幼馴染に棄てられても諦めなかった彼のお話
当作品は「幼馴染を切り棄てて後悔する少女のお話」の後日談となります。
先にそちらからお読み頂くのを推奨致します。
都内某所。
地下の駐車場に車を停めると、私は助手席に置いていた書類をバッグに入れた。
「ホントあの子ったら、一途過ぎるのよね……」
思わず、呟いてしまった独り言。
車を降りた足でエレベーターに向かう。
気は進まないが、報告するのも私の仕事ではある。
エレベーターを降りた先は、高層ビルの1フロアを丸々使用したプライベートスタジオ。
最新の物からビンテージ物まで、とんでもない数の音楽機材が並んでいる。
その一角。
ミキサールームの中に彼は居た。
「あっ、先生! お帰りなさい!」
「先生じゃなくて、マネージャーだから」
毎回こうして注意するも、私を先生と呼ぶのを辞めようとしない。
以前は高校教師だった私、小淵沢 美嘉。
現在はトップアーティスト、大泉 響のマネージャーとなっている。
教え子だった彼が卒業後、マネージャーになって欲しいと懇願して来たのは面食らった……。
在学中から彼の才能には並ならぬものを感じていたけれど、まさか自分が彼を支える仕事に就く事になるとは想像すらしていなかった。
通訳が必要な海外での仕事も多いため、一応はバイリンガルで英語教師だった私に白羽の矢が立ったらしい。
教員時代とは比べ物にならない収入を得る事となったのだから、私の英断は間違っていなかったのだが。
「これ……興信所からの報告書が届いたわ」
先程の書類を渡すと、彼は食い入る様にそれを読み始めた。
「ね、先生……? 早速なんだけどさ、明日の予定は全部オフに出来ないかな?」
報告書から目を離さないまま、彼はそう言い放つ。
「そう言うと思って、もう手配はしているから大丈夫よ」
「流石! やっぱり先生は頼りになるねっ」
屈託ない笑顔を見せる彼に、私は溜め息を吐くしかなかった。
マネージャーの仕事に恋愛相談が含まれているなんて、この仕事を引き受けた時には夢にも思わなかったのだが……。
興信所からの報告書……。
その内容については、先に確認させて貰っている。
彼の幼馴染である清里 舞。
その居処、及び現在の状況について。
元は私の独断で調査を依頼した案件。
既に彼女の家は離散しており、こうして非合法なストーカー紛いの調査手段に頼らざるを得なかった。
幸いにも現在の彼女は独り身の上、交友関係がある男性も見受けられないとの事であった。
彼女が暮らすアパートの部屋からは、大泉 響の楽曲が頻繁に聞こえるのも確認されている。
「舞ちゃん……」
調査資料の写真に、彼は想い人の名を漏らす。
「君は随分と変わったけど……やっぱり、何も変わっていないんだね……」
そんな彼に、私もそう漏らしてしまう。
ふと、高校生の頃の彼を思い浮かべてしまっていた。
想い人たる彼女に振り向いて貰おうと、彼は努力を惜しまなかった。
だが、在学中の彼女には悪い噂も多かったため、彼に距離を置くべきだと忠告した。
私は教師の立場でありながら、二人を遠ざけた記憶もある……。
そして数々の不幸が重なり合った結果、清里 舞は彼の前から、忽然と姿を消した。
落ち込む彼を慰めながらも、彼女が居なくなったのは結果的に良かったと思わずにはいられなかった。
そして現在。
彼女との再会を夢見ながらも、飛ぶ鳥を落とす勢いでスターの階段を駆け上がり続ける日々。
二人の再会は、未だに果たされていなかった。
マネージャー兼恋愛アドバイザーである私が、ひたすら反対し続けていたのも理由の一つである。
しかし、数々のヒット曲の原動力こそ、彼女への想いだと言っても過言ではない。
これ以上の引き延ばしは、彼の才能を埋没させてしまう要因となる可能性も高くなる。
そう判断した私は、彼女との再会を容認するしかなかった。
「まったく、愛の力って偉大ね……羨ましいったらありゃしない」
「うん……有難うね、先生」
彼がトップスターとなった現在。
そのステータス故、色目を使う可愛いアイドルや綺麗な女優達も腐るほど目にしてきた。
だが、それでも彼は興味すら示さなかったのだ。
あ、それから……。
残念ながら、私も駄目でしたけどね……ちぇっ。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
日曜日の昼下がり。
休日とは言えど、極貧生活を送る私には特にやる事もない。
洗濯を終えると膝を抱えて、安物のCDラジカセから流れる歌を聴いているだけ。
「ピンポーン」
丁度、アルバムの最後の曲が終わったタイミング。
突然に鳴った呼び鈴に、私はインターホンの受話器を取る。
「はい……何でしょうか?」
何かの契約を勧める業者だろうと思いながら、気怠るそうに返事をする。
「あっ、舞ちゃん……? 突然にごめんなさい……」
「えっ……!?」
それは、ずっと昔に聞いていた声。
だけど、今でも毎日聞いていて、それなのに、懐かしくて、優しい声……。
「話をしたいんだけど……良いかな?」
一瞬、へたり込みそうになりつつも、私は慌ててドアを開ける。
開けてから気付いてしまう。
化粧もしていない上、みずぼらしい普段着である事を失念している自分に。
そんな酷い姿なのに、響は変わらない笑顔を見せる。
「久しぶりだね、舞ちゃん」
「何で……響が……!?」
絶句する私に、響の背後に居た女性が声を掛ける。
「清里さん、こんな所は誰にも見られたくないの。 彼を中に入れてあげてくれるかしら?」
「は、はい……?」
スーツ姿の女性……。
かつて自分が通っていた学校の教師だったと認識するまで、少しばかりの時間が掛かった。
「それじゃ、私は失礼するわね。 終わったら迎えに来るから連絡して頂戴」
響にそう告げた後、彼女だけは去って行く。
呆気に取られつつも、いったいどんな関係なんだろうと思わずにはいられない。
「あ……ご、ごめんね? 汚い所だけど、入って」
ハッとしながら、響を部屋の中に招き入れる。
独り暮らしの若い女の部屋とは思えない、殺風景な空間だと自分でも思う。
狭いワンルーム。
家電は洗濯機と冷蔵庫、テレビだけ。
箪笥やクローゼットも無く、部屋の隅に置いている箱に詰められた衣類。
箱の上には手鏡と安い化粧品。
いきなりの来訪で、今の惨めな生活を見透かれてしまうのは恥ずかしいものがある……。
「あっ、僕のCD買ってくれてたんだ! やった! 嬉しいな!」
ちゃぶ台の上、安物のラジカセの横に積み上がっているCDを見て、響は心から嬉しそうな顔をする。
「あの、何で……私なんかに会いに来たの?」
「え? 舞ちゃんに会いたかったんだもん」
サラっと返す響。
それは、何よりも嬉しい言葉である筈なのに……。
喜ぶべき再会なのに、沸々と湧き上がる疑問。
(落ちぶれた私に会って、今更何がしたいのだろうか?)
「遠路遥々、わざわざ笑いに来たんだ?」
あの頃と変わらない最低な言葉が、私の口からは飛び出していた。
何故なのだろう?
どうして、私は素直になれないのだろう?
私は、謝らなくちゃいけないのに……!?
響の顔が見られない。
頭は垂れて俯き、身体の震えが止まらなくなる。
瞳が潤み始め、涙が溢れ出してしまう。
「僕、舞ちゃんに認めて貰える様に……ずっと頑張ってたんだ」
「何……言ってんの? 馬鹿にしてる?」
まただ。
どうして私は、こんな事しか喋れないんだろう。
怒るべきは私ではない。
私に酷い事をされた響が怒るべきなのに。
これでは、あの頃と何も変わらない。
私は微塵も変わっていないじゃないか!
「響は知らない事だけど……私さ、先輩に性病を移された上に、妊娠したんだよね。 それが私が居なくなった理由。 勿論堕ろしたけど、その後の人生はこのザマ……笑えるよね?」
まるで自虐を自慢するかの様に、知られたくない筈の過去が口から飛び出してゆく。
それなのに、響は笑顔を絶やさずに私を見つめてくれている……。
「私みたいな最低のクズに会いに来るなんて、相変わらず馬鹿だね、響って……」
そこまで言った直後、私の頬には涙が伝っていた。
そして、ようやく……。
本心ではない筈の言葉を綴る、本当の自分を理解した。
いつからだろうか。
失くしてから、響が好きになっていたんだと思う。
こんな私でも、手を差し伸べてくれた響。
誰よりも優しく、私の事を見ていてくれた響。
そして現在、沢山の人に夢と希望を与える仕事をする響。
「私は響になんて、会いたくなかった!」
だからこそ、私なんかと一緒に居てはいけない……。
「成功した響が来ても、私が辛いだけだって解ってよ!」
響に幻滅されて、嫌われなきゃいけない……。
「アンタとは、ただの幼馴染なだけ。 ただそれだけの関係、でしょ?」
今の響にとって、私は害虫でしかないのだから……。
矢継ぎ早に放たれてゆく、偽りの、拒絶の刃物。
「舞ちゃん……」
「帰って!」
私は再び、響を拒絶する。
いや、拒絶しなければならなかった。
「僕は舞ちゃんを……」
「帰ってよ! もう私の人生に、響は必要ないの!」
言葉を遮って、更なる言葉の凶器を放ってしまう。
これで良い……。
これが響にとって、最良の選択な筈だから。
私の事なんて忘れてしまうのが、響にとって一番良い事だから。
だから、本当にサヨナラをしなくちゃいけない。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
沈黙が続く中、舞ちゃんは肩を震わせていた。
その双眸からは、大粒の涙を零しながら。
「じゃあ、次は僕の番だね……」
必死に泣き出すのを堪えながら、舞ちゃんは僕を仰ぎ見る。
「僕は、昔も今もずっと舞ちゃんが好き。 そして、舞ちゃんは世界に一人しか居ないんだよ?」
それでも、舞ちゃんはフルフルと頭を横に振る。
「僕がこんな仕事に就いているのも、舞ちゃんに相応しい男になりたくて努力した結果」
「そんなの……私には、関係ない……」
「僕の作ったラブソングなんて、全て舞ちゃんを想っての曲だし」
「私、そんな事……頼んでない……」
舞ちゃんは涙声になりながら、ひたすら僕を拒絶する。
「それに……昔から、僕には解ってるよ。 舞ちゃんが僕を拒む理由」
「…………!?」
「わざと、僕を遠ざけたかったんだよね?」
「……言わな……でっ……」
遂に耐えきれず、舞ちゃんは号泣してしまう。
確かに……情けなかった僕は、舞ちゃんに愛想を尽かされた。
だから、僕は変わる事が出来た。
普通なら、それでお終い。
よくある甘酸っぱい思い出、で済まされる話だったかもしれない。
だけど……。
舞ちゃんは変わり始めた僕を、ちゃんと見ていてくれた。
だからこそ、僕を遠ざけたんだ。
あの寒い冬、最後に下校した夜。
僕は彼女を必ず取り戻すと誓ったんだ。
そして、今も舞ちゃんはこうして当時と同じ事をしている。
僕のため、僕を想ってくれているが故の哀しい拒絶。
「でも、僕だって……半端な気持ちで舞ちゃんに会いに来た訳じゃないんだよ?」
「……もう……嫌……話し掛けないで……」
僕は深呼吸をして、改めて告白する。
「遅くなってごめん。 迎えに来たよ、舞ちゃん」
「……ダメ……なの……もう……」
崩れ落ち、膝を着いてしまう舞ちゃん。
それでも僕は、絶対に彼女を諦めない。
「舞ちゃんが認めてくれないなら、僕は音楽辞める」
「え……?」
「だって、舞ちゃんのためにやってるんだもん。 その舞ちゃん本人が要らないなら、やる意味無いし」
「そんな……絶対……それは、駄目……!」
「今日を以って、大泉 響の芸能活動は終了するよ」
僕の本気度が伝わっただろうか?
これは嘘偽り無く、そう思っている。
「しかし! 僕の大好きな清里 舞さんは世界で唯一、引退の意思を撤回させるチャンスを持っています」
「ず、ずるい……そんなの!」
泣き止んだ舞ちゃんに、僕はすかさず続ける。
「これからは、僕と一緒に居てくれますか?」
「そこまで言うなら……考えてあげても……良い……よ……」
真っ赤になって目を瞑りながら、ようやく答えてくれた舞ちゃん。
大好きだった幼馴染に、一度は棄てられた。
でも、僕は必死に努力して変わった。
そして今、ようやく彼女を取り戻せたんだ。
今でも素直になれない、どこまでも不器用な彼女だけど。
それでも……僕だけは、彼女の事が誰よりも解るから。
〜完〜
結局、ハッピーエンドにしてしまいました……。
やったね響くん!舞ちゃん!
整合性? 何ですかそれ?
以上、おしまい!!