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屍装騎士①

 さざ波が朝陽に照らされ、コザースク河は麦畑のように金色だった。

 河口のあたりでは土が塩を噴き、塩害に強い(ヨシ)の類がまばらに生えるばかりで、それもこの冬の寒さにすっかり枯れていた。


 人気のない曠野(あれの)に、ざくざくと、音。

 泥混じりの塩と霜柱を踏みしめる多くの小さな足。


 先頭を行くのは、一目で移民と、それもとてつもなく貧しいのだと分かる童女だった。腰まで伸ばしたやわらかい金髪。長い前髪からは赤橙色の左目が覗き、右目は隠されている。

 ありったけの布をかき合わせたのだろう、継ぎ接ぎだらけの服を何枚も着込み、冬のすずめのようにふくれている。


「はああっ、さむ、さむ……ううー! 寒いですねもう!」

 

 綿も詰めていない布だ。何枚重ねようが、海辺の冬風を遮ってはくれない。移民の肌の白さが、寒風を浴びた鼻の頭と耳の赤さを際立たせた。

 童女の後には、年もばらばらな子供たちが十人ほど続く。膚の色も顔つきも異なり、共通しているのは移民であるということだけだった。


「ねむいー」「おしっこしたい」「ねージセル泣いてる、お父さんの夢みちゃったって」「霜柱いっぱいふんだ!」「おれのほうが踏んだし!」


 子供たちは好き勝手にわめきながら、童女に付き従っている。


「さあ! はじめますよ!」


 くるりと振り返った童女が、明るい声をあげる。


「はーい、リリャ。ほらみんな、リリャがお話するぞー。おとなしくして聞けー」


 年長の少女が、ぐずる子供たちをあやした。


「オンニ、アンテロ、ノエル! 三人は鯉釣りです。ノエルがちゃんと面倒みてあげてください」


 童女に……リリャに名を呼ばれた子供たちは、うなずき、あるいは大声で返事をした。


「イングリド、クリスタ、ロキはうなぎの罠のチェック! わるいおとなに気を付けてくださいね。わるいおとなはわるいので、うなぎを盗んだりしてきます。残りのみんなは塩摘み! 遠くにはいかないように! はい、では今日のおしごと、はじめ!」


 リリャがぱんと手を鳴らすと、子供たちは我先に駆けだしていった。 

 指示を出したリリャ自身も、さっそく塩摘みをはじめる。なんということもない。土に噴いた泥まじりの塩を搔き集めるだけだ。


 〝月の海のこどもたち”院の孤児は、三か月前、大人に見放された。これはよくあることだった。辺境の最前面であるコザースクには、移民の流入が著しい。

 陸に深く切り込んだ内海たるユーク海の対岸では、お家騒動に端を発した泥沼の内戦が、山がちで狭く貧しい土地を完全に荒廃せしめていた。

 リリャたちは内戦によって国を捨て、コザースクで親を失った。移民を集めた孤児院への補助金が打ち切られると、親がわりの大人たちも消えた。

 孤児は寄り添って生き延びた。とりわけ聡明なリリャは、ごく自然にまとめ役を努めた。どこからかガスが漏れてゆっくり墜落していく飛行船の、最後の操舵手(そうだしゅ)を任されるようなものだった。いつか船ごと焼け死ぬことは分かっている。だからといって、舵から手を離すわけにはいかない。


「さむ、さむ、つめた……」


 リリャの小さな指は節くれだっていて、あかぎれとさかむけでぼろぼろだった。その指で泥まじりの塩をつまみ、葦を編んでつくったぼろぼろのかごに入れた。


 故郷はもっとあたたかったような気がする。リリャは顔をあげ、ユーク海の向こうを見通そうとした。

 視界を、小山と見えるものが遮っている。川靄(かわもや)の向こうで青くかすむのは、しかし土のかたまりでも人工物でもない。それは、〝(クーコルカ)”の死骸だった。


 螽はユーク海からやって来る巨大な魔物だ。数年おきに上陸し、その巨体で行く先の全てを破壊する。螽害(しゅうがい)を水際で食い止めるため建設されたのがコザースクであると、リリャは生きているころの父に聞かされた。

 コザースク市民にとって、螽は恐怖の象徴だった。いずれ生贄の山羊(コザー)のように、轢き潰され、見捨てられ、忘れ去られるのではないだろうかと。


「……こわしちゃえばいいのに」


 リリャは小さくつぶやいた。祈りのような口調で。

 視線を落として、川岸にそれを認めた。

 ひとつの死体を。


 割られた頭蓋の中身はあらかた流出し、ふたつに裂けた頭を脊椎がかろうじて繋ぎとめている。大あごを広げたくわがたのようだった。

 小さく息を呑み、動揺したのは、ほんの数秒。


「しゅーうごーう! みんなー! しゅーうごーう!」


 時ならぬリリャの大声に、孤児たちがわらわらと集まってくる。


「はい! そうです死体です! たいへんなものを見つけてしまいましたね! さあ、ノエル、ロキ! 司法騎士団(しほうきしだん)を呼んできてください! わたしとワルワーラは見張り! 野良犬にぱくぱくされないようにがんばります! 他のみんなはお仕事の続き!」


 ぱんぱんと、鋭く手を打ち鳴らす。混乱の出がかりを潰す、素早い指示だった。孤児たちはざわめきながら散っていった。


「はー……びっくりしました」

「いや参ったね。どこの誰だか知らないけど、気の毒な話だ」


 年長のワルワーラが、リリャの手を取ってあたためるように握る。リリャはワルワーラの腰に抱きついた。


「ワリューシャ」


 リリャはワルワーラを愛称で呼んだ。甘えたいときにだけ使う、二人だけの符牒だ。ワルワーラは、胸ほどの高さしかないリリャの体を両腕でやわらかく抱擁した。


「誰がやったんだろうねえ。こんな。気の毒だよ、ほんとにさ」


 ワルワーラは首を横に振った。


「じっとしてな、リリャ。棒を拾ってくるよ。近頃の野良犬は、エサと見りゃすぐに飛んでくるからさ」


 ワルワーラが離れて、リリャはぶるっと身を震わせた。寒さ故か、恐怖故か。割れた頭蓋のぎざぎざした縁から、眼を離せなかった。


「……魔法の、色がします」


 リリャは眼をすがめた。しばし躊躇してから、前髪をかきあげた。秘されていた右目は、左の赤橙と対を為すように澄んだ天色(あまいろ)だった。

 青空のような虹彩に浮かぶ瞳孔が、ぎゅっと引き絞られる。屍にまとわりつく、色付きの雲とでも呼ぶべき像がリリャの視界に映った。雲のひとつが、文字のような形を取っていることにリリャは気づいた。


「文字? ニコライ……スタヴローギン……」


 砂を蹴散らす馬の足音が聞こえ、リリャは前髪を下ろして整えた。影が落ち、振り仰ぐと、馬上に一人の女騎士。


「あなたが死体の発見者だな」


 下馬した女騎士がリリャを見下ろす。まっすぐな黒髪と箒星(ほうきぼし)のように鋭い眼は、コザースク人のものだ。


「ソフィア・イワノヴナ・ロマノヴァ。コザースク司法騎士団長だ。あなたは?」

「リリャです」

「ちょっと! おろしてってば! 高いし臭いんだよ!」

「ああ、失礼した」


 振り向いたソフィアが、馬上で震えるワルワーラの両腋に手を差し入れて持ち上げた。下ろしてやってから、手甲をはめた指先でワルワーラの乱れた前髪をさっと整える。


「これでよし。悪いことをしたな、ワルワーラ・マクシヴォノヴァ。急いでいたのだ」

「お尻の皮むけたんだけど絶対!」


 食ってかかるワルワーラをいなして、ソフィアは死体に歩み寄る。うつぶせになっていたのをひっくり返し、割れた頭蓋を躊躇なく掴んでくっつけてみせた。ワルワーラとリリャは顔を背けた。


「驚いたな。レフ・ペトロフじゃないか」


 ワルワーラとリリャは、共に息を呑んだ。その名前に聞き覚えがあったからだ。


「あのさ、リリャ。レフ・ペトロフって――」

「移民殺し、ですね」


 移民殺しのレフ・ペトロフと言えば、〝黒髪団(くろかみだん)”の幹部として名を知られている。

 黒髪団は高い失業率や蔓延する貧しさ、日夜せっせと破綻めがけて突き進んでいく財政など、コザースクにおけるありとあらゆる問題を移民のせいだと決めつける。そして、誅殺と称し強盗・殺人を繰り返している。コザースクのどこにでもいる、ごろつきの集まりだ。

 移民の集まりである〝月の海のこどもたち”院の孤児たちにとって、黒髪団の恐怖は他人ごとではない。自分たちが殺されていないのは、ただ単に奪えるほどのものを持っておらず、後回しにされているだけ――リリャたちの日常には、そんな不安の霧が漂っている。


「あ、あの、ソフィア・イワノヴナ」


 リリャがおずおずと声をかけた。


「敬称は要らない。ソーニャと、略称で」

「ソーニャは、ニコライ・スタヴローギンという名前をご存知ですか?」


 ソフィアの顔色が、わずかに変わった。だがそれは一瞬のことだった。


「どこでその……ああ、いや、あなたは綿農家のスタヴローギンを知らないのか? まあ、昨今ではそれほど有名でもないか。それがなにか?」

「ちょっと聞いたことがあって……それで、どんな人なのかなって」

「変わった金持ちだな、一言で表すならば。街はずれのばかでかい屋敷に、使用人も雇わずこもっている。あまり近づくべきではない人物だ」


 リリャはそこで引き下がった。ソフィアはニコライ・スタヴローギンを知っている。そして、この殺人事件と結び付けている。気づかれまいとしたから、『どこでその名前を知ったんだ?』という問いを飲み込んだのだろう。リリャはそんな風に考えた。


 ソフィアは顎を上げ、リリャたちの背後に視線を向けた。馬の足音が複数、こちらに近づいてくる。


「通報、感謝する。後は我々コザースク司法騎士団が引き受けた」

「ありがとうございます、ソーニャ。ワルワーラ、行きましょう。塩摘みのつづきです」

「ああ、うん、そうだね……それじゃあ、ソフィア・イワノヴナ」


 死体に向かって屈んだ格好で、ソフィアは手を挙げた。リリャとワルワーラは、ふたりを遠巻きにして興味深げな目を向ける孤児たちの輪に、


「ほら! 仕事しな! 今日の食事がなくなるよ!」

「うなぎも鯉もないならお塩をなめるだけですよ! おしごとおしごと!」


 つとめて明るく声をかけながら、近づいて行った。



 ばかげて大きな邸宅だった。

 コザースクの中心である環状運河から南に下り、かつては内海だった塩噴く荒野のすぐ手前。スタヴローギン邸は、河に面した微高地を占めていた。

 敷地の外周を一時間かけて歩いたリリャは、柵の向こうに雑草が生い茂る場所で立ち止まった。


「いよいしょーっ!」


 気合を入れて跳ね飛び、柵の向こう側、茂みの中に転がり落ちる。体の下でつぶれた草から、甘ったるい香りが立った。

 息を殺し、音を極力たてぬよう、這ってゆっくりと進む。土はひどく冷たく、ぬかるんでいる。ふわふわした金髪が、泥を吸って重たくなっていく。厭わず突き進み――


「やあ、これは驚いた」

「ひゃああ!」


 いきなり首根っこを掴まれ、猫のように持ち上げられた。

 片手一本でリリャを吊り下げるのは、長身の男だった。

 長いくせ毛は真っ黒で、瞳も黒い。ひざ丈のインバネスも細身のパンツも、柔らかそうな革のブーツも黒い。

 黒ずくめの男は、垂れ目でリリャの橙眼を覗きこんだ。

 それから、にっこり笑った。


「ずいぶん可愛らしい(クーコルカ)だね。冬のハーブを食べに来たのかい?」

「あ、えと……迷子で、その」

「柵の向こうに帰り道がありそうだった?」


 飛び越えるところから見られていたのだと、リリャは気づく。

 

「ぼくはニコライ・ドミートリエヴィチ・スタヴローギン。君は?」

「リリャ……〝月の海の子どもたち”院のリリャ、です、ニコライ・ドミートリエヴィチ」


 スタヴローギンはリリャをそっと地面に下ろした。


「ちょうど朝ごはんにするところだったんだ。よかったら食べていく?」

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