第2話 ヴィクトリアの微笑み
「見えてきましたよ、お嬢様!あれが皇族が住む後宮ですね!」
「そう…。思ったより早かったわね。」
豪奢なゴシック様式の宮殿に目を奪われる侍女マリーを後目にヴィクトリアは小さくため息をついた。
4日前にサン・ビセンテの街を離れ、今は王都ロンドにある後宮の入口までやって来た。
サン・ビセンテの自然に囲まれて育ったヴィクトリアにとって王都は賑やかすぎる街だった。直線の建造物に華やかな衣装をまとった人々。人口も近郊まで入れれば2000万人とヴィクトリアがいた街の10倍近い。
馬車から垣間見えるその景色はヴィクトリアの目を酔わせた。
後宮は陛下や皇后、皇太子など皇族が住む宮殿を中心にシンメトリーの庭園がひろがっており、宮殿近くまで馬車が通る道が作られている。
ヴィクトリアはまず皇太子に謁見するため、謁見の間がある中央の宮殿に向かっていた。
「皇太子に拝謁したら今日はもう休むと思うから、マリーは部屋の準備をしておいて。」
「かしこまりました。それにしても本当に侍女が私だけで良かったんですか?他のご令嬢方は5~6人ほど侍女を連れているっていうのに…。」
「構わないわ。私はこの後宮で目立ちたくないの。」
「逆にめちゃくちゃ目立つんじゃ…。」
ヴィクトリアは小さく咳払いをしマリーをちらりと横目で見ながら
「とにかく、皇太子の住む皇子宮に妃候補の部屋があるっていうから、よろしく頼むわよ。」
ほどなくして煌びやかな宮殿の前で馬車が止まった。
ヴィクトリアは大きく深呼吸をし、一歩ずつ宮殿の中に入っていった。
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謁見室の中は礼拝堂のような造りになっていた。
初めて来た者なら目を奪わずにはいられないほどの美しい絵画や彫刻が飾られている。
中央奥には5段ほど高くなった部分があり、そのちょうど真ん中に繊細な装飾の施された椅子がある。
その人物は肩肘をつきながら、その権威を見せつけるかのように座っていた。
ヴィクトリアは軽くスカートを持ち上げ、ご令嬢然と優雅に挨拶をした。
「初めてお目にかかります。ヴィクトリアと申します。」
中央に深く座ったその人物は一瞬、眉をひそめた。
「俺がこの国の皇太子、カティーサークだ。ヴィクトリア嬢は皇太子妃候補として来たと聞いている。間違いはないか?」
「はい。間違いございません。」
「なら、顔を上げてよく見せろ。」
「殿下の仰せのままに。」
ヴィクトリアはゆっくりと顔を上げてカティーサークを見据えた。
サン・ビセンテの地方まで轟くほどの好色皇太子とは一体どんな人物か、しっかり見てやろうじゃないの。
ヴィクトリアの金色の瞳はカティーサークを値踏みするかのようにじっと見つめた。
ステンドグラスに反射して光る金色の髪にすっと通った鼻筋。
サン・ビセンテの海を思い出させるようなブルーの瞳。
おそらく180センチ以上はあるであろう体に長い脚。
正装を纏ったその姿には紳士さとほのかに漂う色気があった。
これで皇子なんだからご令嬢たちがほっとかないのも無理ないかとヴィクトリアは思った。
とその時、ヴィクトリアの金の瞳は一直線にブルーの瞳を捉えた。
すると皇子はさっと顔を横に向け、小さなため息をついた。
そして一言、ヴィクトリアに告げた。
「下がれ。」
ヴィクトリアは軽く会釈し謁見室から出て行った。
しかしヴィクトリアは皇子がついた小さなため息を聞き逃してはいなかった。
あのため息はきっと気に入らなかったに違いない。
ヴィクトリアは周りに見えないように微笑みながら部屋へと向かった。
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部屋に行くとマリーが目を輝かせながら待っていた。
もちろん噂の殿下について聞きたいのだろう。
「で、どうでした?どんなんでした?」
「ご令嬢たちの目が一瞬でハートになりそうなくらい魅力的だったわよ。」
「じゃあ、お嬢様も…?」
「ないわ。」
私はピシャリと言った。
「それに…殿下も私のことはお気に召さなかったみたい。はっきりと顔も背けてたし。」
「まさか!いくら何でもそれは失礼ですわ。」
「逆にこっちも礼を尽くす必要がなくて気楽だわ。気兼ねなく結婚相手を探せるもの。」
私は胸まであるウェーブのかかった髪をくるくるさせながら、上機嫌で笑った。
後宮に来るまではどうなることかと暗い雲に覆われた気持ちだったけれども、それも杞憂だったみたい。
「それはそうとお嬢様、今日はどうもお隣にいらっしゃるソレイユ嬢の『寝屋の日(-皇太子と寝室を共にする日)』らしいですよ。」
「はぁ…。そう、それね。できれば自分の番が来る前に正式な皇太子妃が決まって、ここから出られればいいんだけど。」
「なんでもこの日のためにソレイユ嬢は朝から念入りにお体の手入れをされていたとか。先ほどちらっと見かけましたが、お肌に香油を塗りたくっていましたよ。」
「ソレイユ嬢でも何でもいいから早く選んでほしいわ。」
「そうですね。お嬢様にその気がないのであれば、その通りですね。でも、お嬢様の番も近いかも知れないですよ。それぞれの候補令嬢の『月の日(-成熟した女性に起こる月経のこと)』を見てかぶらないように『寝屋の日』を組んでいるらしいですから。ちょうど先週、お嬢様は終わったばかりですし…。」
「それぞれの令嬢の『月の日』をあの皇太子が知ってると思うと、ますます早くここを出たい気分になったわ。」
ヴィクトリアは今度は大きくため息をついた。
日の沈む夕方頃、ソレイユ嬢は皇太子の部屋へと向かった。
他の令嬢に見せつけんとばかりに部屋の前をわざと歩き、念入りに塗り込まれたアロマオイルのにおいを残していった。
誰もが一度は振り向きたくなるような、見事な金髪の魅力的な令嬢だった。
しかしその夜ヴィクトリアは隣の部屋からソレイユ嬢のすすり泣く声を聞いたのだった。




