第4話 殿下の初恋(1)
サグレスはこの前のアレックスとの会話を思い出していた。
殿下の初恋などと心の内を全部知っているわけでもあるまいに…。
自分もおかしなことを言ったものだと思った。
でも、やはりあの時が殿下の初恋だったのだろう。
サン・ビセンテ地方のヴィクトリア・コーレル。
その名前を10年ぶりに聞いた時、すぐにあの時の令嬢だと気づいた。
しかし殿下はもう覚えていらっしゃらないだろうと思い、努めて表情に出さないようにした。
だがそれはすぐに思い違いであったと悟った。
隣にいらっしゃった殿下の表情は明らかに動揺されていたからだ。
あり得ないものでも見たかのような驚きを殿下は隠せなかった。
やはり、殿下はあの時のことを忘れてはいなかったのだ。
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私がカティーサーク皇子殿下にお会いしたのは殿下が5歳の時であった。
その時の殿下は他の貴族のご子息と変わらないあどけなさのある可愛らしい子どもだった。
護衛騎士として任命されたがまるで一回り離れた小さな弟ができたような奇妙な感覚だった。
そして殿下が10歳になられる頃にはご自分の立場を理解されて行動するようになっていた。
同い年のご子息やご令嬢よりも外見も内面も大人びており、聡明であった。
机上の知識だけではわからないこともあると、実際に各領地を周って見分を広めたいと言い出したのはちょうどその頃である。
お父上である陛下は息子の発言に大いに感動し、すぐに各領地を訪問するための使節団が作られた。
当然、カティーサーク皇子殿下の護衛として自分も一緒に行くことになったのである。
各領地を視察されている時の殿下はいつにもまして大人びていた。
その領地を治めている貴族たちをねぎらい、それぞれの領地で起きている問題や要望など使節団の大人たちに混ざって真剣に耳を傾けていた。
しかし大人びているといっても所詮は10歳。
当然、専門的な話や政治上のつながりなどわからないこともある。
そんな時は後で同行している文官に質問をし、真夜中を過ぎても話をしている時があった。
また、各領地を巡る中でたくさんのご子息やご令嬢たちとも言葉を交わした。
皇族と親密になりたい貴族連中のしたたかさが見える中で、殿下は微笑みを絶やさず穏やかに対応していた。
特に殿下を見つめるご令嬢方の視線には当時から熱いものがあり、お顔を真っ赤にされながら殿下のお嫁さんになりたいとアピールするご令嬢方には少し困った顔をされていた。
ある夜、殿下がポツリと自分に呟いたことを覚えている。
「サグレス、僕はたまに自分が嫌になることがある。殿下、殿下と言われる度にそうあらねばと…。その重みに耐えていけるのだろうかと…。」
「ご安心ください。その時は自分が思いっきり名前で呼んで差し上げます。」
「ありがとう、サグレス。」
そうして領地視察も終盤に差し掛かった頃、サン・ビセンテ地方を訪れたのである。
海と森に囲まれた200万人ほどの自然豊かな街。
その辺り一帯を治めるコーレル家。
そのコーレル家に私たち使節団は滞在していた。
滞在初日にコーレル家を訪れると、外でコレール夫妻が出迎えてくれていた。
ご子息とご令嬢がいるらしいが庭の隅にある別館にいるらしく、姿は見えなかった。
というのも、使節団の人数が思ったよりも多く部屋が足りなくなったため子どもたちの部屋を急遽、客室として用意したのだという。
別館は本来、侍女や使用人が使っているため皇族ご一行様には申し訳ないとのこと。
ご子息やご令嬢は仲の良い侍女たちと一緒にいられることが新鮮で、これはこれで楽しんでるからいいとのことだった。
滞在中は街の様子や現状を把握するためほとんど邸宅にいることはない。
そのため一緒に食事の時間を設けたりしない限り、コーレル家の子どもたちと顔を合わせる機会はなく、コーレル夫妻も特段そういった席を設けなかったため全くと言っていいほどコーレル家の子どもたちと会うことはなかった。
どこの令嬢や子息も一目、皇太子の顔を見たさに物影からこっそり顔をのぞかせたりするものだが、そういった気配もなく本当にコーレル夫妻に子どもがいるのか怪しんだくらいだった。
そのようにして滞在期間も残すところ後2日となった時、殿下は息抜きのつもりで邸宅の周りを少し歩くと言い出した。当然、私もついて行った。
歩いてちょうど邸宅の裏側に差し掛かった時のことである。
ピンク色の髪をした乗馬服の女の子とすれ違った。
突然のことであったがいつものように優しく殿下は声をかけた。
「こんにちは。」
にっこりと殿下は女の子に微笑んだ。
「こんにちは。あっ、えっと…。」
女の子は突然話しかけられて戸惑っている様子だった。
「コーレル夫妻のご令嬢かな?」
落ち着いた様子で殿下は問いかけた。
「はい。ヴィクトリアと言います。えっと、あなたがもしかして今、家に滞在してる高貴な身分のご子息様?」
ヴィクトリアと名乗ったその子はどうやら皇太子だと聞かされていないらしい。もしかしたら殿下の気を煩わせないため、コーレル夫妻があえて隠していたのかもしれない。そういえばこの家の侍女や使用人たちがこそこそと噂話をしている様子も感じられない。
これには殿下も面食らった様子で、
「…そう、かな。」
「ふふ。私のことはヴィーでいいです。あなたのお名前は?」
「僕の名前ですか…?僕は…、僕のことはカティって呼んでください。あと、隣にいるのは僕の護衛をしてるサグレスです。」
「カティ様にサグレス様。いい名前ですね。ところでカティ様はこれからどちらに?」
「僕は…。ヴィー嬢こそどちらに行かれるんですか?」
「これから馬に乗って近くの湖まで行くつもりよ。あと、ヴィー嬢じゃなくてただのヴィーでいいです。」
「じゃ、ヴィー。僕も『様』はいらないです。ただのカティでいいです。…それと、その、僕もご一緒してもいいですか。」
「もちろんです。カティ、一緒にいきましょう!」
久しぶりに殿下の10歳らしい姿を見たと思った。
馬小屋に向かうまでも殿下とヴィクトリア嬢は気が合うのか話題は尽きなかった。
話すうちに自然と仰々しい敬語も取れて二人の距離が縮まっているように見えた。
子どもらしく思い切り笑う殿下の姿に、たまにはこのような日があってもいいだろうとサグレスは思っていた。
「ところでカティは今どの部屋を使っているの?」
「2階の奥から2番目の部屋だよ。」
「あっ、それ私の部屋だわ!」
「えっ!ヴィーの部屋なの?どうりで装飾がかわいらしいと…。」
もしかしたら普段ヴィクトリアが寝ているベットなのかと想像したのだろうか。カティの耳が急に赤くなった。
「あっ!カティったら、今、絶対変なこと考えたでしょ!」
「かっ、考えてないよ!僕がそんなこと考えるわけないじゃないか。僕を誰だとっ…。」
ヴィーはにやにやしながらカティに顔を向けた。
「誰なの?」
「誰でもないよ!早く行こう!」
カティの耳はまだ赤かった。




