第20話 母エスメラルダの追憶
広間に戻って来たカティーサークとヴィクトリアを見てエスメラルダは小さくため息をついた。
あの子ったら、全然余裕がないじゃないの。
一人令嬢を残してダンスせずに出て行ってしまうし…。
まぁ、それは後で何とでもフォロー出来るけど、あの二人、随分とすれ違ってるわ。
周りからは手を繋いでいるように見えてるみたいだけど、私から言わせればただ掴んでるだけだわ。
一体何があったか知らないけど息子のあんなひどい顔も久しぶりだと思った。
染みついた微笑みが苦しそうだわ。
あんなに崩れるのはあの時以来かしら。
今考えればアレも彼女絡みだったと思いながら昔を思い出していた。
そう…あれは丁度10年前に各領地を巡る使節団を作って帰って来た時だった。
明らかに何かあったであろうほど落ち込んでいた。
最初は厳しい現実を知って気を落としているだけだと思っていた。
「聡明な皇子」ともてはやされていても所詮は10歳。
やはりついて行けない部分があったのだろうと思った。
でも時折部屋を覗くと、しきりに手紙を書いては破って捨てていた。
ゴミ箱を後で見てみると「ヴィーへ」と書いてあるだけで文章は何も書いていなかった。
さすがに何かおかしいと思ってサグレスを問い詰めたら「初恋」だっていうじゃない。
その時は時間と共に薄れていくものとばかり思っていたけど…。
まさか自分の息子にこんな一途な部分があるとはあの時は思いもしなかった。
ちっとも招集した令嬢に興味を示さないのでもしやと思って彼女を呼んだけど、逆にそれが火を着けてしまったようだった。
ある意味この状況を作ったのは私のせいでもあるかもしれないわ…。
階段を上って隣の椅子に座った息子をエスメラルダは横目でちらっと見た。
唇に少し血が滲んでいるのが見て取れた。
だいたい何があったか想像がつくわね…。
エスメラルダはまた小さなため息を漏らした。
本当にこじれてるわ。
カティーサークはその視線に気づいたのかエスメラルダに先手を打った。
「母上、何があったかは聞かないでください。」
エスメラルダは微笑みながら「もちろんよ」と答えた。
そしてカティーサークは思いついたように話しかけた。
「そういえば、ヴィクトリアは母上と何を話したんですか?」
そう言われてエスメラルダはヴィクトリアとの会話を思い出した。
そして彼女が放った質問も…。
「それは…、女同士の秘密よ。」
本当は話してあげればいいことだった。
話せば彼女が皇太子妃になりたがらない理由も分かる。
しかしそれを言ったところでどうにもできないことをエスメラルダは知っていた。
そしてヴィクトリアの質問はエスメダルラの心の奥に秘めていたものをえぐってきた。
あの質問がどんな質問よりも難しく、答えにくいものだった。
彼女が放った質問、それは…「陛下が側妃を迎えた時どう思ったか。」だった。
王妃になって辛かったことは山ほどある。
国を左右し兼ねない決断だってあった。
貴族同士の争いは絶えないし、考えることはいくらだってある。
だけどどんな重圧を受けようとも耐えられる。
耐えて見せた。
けれども側妃を迎えた時、エスメラルダの感情は押しつぶされそうだった。
陛下とは決して最初から愛があったわけではなかった。
いわゆる政略結婚だ。
そしてなかなか子どもが出来なかった。
そのために側妃を迎え入れたことが何よりショックだった。
さらにその側妃に先に子どもが出来た。
幸いにも女の子だった。
しかしエスメラルダにとってそれほどの屈辱を味わったことはない。
ほどなくしてカティーサークが生まれ跡継ぎを生んだ正妃としての役割を果たしたが、それでもその時の悔しさや苦しみは今でも覚えている。
きっと彼女は自分が王妃になった時の自分を想像していたのだと思った。
エスメラルダは「辛かった。」と彼女に伝えた。
そして答えになるかどうかわからなかったが、一つだけ付け加えた。
「もしかしたら結婚する前に深い愛があったとしたら、違ったかもしれない」と。
エスメラルダはただひたすらに一途にヴィクトリアを恋う息子に、何かを期待しているのかもしれないと思っていた。
そして幸か不幸か彼女は王妃としての資質を兼ね備えていた。
その辛さもすでに本能的に察知している。
もし王妃としての器がなければ落とすつもりだったのに、皮肉なものね…。
何かを思い出すかのように遠い目をした母親にカティーサークはそれ以上追求するのをやめた。
ただ一言「そうですか」とだけ返答をした。
舞踏会はもう終わりに近づいていた。
皇后エスメラルダはゆっくりと立ち上がり一歩前に出た。
そして皇后らしく威厳に満ちた姿で最後の挨拶をした。
こうして波乱に満ちた皇后主催のパーティは幕を閉じた。
 




