第35話 ひとときの甘い時間
「君は幽閉されるんだ。俺の部屋にね。」
カティーサークは微笑みを讃えながら、彼のアクアマリンの瞳は私をじっと見ていた。そして今度はギュッと抱きしめて、またキスをしようとした。
「ちょっ、ちょっと待って!」
私は手で彼の口を押えて言った。
「私、もう逃げないわ。だから幽閉なんてしなくても…。」
しかも彼の部屋にだなんて。
そんなのどうなるかなんて考えなくてもわかるじゃない。
私は昨日のことを思い出して恥ずかしくなった。
そしてつい目を反らしてしまった。
「どうして目を反らすんだ?」
彼は私の押さえた手をゆっくりどけながら、私の視線を追って顔を覗き込んだ。
その拍子に彼の前髪がさらっと横に流れるのを見て、ドキッとした。
昨日もこんな風に髪が揺れて…。
「反らしてないわ!ただ、ちょっと…。」
「ただちょっと?」
彼はこのやり取りですら楽しくて仕方がないといった様子だった。
そして逃げる猫を可愛がるかのように見ていた。
ダメよ、このままじゃ。
私の自由がなくなっちゃう。
このまま彼のペースに飲まれちゃ。
何とか話題を…。
「お腹が空いたのよ!」
つい出た言葉はこれだった。
考えてみれば昨日からほとんど食べていない。
食べたと言えば、今日もう一度眠ってしまう前につまんだお菓子くらいだ。
彼は目を丸くしたかと思うと小さく笑い、そして簡単な食事を持って来させようと言った。
そしてほどなくして食べやすいように切られたサンドイッチやフルーツが運ばれてきた。
部屋から給仕を下げると、また彼と二人だけになった。
簡単な食事だったが今の私にはご馳走に見えた。
私は彼の向かいのソファに腰かけ、テーブルの上に置かれた食事を見つめた。
そして待ちきれずに食べようと手を伸ばした時、彼はお皿をひょいっと持ち上げニッコリ笑った。
「ヴィー、こっちに。」
そう言いながら彼は自分の隣をポンポンとたたいた。
どうやら隣に来いということらしい。
私は少し距離を取りたかったが、サンドイッチに負け仕方なく彼の隣に座った。
すると私をひょいっと持ち上げ彼は自分の膝の上に乗せた。
「っちょ、ちょっと。」
私が慌てるとまた彼はギュウっと抱きしめた。
「少しも離れたくないんだ。それなのに君は…。」
彼はまたも強く抱きしめた。
「でも、これじゃあ食事が…。」
「このまま食べればいいじゃないか。問題ないだろ?」
「いや…食べれるには食べれますけど、こんな近くで見られながら食べるのはちょっと。」
私が戸惑っていると彼はフ―っとため息をついた。
「俺はヴィーと一緒にやりたいことは山ほどあるんだ。一緒に王都の街を歩きたいし、行きたいところだってたくさんある。これだってその内の一つだ。俺が君を部屋に幽閉するなんて言ったのも、君と少しでも長くいたいからだ。もちろんヴィーとまたキスもそれ以上もしたいが、昨日の今日だ。そんな肩ひじ張らないでくれ。前にも言ったが俺は君が好きなんだ。」
私は渋々承諾した。
「…わかりました。」
私は仕方なくそのまま彼の膝の上に乗った状態でサンドイッチを食べた。
やっぱり何だか落ち着かなかった。
それから私がサンドイッチを食べている間、彼はメアリーのことを話した。
私は彼の話すことを淡々と聞いた。
彼女のしたことは許せないけれども、彼女と一緒に笑っていた時間はやっぱり楽しかったと思う。
彼女にとっては演技だったにせよ、私は彼女を心底憎むことは出来ないと思った。
私は一通りサンドイッチを食べ終わると、今度はフルーツに目をやった。
すると彼がまたお皿を取り上げ、ブドウを一粒手に取った。
「ヴィー、口開けて。」
「えっ?」
「だから、あーん。」
彼はやっぱり楽しそうだった。
「…これもやりたいことの一つですか?」
私が仕方なく口を開けると、彼はブドウを一粒口に入れた。
その時彼の指先が少し唇に触れた気がして、またドキッとした。
ブドウは思った以上に美味しかった。
「おいしい!」
「じゃあ、もう一個。はい。」
私は言われるままに口を開けた。
「すごくおいしいです、殿下も一粒どうですか?」
彼は一瞬ぴくっとし、にっこり笑った。
「じゃあ、そうするよ。」
そう言うと彼はブドウを一粒手に取り、私に渡してきた。
「ヴィーから欲しいな。」
「…っと、じゃあ口を開けてください。」
そしてひょいっと彼の口の中に放り込んだ。
「うん、美味しい。でも…俺が期待してたのはこういうのじゃなくて…。」
彼は私の頭を抑えると、いきなり唇を塞いだ。
その時自分の口の中にブドウの味がするのがわかった。
「っん…。」
「やっぱりこっちのが美味しいな。」
彼のアクアマリンの瞳はまた鋭く光っていた。
すると彼はそのまま私の首筋に唇を当て、そしてまた新しい赤い痕をつけた。
「殿下…今日は何もしないんじゃ。」
「何もしないなんて一言も言ってない。ただ、昨日の今日だと言っただけだ。」
彼は私のナイトドレスを脱がそうと胸の辺りのボタンに手をかけた。
「まっ待ってください、殿下!私はまだ…。」
「その殿下っていうの、やめないか?昨日はカティと呼んでくれたじゃないか。」
「それは…。そのうちです!いきなりなんて変えれません。」
「そのうちっていつだ?」
「そのうちは、そのうちです!」
彼はふふっと笑った。
「まぁ、いい。今度の茶会が終わったら陛下に会う。そこで君を正式な正妃として紹介すればこんなのはいくらだって出来るからな。今はまだ周りのやつもうるさいし。」
そして彼はボタンを外す手を止め、私の髪をふわっと撫でた。
「ねぇ、ヴィー。どうして急に変わったんだ?」
「何が…ですか?」
「昨日の昼はすごい剣幕で嫌がってたじゃないか。それが夜には君から誘ってきて、今もこうして素直にしてるなんて。まだ夢なんじゃないかと今でも思ってしまう。」
「それは…。」
私はどう答えようか少し悩んだ。
私自身もまだはっきりしてないのに、体を許してしまって戸惑ってるのはこっちの方だ。
だから今思っているありのままを答えようと思った。
「その…あなたのキスは何か違って、ドキドキするなって…。」
すると彼はギュッとまた強く抱きしめた。
「そうか…。俺のキスはドキドキするのか…。」
そして私に軽くキスをし、もう一度しようとした時彼の動きは止まった。
「ちょっと待て…。今、あなたのキスはって言わなかったか?」
私は急に部屋の温度が冷たくなるような気がした。
彼の瞳はどんどん冷たい光を帯びるようだった。
私はこの瞳が怖いくせに、どうしても目が離せなかった。
「あなたのキスはってことは、誰かと比べて言ってないか?それ。」
彼の冷たい瞳に怒りが滲むのがわかった。
「そう言えば、ヴィーは俺とのキスが初めてかどうか聞いてなかったな。それ以上は初めてだったのは昨日わかったとして、そもそも君は俺の前に付き合った男とかいるのか?随分と男を虜にするのも慣れてるみたいだし、キスくらいしてたって不思議じゃないよな…。何てたって昨日の昼に皆の前で男の頬に君からしてたくらいだし。」
「で、殿下…?」
彼の声はどんどん低くなっていくようだった。
「俺はどうやら思い違いをするところだった。俺の部屋に閉じ込めるなんてしなくてもヴィーは俺のものかと思いかけたが、危なかったな。もともと君は俺以外の男に興味があるんだから。」
「殿下、話を…。」
そして彼はまるで尋問するように私を見た。
「で、誰のキスと比べたのか話してもらおうか?」
私は話したらライリーが終わると思った。
絶対話しちゃダメだわ。
昨日のお昼の時といい、彼は何をするかわからない時がある。
傲慢で嫉妬深くて、逃げても逃げても追ってくる。
でも私はたぶんそんな彼の一面に惹かれているのだ。
ただひたすらに私だけを見つめるその瞳に惹かれているのだ。
他の男が触れることも、見ることも許さないというその強い独占欲が、私を全身で好きだと言ってる気がして私の体が熱くなるのだ。
私は彼の首の後ろに手をまわし、甘い声で囁いた。
「…お願い。そんなこと言わないで昨日みたいにキスして。」
彼の目の奥がゆらゆらっと揺れると、悔しそうな顔をして私に熱いキスをした。
「本当に酷い人だ。俺の気も知らないで。」
私は彼の弱点を発見した。
それはこの私。
彼に甘くお願いすればいいのだ。
そして彼に「うん」と言わせればいい。
そうすれば、とりあえずはこの部屋からは出られるだろうと思った。
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次話は23時更新予定です。




