第21話 メアリーの悪意(1)
舞踏会から一夜明け、皇子宮は大変な慌ただしさを迎えていた。
皇后の突然の審判によって皇子宮を去る事になった8名の令嬢たちの荷造りを始め、選ばれた3名の令嬢たちはさらに大きな部屋へと移されることとなった。
そのため使用人たちは荷造りと部屋の移動のため、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと大忙しであった。
大きな部屋に移されたヴィクトリアは窓からまた一人、また一人と王宮を後にする令嬢たちを羨ましそうに眺めていた。
侍女のマリーはさらに豪華な部屋に移ったことを喜んでいたが、私は昨日のことがずっと頭をもたげていた。そしてあの男の思惑通り、カティーサークのことばかりを考えていた。
ふと部屋の中に目をやると、クローゼットにあのアクアマリンのドレスが掛かっているのが目に入った。
そのドレスを目にした瞬間、あの男が私にした荒々しいキスや掴まれた腕の感覚が鮮明に蘇った!
「そのドレス捨ててちょうだい!」
私はマリーに声を荒げていた。
マリーは一瞬ビクッとなり私の方を向いた。
「お、お嬢様?一体どうされたんですか?あれは奥様から頂いたドレスじゃ…。」
「違ったの。お母様からじゃなかった。そのドレス、皇太子からだったの!」
私はドレスから目を背けるようにして答えた。
「そ…そうだったんですか!?でも、それでは尚のこと捨てたら問題になってしまいます。」
マリーは困った顔でこちらを見ていた。
「それでも、そのドレスは見たくないのよ。」
私は顔を歪めた。
マリーは何があったか聞かずに、ただ心配そうにこちらを見ていた。
「わかりましたわ。それでは目に入らないように奥の奥にしまい込んでしまいます。」
マリーはにっこりと笑って私を見た。
私はそんなマリーの笑顔を見て少しばかり癒された。
私の部屋はお昼前には片付きそうな感じであったが、隣の部屋はまだまだ荷物が運び込まれており今日の夜までかかりそうな勢いだった。
隣の部屋は誰だったかなと思いながらその様子を見ていたところ、ドアの辺りで中の様子を窺う茶色い髪の令嬢が立っていた。
そしてその令嬢は私に声をかけてきた。
「こんにちは。お時間あったら一緒にお茶でもいかがですか?」
その令嬢こそ隣の部屋のメアリーだった。
ふわりとした茶色の髪にエメラルドグリーンの瞳が美しかった。
少し垂れた目元が愛らしく、甘いチョコレートのような人だった。
この王宮に来てから私にやさしく声をかけてくれた令嬢は初めてで嬉しく、私はお茶のお誘いを快く受けた。
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私とメアリーは同い年で好きなお菓子や趣味も似ており話も弾んだ。
皇太子妃候補というある意味ライバル関係にあったが、それはそれ、これはこれといった形でメアリーはいい友人になれたらいいと言ってくれた。
本当は前から声をかけたかったが他の令嬢たちが牽制し合っていて出来なかったらしい。
私の前にモナルカ嬢にも声をかけたらしいが昨日の舞踏会で皇太子にダンスを断られたことを引きずっているらしく、ダンスをした私やメアリーとは話したくないと断られてしまったと言っていた。
モナルカ嬢のことは残念だが、私はこの皇子宮で初めて友人と呼べる令嬢が出来たことに喜んだ。
そして話は当然、皇太子のことに及んだ。
「ねぇ、ヴィクトリアは皇太子様のことをどう思う?」
彼女は可愛らしく首を傾げながら聞いてきた。
「どうって…。」
私は返答に困った。
正直、今は避けたい話題だった。
「昨日のダンスを一番に誘われてたじゃない。やっぱりドキドキした?」
メアリーは私がどう答えるか興味津々といった目で私を見てきた。
「頭が真っ白になって、正直何も考えられなかったかな…。」
私は正直に答えた。
だって本当にそうだったから。
「そうなのね。でも二人が手を繋いで広間に戻って来た時は正直ちょっと悔しかったわ。とっても仲が良さそうだったし。きっと殿下はヴィクトリアを正妃にするつもりだと思うわ。」
悲し気に笑うメアリーの表情を見て、私は自分の気持ちを少しなら正直に話してもいいかと思った。
どうせ皇后様にも白状してしまったという開き直りもどこかにあったのだろう。
「メアリー、正直に言うと私、王妃になるなんて自信がないの。だから殿下の正妃にはあなたかモナルカ嬢になってほしいと思っているのよ。それに、殿下と仲がいいなんてないわ。私は殿下を怒らせてしまって、それで執着しているだけだもの。私は本当は故郷で穏やかに別の人と結婚して暮らしたいと思ってるわ。」
メアリーは少し驚いたような顔をした。
そして、メアリーは私をそっと抱きしめてくれた。
「そうだったのね。何だかこうして残ってしまって辛かったでしょ。あなたとレイヴン侯との噂を耳にした時は驚いたけど、彼と一緒になりたかったのね。」
私はレイブン侯の名前を聞いて、やっぱり少し切ない気持ちになった。
そして彼と昨日、温室で最後のダンスをしたことを思い出していた。
「メアリー。ありがとう。私の気持ちをこうしてわかってくれる人がいてとても嬉しいわ。」
私はメアリーの背中に手を伸ばし、抱き返した。
そしてメアリーはやさしく私の髪をなでてくれた。
私はこうして後宮に来て初めてわかりあえる人に出会った。
「ねぇ、ヴィクトリア。私の部屋、荷物が多すぎて今日中に片付きそうにないから、今日はあなたのベットで一緒に寝ていい?」
彼女はやっぱり甘いチョコレートのように可愛らしかった。
「もちろんよ!」
私は久しぶりに同い年の令嬢とこうしておしゃべりをして、とても気分が良かった。
そしてここが皇太子の正妃の座を争う、嫉妬渦巻く戦場だということをすっかり忘れていた。
私のように正妃になる気のない令嬢など、本来ここにはいないのだ。
私はメアリーの甘い笑顔と言葉にすっかり騙されてしまっていた。
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その夜、私とメアリーは一緒のベットに入っていた。
私は仲の良い友人が家に泊まりに来た時のような、そんな気持ちだった。
「じゃあ、おやすみ。メアリー。」
「ええ、おやすみ。ヴィクトリア。」
二人は顔を見合わせると目を閉じた。
昨日とは違いカティーサークの事を考えずに私は久しぶりに幸せな気持ちに包まれていた。
そうして私は深い眠りへと落ちていった。
辺りは暗く、皆完全に寝静まり夜の闇が覆った頃。
エメラルドグリーンの瞳はじっとヴィクトリアを見ていた。
メアリーは隣で寝ているヴィクトリアの髪をすうっと撫でた。
…綺麗な子。
そして殿下の愛を一心に受けているのに気づかない、馬鹿な子…。
私がどんなに殿下を慕っても、彼はあなたばかり。
メアリーは舞踏会の時に皇太子がただひたすらにヴィクトリアを目で追っていたことに気づいていた。
それはメアリーがひたすらにカティーサークを見ていたからこそだった。
でも皮肉なことにあなたは殿下に興味がないようね…。
私の愛を受けてくれない殿下…。
女の嫉妬が怖いものだということを思い知らせてやるわ。
…この唇。
広間に戻って来た時、カティーサークの唇が切れていたことをメアリーは見逃してはいなかった。
殿下はこの唇に触れたのね…。
なら私も…。
メアリーはそっとヴィクトリアの唇に自分の唇を重ねた。
…やわらかい。
殿下はこのやわらかさがお好みなのかしら。
でも、殿下にはヴィクトリアを手に入れさせたりしないわ。
殿下には私が傷ついた分、傷ついてもらわなくっちゃ。
メアリーは満足気な笑みを浮かべながら目を閉じた。
遂にメアリーを書くことが出来ました。一通りの筋書きはあるものの、実際に書いていると細かい描写などで想定よりも時間がかかっているなぁというのが本音です。これからも、さらに盛り上げていきたいと思います。




