らすには十分!


 が! だが! 為ったのだ、渺鎧の防御が! 溜め込まれた衝突反動を御しきれず、螽兜の腕が跳ね上がった!


「ばかだねッ!」


 リザヴェータ渾身のボディーブロウが、渺鎧を纏って螽兜の脇腹に突き刺さった。螽兜は体をくの字に曲げた。


「死ね!」


 絶叫と共に放たれたミドルキックを、螽兜はバク転で回避。距離を取る。


「いたた……すごい威力だ。君のことをばかにしていたよ」

「あのね、あたしは親切で言うんだけど、力押しじゃ無理だよ。帰ってくれない?」

「君の鎧は、意志と関係なく衝突しかねない箇所に結集するんだね。こちらがどれほどの速度で撃とうと、絶対に防御するわけだ」


 リザヴェータは答えなかったが、沈黙は肯定も同然だった。リザヴェータの渺鎧は自動で発動し、彼女を護るのだ。無敵の鎧として。


「本当に、力押しじゃ無理なのかな? これは追及しがいのあるテーマだよ」

「そうかい。じゃ、試してみれば。無駄だと分かるまで」

「ありがとう、リーザ」

「死んで」


 螽兜は鍵束から、焼け焦げた人骨の鍵を取った。最初の纏身に使用したものよりも、やや太く短いい。例えるならば、薬指と親指の関係性。


 親指のような骨の鍵を、ベルトのバックルに差し込んで捻る。蔵置の魔法が、発動する。

 虚空から這い出た魔物の筋皮が、螽兜の屍装を覆った。腕部、胸部、脚部への、それはさながら増加装甲であった。丸みを帯びた黒い肢体は、見る者に熊蜂を想起させる。


 ウォードクラブが掻き消え、代わって螽兜の手に握られているのは――


 ずん。


 凄まじい重量物が床を砕いた。円柱状の物体である。幾つかの突起付リングが嵌められ、その有様はダイヤル錠を思わせる。

 円柱の底面には、無数の関節を持つ仔竜(こりゅう)の脊椎が埋め込まれていた。脊椎の伸びる先、螽兜が握っているのは尾骨を削った持ち手であった。


「……怖すぎでしょ」


 リザヴェータは、いっそ笑った。掠れた声で。


 螽兜が持ち手を振り上げ、先端(すい)はやや遅れて浮き上がった。腕を高々と掲げ、頭上で地面と水平に回転させる。遠心力を得て加速した円柱部位を、リザヴェータめがけ、投げつけるように振った!


 ガ、ガ、ガ、ガ、ガ! テーブルを、壁を、椅子を、暖炉を、触れる全てを粉砕しながら迫る大速度大質量! 椎骨間に仕込まれた高弾性蛋白質が伸長し、伸びた間合いがリザヴェータの身体に至る!


「やばっ」


 交差腕にありったけの魔力が結集し、円柱の一撃を受け止める! が!


「ああああッ!?」


 衝撃浸透! 右腕尺骨粉砕! 吹き飛んだリザヴェータは壁を突き破って隣室の床を無様に転がった!

 これが! これこそが! 屍装騎士螽兜ダイヤルスタイル! その絶対粉砕殴撃武装ぜったいふんさいおうげきぶそう、ダイヤルフレイルである!

 

 リザヴェータを弾き飛ばしたダイヤルフレイルは、勢い止まずに壁を一面丸ごと抉った後、落下して床を砕いた。椎骨間蛋白質が収縮し、先端円柱が砕氷船のように床材を砕きながら戻ってくる。(ノミ)型魔物の脚部より採取したこの蛋白質は、未だ研究段階にある最先端素材、ゴムに似た性質を持つ。エネルギー伝達率はゴムを遥かに凌ぎ、対象に螽兜の暴力を効率よく伝達する! その結果こそ、無様に床を這うリザヴェータであるのだ!


「死、ぬ……やばい……死ぬ」


 痛みとショックで血の気の失せた顔をしながら、リザヴェータは荒く息をした。何度も唾を呑み、嘔気を抑えつける。追撃の気配はない。意識してゆっくりと息を吸う。

 勝てるとは思っていなかった。だが、負けるつもりもなかった。不可視の鎧は彼女の剣でもあり、常にリザヴェータと共にあった。女だからと嵩にかかって支配してくるような男がいれば、その暴力性の根拠となる三本目の足を渺鎧(びょうがい)でへし折ってやった。リザヴェータの痩せた体を嘲笑う女がいれば、胸と尻をすり下ろしてやった。

 

 なぜこんなことになった? リザヴェータはただ、いつも通り気に食わない連中を殺そうとしただけだ。それがたまたま移民のガキどもだった。あの連中は社会のダニだ。潰して何が悪い!

 リザヴェータの心中に怒りが満ちた。正しいのはいつも自分だ。服従を迫るクズも、優位に立とうとするクズも、コザースクにしがみつくクズも、クズを護ろうとするクズも、必ず殺してやる! 刺し貫いてやる!


 命の瀬戸際こそが最良の練兵場(れんぺいじょう)である。リザヴェータの純化された殺意は思考に満ちる不純物を絡め取り、清澄(せいちょう)した。リザヴェータは、奔った。


 ゴウ! 塵埃を破ってダイヤルフレイルが飛来! リザヴェータは紙一重でこれを回避、速度を落とさず螽兜をめがける! 後頭部にチリチリと嫌な感触。リザヴェータが咄嗟に飛び跳ねたその真下、致命的円柱が床を砕きながら螽兜の手元に引き戻される。リザヴェータの感覚は研ぎ澄まされていた。放たれたダイヤルフレイルが、無防備な空中の自分を狙うその軌跡さえも分かった。ほんのわずか後、フレイルは腰骨(ようこつ)を叩き砕くであろう。リザヴェータが、これまでのリザヴェータであったのならば!


 霧状の魔力を意志する。その集結場所を意志する。足元に、意志する。そんなことが出来るのか? 知らぬ! 出来なければ死ぬのだ! リザヴェータは、蹴った! 足元に生じた渺鎧を!


 絶対粉砕殴撃錘ぜったいふんさいおうげきすいが体のすぐ下を通過した。リザヴェータは螽兜めがけて跳んだ。貫いてやる。魔法に目覚める前、父にそうされたように。魔法に目覚めた日、父をそうしたように。


「あああああああああッ!」


 霧状魔力を円錐状に凝集! 最高密度の渺鎧は今や物理的実体を伴ったかのように幻視された! 研ぎ澄まされた先端、狙うは屍装騎士の心臓!


 渺鎧は、狙い過たず螽兜の左胸に衝突し、潰れた。


「え……」


 そう! 潰れたのだ! 粘土かなにかのように! 最高密度円錐、ダイヤルスタイル増加装甲の攻略ならず!


 リザヴェータの心臓が、潰れるような音を立てて鼓動した。フェイスグリル越しの複眼が、無感情に彼女を見下ろした。怯えが彼女の全身から力を奪い、リザヴェータは膝から崩れ落ちた。それは彼女にとって幸いだった。リザヴェータの髪をいくらか引きちぎりながら、フレイルが引き戻されたのである。立っていたなら背骨を砕かれ即死していただろう。


「よろしい。よく避けたね」


 圧倒的優位にありながら、螽兜は尚も挑発を繰り返し、リザヴェータの心を折ろうとしている。


「うッ……るさいッ!」


 だが螽兜の挑発こそが、リザヴェータの()を取り戻すよすがとなった。増加装甲による敏捷低下と、近距離での取り回しが効かないダイヤルフレイル。これが何を意味するのか? ここは、リザヴェータの間合いだ。


 螽兜は手の甲から突き出した狼爪(ヴォールク)で殴りつけてきた。渺鎧で受ける。衝撃に後退するも、まだ間合いだ。リザヴェータは自らの見えぬ魔力を意志する。細く、鋭利に。追加装甲に守られぬ関節を狙う、針の形に。


 霧状魔力が再び高密度結集し、鋭い刺突剣の形を取った。狙うは腕関節! 差し込んで捻り、断ち切る!


 踏み込みかけたリザヴェータの眼前で、フレイルの円柱が跳ねた。


「え……なに、それ」


 ダイヤルフレイルの持つ多関節の脊椎が、一本の棒となっていた。その先端には、円柱。その邪悪な見た目は、さながら馬上の騎士を馬ごと叩き潰す超重量の戦棍(メイス)

 椎骨間の高弾性蛋白質が限界まで収縮し、いわば芯として機能していることを、リザヴェータは理解し得ない。


「だからッて!」


 リザヴェータは魔力刺突剣の突きを繰り出した。螽兜は柄を深く握り、(おもり)でその一撃を弾く。リザヴェータの腕は関節が千切れる寸前まで跳ね上がる。間合いの理が潰されたことを、リザヴェータは悟る。


「力押し、してみようか」

 

 螽兜は、フレイル時に持ち手としていた尾骨を左に捻った。弾性蛋白質の芯が押し上げられ、先端円柱内の白く柔らかな部分――強発電魚型魔物の発電細胞――を圧迫した。

 強く押された発電細胞が、細菌型魔物より採取した鞭毛型モーターに給電を開始する。回りはじめたモーターが動かすのは、錘にはめられた突起付リングだ。



 最上段が、右回りに。

 ついで二段目が左回りに。

 三段目が右回りに。

 四段目が左回りに。



 これが。

 これこそが。

 屍装騎士螽兜ダイヤルスタイル、その絶対残虐肉挽武装ぜったいざんぎゃくにくびきぶそう、ダイヤルメイスである。


「うそ……うそでしょ」


 茫洋と絶望に囚われたリザヴェータめがけて、互い違い回転するリングが振り下ろされた。


「ひっ」


 リザヴェータは頭上で腕を組み、高密度渺鎧の結集によって一撃を受けた。回転環の突起が渺鎧を掻き取り、手で氷を溶かすように、ダイヤルメイスがゆっくりと沈んでいく。


「ひっ、ひっ、ひぃいいいい……!」


 リザヴェータは涙を零した。死そのものが、万能の鎧を抉りながら迫った。そして――


 それはまるで、攪拌された体組織を吐き出すスプリンクラーであった。黄色とピンクがまだらになった泡立つ粘液は天井にまで達した。

 数十秒で、ダイヤルメイスはリザヴェータを削り尽くした。後には、髪の毛の一筋すら残らなかった。


 螽兜はダイヤルメイスにすがり、膝をついた。昨夜のレフ・ペトロフに始まり、魔法戦を立て続けに三度。屍装鎧は、身に着けているだけでスタヴローギンを傷つける。人の限界を超えた機動を可能とするための、それが代償だ。

 前十字靭帯損傷。右上腕骨剥離骨折。左第八から第十二肋骨亀裂骨折。無数の裂傷と筋肉の炎症。軽く済んだ。

 恐怖を与えて抵抗を封じ、相手に何もさせず殺す。それがスタヴローギンの理想であり、屍装鎧の運用だ。ここに集った黒髪団のうち、リザヴェータ以外の誰が魔法つかいであったのかは知らない。魔法を使う前に殺せばいいのだ。


 バックルから鍵を抜き、ダイヤルスタイルを解除する。ウォードクラブを用いるウォードスタイルは、肉体への負担が比較的少ない。

 立ち上がった螽兜は、置き去りにされたワルワーラの屍に歩み寄った。血液があらかた流出し、ワルワーラは白い。螽兜は拳を強く握る。その力で、自らの手指が圧壊する寸前まで、強く。


「さあ、帰ろう。リリャが君を待っているよ」


 ワルワーラを抱き上げ、よろめきながら歩を進める。


 ぎぃぃぃいいいいいいいイイイイ――


 奇妙な音だった。乾いた破裂音の後、金属を引っ掻くような不快な響き。螽兜は瞬時に意思決定し、窓に向かって走った。

 衝撃が襲った。

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