第133話 - バースデイ
3108年、新たな邪悪が誕生する......!!
「初めまして」
女性は少し微笑みながらQ1–KL3に語りかける。女性の身体からは紫色の物質刺激型サイクスが大量に溢れ出している。しかし、そのサイクスに敵意は無く、それがMT–72の心を解いた。
「あなたは……」
女性は何かを言いかけたのを止め、じっくりとQ1–KL3を眺める。
「名前は?」
「俺は……」
Q1–KL3は女性の問いかけに対して言葉を失ってしまう。自分に名は無い。あるとすれば施設内で呼ばれていた記号、〝Q1–KL3〟のみ。
Q1–KL3は少し考え込んで数分の時間を取った後に答える。
「俺に名前は……無い……。だけど、Q1–KL3と呼ばれていた」
––––〝Q1–KL3〟
その単語を聞いた瞬間、目の前の女性のサイクスがより一層大きくなり、仮想空間全体を包み込む。
「!?」
Q1–KL3はその膨大なサイクスに警戒を強め、女性から少し距離を取る。
「安心して」
女性はQ1–KL3の様子を見て安心させるために声をかける。しかし、Q1–KL3は自身の全てのサイクスを纏って臨戦態勢に入る。
「あなたも……〝思念〟となったのね……?」
Q1–KL3は止まる。その様子を見た瞬間、大粒の涙が女性の頬を伝う。
「!?」
Q1–KL3に動揺が走り、臨戦態勢が解かれる。
「ごめんなさい……」
女性はQ1–KL3に謝罪した後に両手で涙を拭う。拭っても拭っても溢れる涙をようやく止めた後に少し微笑んでQ1–KL3に語りかけた。
「どんな形であれ、あなたがまだ生きていてくれて嬉しいわ……もう18歳かしら?」
Q1–KL3は沈黙したまま女性を見つめる。
「私の息子……」
女性を纏う強大なサイクスがQ1–KL3を包み込む。そのサイクスには敵意や悪意といった感情は込もっておらず、慈愛に満ち溢れた優しいサイクスで彼を覆う。
「温かい……」
Q1–KL3の心の奥底から出た感想である。彼はこの世に生を受けてから人の愛に触れたことがなかった。初めの頃に彼に優しく接してきた者たちはQ1–KL3に興味があったのではなく、彼の膨大なサイクスに興味があった。ゆえに固有の超能力がなかなか発現しないことから彼への興味は日に日に薄くなっていった。
––––忘れちゃダメよ、Q1–KL3
紫色のサイクスがQ1–KL3に話しかける。
––––その通りだ。奴は己の生活のためにお前を捨てた女だぞ、Q1–KL3
黒色のサイクスが紫色のサイクスに同意してQ1–KL3に忠告する。
(あぁ、そうだった……。この人は俺のことを何とも思っていないはずだ)
Q1–KL3の纏っていたサイクスは一瞬にして禍々しいものへと変化した。
施設生活当初、自分を捨てた両親に対して何の感情も抱いていなかったものの、彼は外の世界で様々な人間の感情やサイクスに触れたことによって〝思念〟が〝怨念〟に変貌することを可能とした。女性へと近付こうとした瞬間、Q1–KL3の中である疑問が湧いた。
「あなた……〝も〟?」
女性はコクッと頷く。
「私はあなたが死んだという知らせを受けて暫くしてから自ら命を絶った」
Q1–KL3のサイクスが一度鎮まり、Q1–KL3は女性の言葉に耳を傾ける。
「私の名前は美穂」
美穂は大きな目を細めながらQ1–KL3を見つめ、何か昔を思い出すかのような表情をしながら話を続ける。
「私たちは当時24歳。お互い大学を卒業してすぐに結婚。2年間、第10地区で働いていた。私はあまり不満は無かったけど彼……あなたのお父さん、葉山光輝は違った。彼は第十地区大学でも成績優秀だったから……。でも、あなたも知っての通り第10地区はあらゆる団体が一丸となって東京都から獲得した環境保全地区。他の地区に比べて技術が進んでいない。貧しかったのよ。そして排他的な空間。あそこはもはや一つの独立した国のようだった」
美穂は少しの間、目を閉じて何かを考えた後に話を再開した。
「そんな時に超能力者に関する実験の話を聞いたの。それに協力すれば、移住ができて裕福な生活も保障される。産まれた子供が超能力者であることが条件だったけど2人とも超能力者だったから可能性が高いと思ったの。私は大事な子供を手放すことに反対だったけれど、その後の厚い手当てを聞くと若い私は心が揺らいでしまった。それに加えて夫の説得もあって、遂に私は子供を作ってあなたを施設に譲渡した。その後、私たち夫婦は第5地区へ移住することを決意した」
美穂の瞳からまた涙が溢れ始める。
「私たちは……私たちはあなたを自分たちの生活のために作ったの……」
美穂は口を押さえながらその場にペタリとしゃがみ込み、掠れた声で話す。
「施設の人に名前をどうするか聞かれた時に光輝は『情が移ると良くないから』と言って決めていた名前を告げなかった。私は……名前が無かったとしても情を捨てることなんてできなかった。そして私は光輝に悟られないように秘密裏に施設からあなたの様子を教えてもらっていた」
そこから美穂は第5地区に移住してからのことを話し始めた。
移住後、葉山夫婦は白井康介から手厚い援助を受けた。そして葉山光輝は白井康介議員事務所にスタッフとして働き、その5年後には秘書として働くようになった。それからしばらくして葉山光輝は白井から『数年後、政策秘書に就いて白井の右腕として働いてもらう。その後、国会議員への道を開いてやる』という言葉をかけられるようになった。
「そしてそんな時、光輝に私が秘密裏にあなたの様子を聞いていることを知られてしまったの」
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––––Q1–KL3を施設に譲渡して5年後
「お前は何でこんな余計なことをするんだ! 俺たちにとって今後が大事になるんだぞ!」
「でも、あの子は私たちの大事な息子なのよ!!」
「子供はまた作れば良いと何度も言って、お前も承知しただろう!? 気持ちが落ち着くまで待ってくれというお前の望みも聞いて!」
「あなたには人の心は無いの!?」
「実験のために子供を渡した時点でそんなものは捨てる覚悟だ! それはお前だって同じだ!」
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2人の意見は平行線を辿り、遂に離婚となった。葉山光輝は2年後には再婚し、3099年に新たな息子が誕生した。
「私は離婚しても関係者からの援助で不自由ない生活を送れていた。けれども心にどこか穴が開いた感覚を持って生活していた。第10地区に戻ることも考えたけど移住したことを根に持つ者たちや、それに何よりあなたに会うことが怖かった」
Q1–KL3は静かに美穂の話を聞いている。
「そして3103年、あなたが亡くなったことを知った。私は自分を呪った。私が光輝を説得していれば1人の命を救えたかもしれないのに……。私はこのことを光輝に知らせようとしたけど彼は全く興味を示さず『もう関わらないでくれ』と門前払いされた」
美穂は目の前にRoom Q1にいたウサギのアバターを出現させる。
「私は掲示板サイトに彼の秘密を仄めかす書き込みをしたけれど、興味を持つ者は現れなかった。この保管庫を購入してPCに罪を残そうともした。けどそれをする前に私は自分の犯した罪を背負いきれなくなって自殺してしまった」
––––ズズズズ……
美穂のサイクスが溢れ出す。
「あなたに対する罪悪感が強力な〝思念〟となってこのPCに乗り移った。あなたが私のように〝思念〟となって再びこの世に戻ってくることを願って。ここまで辿り着くという確信もないままに……」
2人はいつの間にかPCの外へ出て、現実世界へと戻っていた。
「私の〝思念〟はあなたと会ったことで目的を達した。けど、まだ終わるわけにはいかないみたい……」
––––ゴゴゴゴ……
美穂はニッコリと笑いながら邪悪を孕んだサイクスを纏い、Q1–KL3はそのサイクスと笑顔に戦慄する。
「私の中の白井への恨み、第10地区の連中への恨み、研究施設の者たちへの恨み、そして何より葉山光輝への恨みは想像以上に大きかったみたい」
美穂は一瞬にしてQ1–KL3の背後へ移動し、抱きしめながら耳元で囁く。
「全部壊してよ、私の可愛いQ1–KL3。あなたが全ての頂点に立ってよ。そのサイクスがあれば、全てのサイクスを使えるその力があればできるでしょう? そして……」
「俺が……全ての頂点に……?」
これまでとは違う、〝怨念〟と化した美穂がQ1–KL3の頬に軽くキスした後に囁く。
「葉山には極上の苦しみを……。あなたの義理の弟、とっても優秀な天才児らしいわよ。大事に大事に育てて全てを奪ってやりましょ? どちらが優秀か思い知らせてやらないと……」
美穂の〝怨念〟は徐々にQ1–KL3へと溶け込んでいく。Q1–KL3の『外へ出たい』という純粋な思いは美穂の邪悪に簡単に染められた。これはQ1–KL3の心の奥底にあった、外の世界で見た自分とは明らかに恵まれた環境で育った人たちへの嫉妬や理不尽が共鳴したことにも起因する。
––––全ての頂点に立つ
何よりこの言葉がQ1–KL3に大きな影響を与え、より強力なサイクスへと変貌した。
「ハッピー・バースデイ、Q1–KL3」
Q1–KL3の中の6つのサイクスと、彼と同一化した実母・美穂が静かに呟く。
その後、Q1–KL3はその悪意をばら撒いた。そして彼が様々な偽名を用いた中の1つである『松下隆志』という名を使って月島家に悲劇をもたらしたのである。




