第7話 寝屋の日(2)
今日の執務室はカティーサークと護衛騎士のクロンの二人だけだった。
サグレスとアレックスは騎士団の訓練を兼ねて指導に行っている。
カティーサークは淡々と公務をこなしていたが、夕刻が近づくにつれ自分の心臓が高く波打っていくのを感じていた。
目の前の書類を見ても頭には別のことがよぎり、内容がまるで入ってこない。
自分の部屋にはもうヴィクトリアはいるのだろうか…。
「はぁ…。」
カティーサークはつい小さなため息を漏らしてしまった。
それを聞いたクロンが「あぁ、今日はアレか」という顔をし、
「殿下、今日はどうします?チェスの続きでもしますか?」と聞いた。
「寝屋の日」に部屋に戻ると、体に纏わりつくようなねっとりとした匂いをさせた令嬢がギラギラした目で大抵待ち構えている。さっさと追い返そうにも「眠たくない」と言って部屋に留まろうとするので、最近ではなるべく遅くまで執務室で過ごし部屋に戻るようにしていた。
「いや、今日はいい。先に汗を流してくる。」
カティーサークはいつもより仕事を早く切り上げ執務室を出ていった。
「先に汗を流してくるって、風呂か…?まさかな。」
きっと剣の練習をしに訓練場に向かったんだろうとクロンは思った。
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ヴィクトリアはソファに座りながら部屋を見回していた。
質の良さそうなチェストやサイドボードが置かれ、ソファの近くにはワインセラーがあった。壁には大きな風景画が飾られており、隅には大きな本棚があった。
また、真ん中には豪華な天蓋付きのベッドがあった。
ヴィクトリアは何となく視線を外した。
マリーの情報によると皇子は大概遅い時間に部屋に戻るらしい。
結構待たなきゃいけないから頑張るように言われたけど、これはものすごく退屈だわ。公務が大変なのはわかるけど、早く来て追い返してくれないかしら。
そしてヴィクトリアがまだ部屋に来て1時間も経ってないわと思ったその時である。
部屋の扉が開き、紺のバスローブを羽織った金髪の男が入ってきた。
髪はしっとりとしており、まだ乾ききっていないように見えた。
ヴィクトリアは一瞬驚いたものの、ソファからスッと立ち軽く頭を下げて挨拶をした。
「今日の『寝屋の日』に選ばれましたヴィクトリアと申します。」
皇子はくすりと笑いやさしく言った。
「そんな畏まらなくていい。ソファに座って。」
ヴィクトリアがソファに座るとテーブルを隔てた向かいのソファに皇子は腰かけた。
「何か飲むか?」
そう言うと皇子はワインセラーの方を指差した。
「ええ、では少し。」
ヴィクトリアは想像より早く来た皇子に少し動揺していた。
「緊張してるのか?」
10年もののワインを注ぎながら皇子は尋ねた。
「いえ、そんなことは…。」
ヴィクトリアはグラスを持ち上げワインを見つめた。
「そうか…。ところでもう一度確認したいことがあるんだが、聞いてもいいか?」
皇子はワインをゴクリと一口飲んだ。
「はい、何でも聞いていただいて構いませんわ。」
一体何を聞かれるのだろうとヴィクトリアは少し不安を覚えた。
皇子はもう一口ワインを飲みヴィクトリアを見た。
「ヴィクトリアは皇太子妃になりたいんだよな?」
不安と期待に満ちたブルーの瞳が揺れていた。
ヴィクトリアは思わず息をのんだ。
なぜそんなことをカティーサークが聞くのかもわからなかったし、何よりなんと答えるべきか迷った。
なりたくないと言えばなぜここにいるのかということになるし、なりたいと言えば嘘になる。
必死に考え絞り出した答えがこれだった。
「…なれるものなら。」
ヴィクトリアは早く自分の部屋に戻りたいと思った。




