第1話 ヴィクトリアの決意
照りつける太陽の光とともにサン・ビセンテの街はいつもの朝を迎えていた。
キラキラと光る海から爽やかな風を街に運んでくる。
しかしヴィクトリアの朝はそんな光を遮るかのごとく、部屋には分厚いカーテンが閉まっていた。
薄暗い部屋の中でヴィクトリアの金色の目だけが鋭く光り、昨日届いた皇后からの手紙をじっと見つめていた。
―ヴィクトリア嬢を皇太子妃候補として後宮に迎える― 皇后エスメラルダ
「一体どうして…。」
辺境伯である父の身分は確かに貴族階級の中でも割と高い。辺境伯と聞くと身分下の地方貴族と勘違いする子爵などもいるが、実際は侯爵に近い階級である。
とは言ってもすでに皇子宮には10人も妃候補がおり、地方から呼ばずとも首都近郊の上流階級令嬢なら他にもいるはずだ。
今まで皇族と一切関わらずに過ごしてきたのに…。
なぜ自分が皇太子妃候補に選ばれたのか全くわからなかった。
何より皇后からの命令では断ることなどできるはずがない。
もしかしたら地図でも広げてダーツで当たったところの令嬢を連れてこいとかいう皇子の戯れだったりして…。
ヴィクトリアは何かを決意したようにゆっくりとベットから足を下ろし、窓の方へ向かった。
そして深い緑色の分厚いカーテンを勢いよく開けた。
サン・ビセンテを照らす力強い日差しが目に飛び込んで来る。
「眩しっ。」
スカイブルーとセルリアンブルーの空と海がヴィクトリアの金の瞳に反射する。
「…この眩しさともしばらくお別れね。」
そう小さく呟くと部屋の外にいるであろう侍女をいつもより強い声で呼んだ。
「マリー!そこにいるんでしょう。」
マリーが静かにドアを開けると部屋の中には美しくたたずむヴィクトリアがいた。
逆光に照らされ表情はよく見えない。
「はい、お嬢様。」
「すぐ準備をしてちょうだい。後宮に行くわ。」
「承知いたしました。」
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皇太子妃候補に選ばれた令嬢は書状を受け取ってから1週間以内に後宮に入らなければならない。
そのため、ヴィクトリアのいる邸宅では慌ただしい日が過ぎた。
ヴィクトリアのいるサン・ビセンテから後宮までは少なくとも馬車で4日はかかる。
ということは皇后からの書状を受け取ってから最低でも3日間で準備を済ませなくてはならない。
どれだけ過ごすかわからない後宮での生活のためドレスやアクセサリー、日用品に至るまで用意をする時間としては3日間はあまりに短すぎた。
足りなければ後宮周辺の店や定期的に来る皇族御用達のデザイナーに頼めばいいとお父様は言うけれど、ヴィクトリアはそんなお金を使いたくなかった。
「皇太子のために着飾るなんて無駄もいいとこだわ。」
隣では侍女のマリーがドレスを選ぶのに目をぐるぐるさせている。
「お嬢様っ。どうしましょう!選んだドレスが全然入りません!」
「選んだドレスから適当に削ればいいじゃない。」
「簡単に言いますけどね、お嬢様!あのカティサーク殿下ですよ!皇太子ですよ!適当なドレスじゃ他の令嬢に負けちゃうじゃないですか。」
どうやらマリーはこれがいいことのように思っているらしい。
「あのね、マリー。何か大きな誤解をしているようだから先に言うけど、私、皇太子のために後宮に行くんじゃないの。皇后の命を断ったらどうなるかわからない家族のために行くのよ。」
「そう…なん、ですか?」
「そうなんです。それにね、マリー。私、一つ気づいたことがあるの。」
ヴィクトリアは小さな微笑みをマリーに見せた。
「何ですか、それは?」
「皇子宮には皇太子であるカティーサーク殿下に謁見しに高位貴族やその子息たちが訪れるわ。私はその中で結婚相手を探そうと思うの。」
「お嬢様っそれって…皇子宮の中で図々しくも浮気をするってことですか!?」
「浮気も何も、皇太子妃候補ってだけで正妃な訳でもないし。皇太子に正式な正妃が決まれば私はただの令嬢に戻るのよ。その間にもいい結婚相手はどこかの令嬢と結婚するかもしれないのよ。だったら時間を無駄にはできないわ。」
「さすが、お嬢様というか何というか…。」
「マリーも覚えておいて…。私、皇太子妃なんて絶対にならないから。」




