第3話 皇太子の憂鬱
世間であらゆる令嬢と浮名を流す皇太子の執務室では、いつもの話題で騎士たちが盛り上がっていた。
「で?昨日はどうだったんですか、殿下。」
にやにやしながら悪戯そうな目で護衛騎士のアレックスがこちらを見ている。
燃えるような赤い髪色でカティーサークより5つ年上の、いわば兄貴的な存在だ。
「どうもこうもない。いつもの通り、部屋から追い出してやった。」
俺は面倒くさそうに言った。
「昨日はどの令嬢でしたっけ?確か…ソレイラとかサレイユとか…。」
「アレックス。それ、わざと言っているだろ。」
俺は横目でちらりと睨みつけた。
「アレックスもその辺にしておけ。殿下はお忙しいのだ。」
サグレスはそう言うと目の前の書類にまた目を通した。サグレスは俺の昔からの護衛騎士で年も32歳と結構離れている。堅物を絵に描いたような銀髪の男だ。少々話しかけづらいところはあるものの、信頼の置ける騎士の一人だ。
「それにしても一体どういった令嬢だったら殿下のお眼鏡にかなうんですかねー。高貴な綺麗どころがこんなにいるのに手を出さないなんて。」
少し子どもっぽい口調のクロンは俺と一番年の近い騎士だ。くりっとした黒目と淡い栗色の髪がご令嬢方に人気だ。
「手を出さないどころか殿下は今まで一度も女を抱いたことのない清い体じゃないですか…って、これオフレコでしたっけ。」
アレックスはしまったというような表情を見せ、苦笑いをした。
「別に隠しているわけじゃない。ただ、興味本位でいろんな令嬢に少し甘い言葉をささやいたら勝手に向こうがその気になっただけだ。俺はそれ以上何もしてない。」
「うわ、殿下ってばいつか痛い目見ますよ。」
意地の悪そうなアレックスの目がこちらを見ている。
「その気にさせられたのに手を出してもらえず、傷ついたプライドから殿下と一夜を共にしたと嘘の噂を流すご令嬢方の多さといったら…。いや―、女って怖いですね。」
そう言うとクロンは近くのソファに腰を下ろした。
俺は書類に目を通しながら、騎士たちとの会話を続けた。
「そのせいで俺はいつの間にか国一番のプレイボーイで女好きということになっている。今更、誰も抱いたことがないなんて言えるか?」
「言ったとしても誰も信じないんじゃないですかね。でも、殿下にも早く女の味を教えてあげたいねー。あれはいいですよ。」
またアレックスは悪戯っぽく笑った。
「黙れ。それ以上言うと一発お見舞いするぞ。」
「じょ、冗談ですよ、殿下。」
アレックスは少し慌てて思い出したかのように続けた。
「あっ、そういえば昨日といえば新しいご令嬢が来ましたよね。えーっと確か…」
俺は一瞬どきりとしながら答えた。
「…ヴィクトリアだ。」
「そうそう、ヴィクトリア嬢。どうでしたか?噂によるとかなりの美人だとか。」
俺は昨日の謁見の間での出来事を思い出していた。
ステンドグラスの光をすべて吸収するかのような金色の瞳。
絹のような光沢を放つ淡いピンク色の髪。
男を虜にするような色香を持っていた。
あまりに綺麗であの時思わず目を背けてしまった。
「…あんなに綺麗になるなんて反則だ。」
思わず俺は呟いていた。
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「サグレス、ちょっといいか?」
ちょうど一人で剣の鍛錬をするサグレスを見かけ、アレックスは声をかけた。
「どうした、剣の練習相手か?」
「いや、そうじゃなくてよー。なんつーか、今日の昼の執務室での会話が気になっちゃってさー。なんていうか、殿下の様子がちょっとおかしかったっていうか。ほら、お前なら昔から殿下に仕えてるから何か心当たりがあるんじゃないかと思ってさ。」
「……。」
「こう見えても殿下への忠誠を誓ってるからさ、殿下が心配なのよ。いつも穏やかで動じない殿下がヴィクトリア嬢の話の時、ちょっと動揺してた感じがしてさ。」
「……。」
「今思えばあれもおかしかったなと思って。前なら妃候補の令嬢が来てもそのままいつもの軍服で謁見するのに、ヴィクトリア嬢の時はわざわざ正装に着替えたりしてさ。絶対なんかあったでしょ。」
観念したようにサグレスは口を開いた。
「…ふぅ。どうやら話すまで解放してくれなさそうだな。」
「バレたか。で、何なんだよ。殿下にとってヴィクトリア嬢ってなんなんだ?」
殿下のことを本気で心配しているのか、アレックスは真剣な眼差しで尋ねた。
「…殿下の初恋の方だ。」
「なんだって!?ま、まさかそれでずっと他の令嬢に目もくれないわけじゃないよな。」
「…それはない。初恋といっても10年も前の話だ。それに昨日まで一度も殿下とヴィクトリア嬢は会ってない。それに…。」
「それに、なんだ?」
「いや、これ以上はやめておく。殿下にとっては苦い思い出だからな。」
サグレスは口を堅く閉じていた。
「そうか…。わかった。」
そう言うとアレックスはその場から立ち去った。
 




